日記録2杯, 日常,

2015年8月2日(日) 緑茶カウント:2杯

夏は良い。夏は実に良い。野菜を茹でたり切ったりするだけで美味しい。特にトマト。トマトは塩を振っても美味いし、クリームチーズを乗せてオリーブオイルをかけてパセリとクレイジーソルトを振り掛けても美味いが、ただ切って皿に盛るだけでも充分美味しい。この美味しい野菜が、夏を過ぎると急に味気なくなり、いやまあそれでも美味しいのだけれど、やっぱりこの時期の美味しさは格別なのである。

オクラも美味い。三十秒さっと茹でるだけで美味い。マヨネーズをつけてサクサク齧ると最高である。ちょっと切ってごま油と塩で味付けしても良い。きゅうりも美味い。こいつは切るだけで良いし、いっそ切らずに齧って塩を振って食べるだけでも美味い。

そんなわけで最近の食卓は野菜がたっぷりで満足度が高いわりに手間がかからない嬉しさで満ち溢れている。カリカリポリポリ、よく噛む必要があるのでしっかり食べた感じもするのが良い。

そして今日の晩飯は、キャベツと大葉とミョウガの梅おかか和えと、小松菜と豚バラのガーリック炒め、茹でたオクラときゅうりのスティック、スライストマトの四点。あと、胡麻豆腐とところてんも冷蔵庫にあったがそれは明日のお楽しみで。野菜が美味しい季節。夏だ。良い季節である。



日記録2杯, 日常,

2015年6月21日(日) 緑茶カウント:2杯

一人カラオケ、一人居酒屋は経験がある。しかし一人焼肉は未経験だった。小さな抵抗があったからである。焼肉と言うと、皆でわいわい楽しみながら肉を焼き、おいお前それまだ火が通ってないぞ、マジかよやべー鉄板に戻して良い? といったやりとりの中で楽しむものというイメージが強かったのである。とはいえ前述のカラオケ、居酒屋も同様のものであり、すると一人焼肉に抵抗を抱く由縁などどこにも無いことになるわけだが。

そして実際に行ってみたら何と言うことも無かった。カウンター席があったのも大きいだろう。四人用のテーブル席に通されて一人で焼肉をやるとなると流石に寂しさを感じそうだが、もともと一人で食べることを想定された小さな鉄板が目の前にある席であれば問題無い。そう。鉄板のサイズも問題だ。一人で食べるとなるといっぺんに肉を乗せることは出来ない。さりとて大きな鉄板にたった二枚だけ肉を乗せると余白がどうにももの悲しい。小さな鉄板ならその点を解消出来る。小さな鉄板は偉い。

ハラミ二人前とキムチと生ビールと冷麺を頼み、一人でちゃっちゃと焼いてちゃっちゃと食べた。うーん、美味。これまでは人数を揃えないことにはなかなか焼肉にありつけなかったが、今後はいつでも好きなときに焼肉を食べられるようになった。嬉しいステップアップである。

とはいえお会計は四千円。流石焼肉。結局、ラーメン屋に行くノリで軽く食べに行くことは出来ないのであった。どっとはらい。



日記録2杯, 日常,

2015年6月14日(日) 緑茶カウント:2杯

週に一度の整体通いの帰り道。昼飯は済ませた後だが、小腹が空いたので近所のラーメン屋の暖簾をくぐった。時刻は十五時、ちょうどおやつの時間であるので、注文したのは半玉ラーメン。ただし、もうちょいボリュームが欲しいのでほうれん草を追加でトッピングした。

このラーメン屋は月に三度ほど通っていて、いつも己はほうれん草をトッピングしている。むしろほうれん草をトッピング出来るからこのラーメン屋に通っていると言っても過言では無い。濃い味のスープがからんだほうれん草がたまらなく美味いのだ。そして添えられる味玉と焼き海苔。とろりと溶けた黄身を口に入れる瞬間はいつも楽しみで、己は中盤あたりで味わうことが多い。

メールの返信をしながら待つこと数分、ドンッと丼が目の前に置かれ、携帯電話を畳みさあ食べようと箸を手に取ろうとしたとき、「いつもありがとうございまーすこちらサービスでーす」と店員の声。丼を覗き込んで驚く。えらいことになっていた。

通常半玉ラーメンには乗らないチャーシューが山盛り。さらに味玉と焼き海苔も倍量トッピング、もちろんほうれん草もたっぷり。半玉ラーメンにあるまじきボリュームである。えっ何で!? と驚いているとニコニコ顔の店員に食事を勧められる。突然のサプライズに驚きながら箸を割った。うおーうチャーシューすっげえ乗ってる……。

