夏の死骸と挨拶する秋
2014年9月18日(木) 緑茶カウント:3杯
カサカサに乾いているから溶解することもない。かれこれ一ヶ月以上は経つだろうか。ずっとお隣さんの玄関ドアーの前に、つぶらな瞳のアブラゼミの死骸が転がっていて、出入りするたびに死骸の瞳と目が合う日々を過ごしている。
生前にも面識があった。とはいえ、ひどく弱っていたが。だが、まだ自ら動く力は残っているようで、じたばたともがきつつ匍匐前進の姿勢で移動しており、ただし飛ぶ元気は無いようで玄関前から移動することが出来ずにいた。彼が息を引き取ったのはそれから間もなくのことである。ピクリとも動かず、匍匐前進の姿勢のまま彼はお隣さんの玄関前にいた。暑い日だった。
その彼が死後一ヶ月以上経って、まだいるのである。お隣さんの玄関ドアーの前に。
何故片付けないのだろう。別れを惜しんでいるのだろうか。お隣さんも己と同じように、出入りのたびに死骸と挨拶をしていて、それを一日のリズムに組み込んでしまっているのだろうか。しかし。玄関ドアーの前である。出入りの頻繁な場所である。よく踏まないものである。片付けないが、踏まれもしない。一ヶ月以上彼が無事な姿でいることに己は驚きを禁じえない。
そして今日も、あぁまだ無事だ。元気に死んでらっしゃると、死骸の目と挨拶をして帰宅するのである。