日記録5杯, 日常

2014年9月22日(月) 緑茶カウント:5杯

聞いてくれ! ついにあの子がいなくなってしまったんだ! 朝の挨拶をしたときにはいたのに、夜に戻るといつもの場所から姿を消してしまっていたんだ!

お隣さんの玄関ドアーの前にいたアブラゼミの死骸。彼の黒い瞳と毎日毎朝毎夜、己は部屋を出入りするたびに挨拶を交わしていた。あぁ、まだいるな。あぁ、まだ踏まれていないな。確認しながら家を出て、確認しながら家に入っていた日々についに終止符が打たれたのだ。

だんだんと彼の体が重力に負けて平べったくなっていたのが印象的だった。まさか今更蟻が緊急大集合したとも思えない。恐らく、たまに掃除にやってくる大家さんの手によるものだろう。きっと彼は箒で掃かれて、一ヶ月ぶりにその場を移動したのだ。

さらば夏。もういい加減長袖を着ねばなるまい。また次の季節が来るまでしばらくさらば。



日記録5杯, 日常,

2014年9月21日(日) 緑茶カウント:5杯

昨日は一軒目で焼き鳥の盛り合わせをメインに、クリームチーズやポテトサラダ、つくね串、餃子、鶏腿肉を辛く焼いたものなどを食べ、二軒目でピクルスとフィッシュアンドチップスとニョッキなどを食べ、三軒目で一人マルゲリータ一枚とピクルスを食べた。我ながらよく食べたと思う。

美味しいものを食べられることは幸せだ。特に、友人とあれが美味しい、これが美味しいと話しながらあれこれ食べるのは非常に楽しい。すると忘れそうになるのが、この美味への欲求は大多数が持っているものだとしても、必ず誰しもが持っているわけではないということである。世の中には食事に全く興味の無い人や、食べることに苦痛を感じる人もいる。しかしそれは三大欲求の一つであるだけに、多くの人が思っているのだ。誰もがその欲求と執着を持っているに違いない、と。故に理解されないのである。欲求と執着を持たず、それどころか嫌悪している人のことが。

忘れないようにしよう、と意識するだけで、その人達に合わせて食べる楽しみをやめる気持ちはもちろん無い。だが、忘れないことが必要なのだと思う。そのように意識することが、いつか自分にも巡ってくれるのだと思いつつ、今日も鶏腿肉をにんにく醤油で揉みこんで炒めたものを肴に美味い酒を呑むのである。



日記録3杯, 日常

2014年9月20日(土) 緑茶カウント:3杯

仲の良い友人達と池袋に行き、猛毒展の特別展示を堪能した後、焼き鳥を食べてビールを呑んだ。毎回、会うたびに次の予定が一つ決まって繋がっていくのだが、今回は外呑み、宅呑み忘年会、年明けに一泊二日で箱根旅行と、新しい予定が三つも増えた。箱根は未体験の土地なので殊更楽しみである。レンタカーを借りて行く予定だが、自分は自動車免許を持っていないので何かしらでカバーする必要があるだろう。何で賄おうか、と今から考えつつ。楽しみだな。



日記録1杯, 日常,

2014年9月19日(金) 緑茶カウント:1杯

もしかして自分は酒に強くないのかもしれない、と思うときがあり、それは周囲の人々が焼酎や日本酒に移行してそれを楽しんで呑んでいるときである。自分は基本的にビールばかり呑む。日本酒を美味いと思うがあまり呑まない。焼酎はそもそもあまり美味いと思わない。よって、家でも外でも主にビールビールビールの、最初から最後までビールのエンドレスビール党。それだって延々と呑んでいれば結構な酒量のはずだが、同時に日本酒をカパカパ呑める人々に憧れるのである。

あぁ、がっつり呑めるようになりたいなぁ。と思いつつビールを三缶呑んで。もう充分じゃないかと思う自分もいるのである。



日記録3杯, 日常

2014年9月18日(木) 緑茶カウント:3杯

カサカサに乾いているから溶解することもない。かれこれ一ヶ月以上は経つだろうか。ずっとお隣さんの玄関ドアーの前に、つぶらな瞳のアブラゼミの死骸が転がっていて、出入りするたびに死骸の瞳と目が合う日々を過ごしている。

生前にも面識があった。とはいえ、ひどく弱っていたが。だが、まだ自ら動く力は残っているようで、じたばたともがきつつ匍匐前進の姿勢で移動しており、ただし飛ぶ元気は無いようで玄関前から移動することが出来ずにいた。彼が息を引き取ったのはそれから間もなくのことである。ピクリとも動かず、匍匐前進の姿勢のまま彼はお隣さんの玄関前にいた。暑い日だった。

その彼が死後一ヶ月以上経って、まだいるのである。お隣さんの玄関ドアーの前に。

何故片付けないのだろう。別れを惜しんでいるのだろうか。お隣さんも己と同じように、出入りのたびに死骸と挨拶をしていて、それを一日のリズムに組み込んでしまっているのだろうか。しかし。玄関ドアーの前である。出入りの頻繁な場所である。よく踏まないものである。片付けないが、踏まれもしない。一ヶ月以上彼が無事な姿でいることに己は驚きを禁じえない。

そして今日も、あぁまだ無事だ。元気に死んでらっしゃると、死骸の目と挨拶をして帰宅するのである。