そんなわけで、おやつのはずのラーメンは立派な食事に化け、夕飯の時刻も満腹感が続いたので夕飯をスルー、そしてこの日記を書いている二十三時過ぎになってようやく腹が減ってきて、食べるべきか否か迷っている今現在。

ラーメンはとても美味しかった。



日記録2杯, 日常,

2015年3月1日(日) 緑茶カウント:2杯

スプーンにへばりついたべっこう飴を舐めながらハーゲンダッツを食す。

違う。こんなことをしたかったのでは無い。もっと素敵なデザートを楽しむはずだったのに何故こんなところに帰着した。しかもこれがなかなか、味は良いのが憎たらしい。

ハーゲンダッツから季節限定で、カスタードクリーム味が出たのである。これを先日食べてみたところ、カラメルソースの無いプリンとでも言うべきお味。美味しい。好きな味である。しかしカラメルソースがあったらもっと美味しいに違いない。そこでカラメルソースを自作し、アイスにかけて食べようと思いついたのである。冷たいアイスクリームにとろりとからまるカラメルソース。絶対美味しいに決まっている。

そこで本日、アイスを購入し、砂糖と水を用意してカラメルソース作りに励んだ。カラメルソースは作り方を間違えるととろりと行かず、固まってただの飴と化してしまうそうなので、しっかりレシピを確認して、実行したら鍋が焦げた。

真っ黒である。悲惨である。しかも慌てて水道水をぶっかけたので半端に固まった飴が鍋の底にへばりつき絶望的なありさま。こびりついた飴が鍾乳洞のように存在感を主張していて悲しい気持ちになる。まぁ、古い鍋を使ったのだから仕方が無い。こいつの始末は後でするとして、他の鍋で再チャレンジをすることにした。気持ちを切り替えるのが肝腎だ。

今度は上手く行った。あと少しでカラメルソースが出来そうである。よし! と思ったところで台所に響くけたたましい音! 耳障りな警戒音! カラメルソースを焦がしたときに発生した煙を感知して火災報知機が作動したのである。やばい! うるさい! 手が届かない! 天井の火災報知機を止めるべく、まずは火を止め、流し台に乗り上げ、警報音を止めるスイッチを押した。無論鍋の中は放りっぱなしだ。かき混ぜる人間などいやしない。

そして飴と液体の中間のようなカラメルソースが出来た。だが、粘性は強いものの一応べっこう飴よりもカラメルソースよりの存在である。まぁいいんじゃないか? いけるんじゃないか? とゴーサインを出してアイスを取り出し、蓋を開け、表面にカラメルソースを乗せたら完全に固形と化した。冷えたから。

だが、己は戦った。頑張って固形化したカラメルソースを伸ばそうとスプーンを活用した。結構な力を入れた。そして固形化したカラメルソースもといべっこう飴は完全にスプーンと一体化し、棒付きキャンディとアイスクリームがその場に発生したのである。

飴を舐め、アイスを食べ、飴を舐めるの繰り替えし。口の中でカスタードプディングになった。しかしそれはカスタードプディングでも何でもなく、あくまでもべっこう飴とアイスであった。

無念。しかし美味。あぁ。



日記録3杯, 日常,

2015年2月22日(日) 緑茶カウント:3杯

面倒くさい、には様々な種類がある。本日、己はベーコンエッグを焼き、食パンに挟んでラップでくるんだものを三つ作った。朝食は摂りたいが、朝にフライパンを使うのが面倒くさくなったためである。そして一週間分のほうれん草のお浸しを作り、柚子大根を作り、おかずを作り、おにぎりを握り、それらを冷蔵庫と冷凍庫に突っ込んだ後、今晩の夕飯である明太子パスタときゅうりの豆板醤漬けを作った。

二時間かかった。我ながら、これはかえって面倒くさいのではないかと思うことがある。特にベーコンエッグくらい朝にさっと焼けば良いじゃないかと思う。しかし面倒くさいのである。いちいち、今日は何を食べようかと考えるのが面倒くさいので、バーッと一気に作って、出来合いのものを軸として、副菜を決めていきたいのである。

結果、週末に作るものがだんだんと増えてきていて、ちょっとした大仕事になっている。だが、やっぱりこれが己にとって、一番面倒くさくない方法らしいので続けているのだが、たまに、何だか阿呆みたいだなぁ、と思うこともありつつ、冷蔵庫にぎっしり入った調理済みの品々を見ると、ちょっと愉快な気持ちのなるのである。ふふふ。