日記録0杯, 日常

2015年1月27日(火) 緑茶カウント:0杯

これは違う。きっと気温が上昇したせいだ。春が近付いているのだ、と、思おうとしているが、変化が生じたのはちょうど部屋に新しいカーテンを設置してからで。よってわかっているのだ。しかし認めたくないのである。

寒い寒いと思っていた部屋が暖かい。

いやまさか。たった二枚の布でこうも変わるわけがない。今まで暖房をガンガンに入れてもなかなか暖まらず、震えていたというのに、あのときから設定温度を六度も下げても快適だ。いや、わかっている。だって己が使用していたのはただの古いカーテンでは無く、窓のサイズに合わない寸足らずのカーテンで。ガラス窓が一部剥き出しになり、冷気がしんしんと差し込んできていて、そりゃあ寒いに決まっているさと思いつつ、だって古い家だからと。そのように信じてきて、今。

怠惰を極めた結果がこの有様。快適な部屋で呆然としている。そしてまた、友人が泊まりに来ることが無ければ未だ寸足らずのカーテンと共に冬を過ごしていたこともわかっていて。思わず頭を抱えるのである。己の馬鹿さ加減に呆れながら。

あぁ。あぁ!!



日記録0杯, 日常

2015年1月20日(火) 緑茶カウント:0杯

布団とシーツと枕と枕カバーと、レースカーテンと厚いカーテンを買った。友人が泊まりに来るので、万全の態勢を整えるために。

なかなかこういう機会が無いと動けないのでちょうど良かった。綺麗好きの友人が遠路はるばる遊びに来るので、では掃除をするついでに部屋に合わないカーテンを取替え、客用布団を新調しようと思い立ち、通販でポンッと注文。あとは部屋中の埃を拭い、床を磨き、カビ取りをしてゴミを出そう。年末の掃除が大掃除なら、今度の掃除はガチ掃除。なるべく不快を抱かれないように、そうだスリッパも新調しよう。

遊びである。客人を迎えるごっこを楽しんでいるのである。いや、ごっこ遊びを楽しむ気分にならなければ掃除をやる気が起きないとも言えるのだが。さぁ、ようやくこの寸足らずのカーテンともおさらばだ。何年こいつを使い続けたのか。冷気も熱気も素通りするカーテンを、気になりつつも数年間使い続けた己のずぼらさのひどさを噛み締める。外から見ると灯りが駄々漏れなんだぜ。ひどいもんだぜ。でもようやく原動力を得たのでやるのだ。よし、やるぞ。

己はやるぜ!



日記録0杯, 日常

2015年1月4日(日) 緑茶カウント:0杯

どんなときでも新しい年は始まるもので、気付けば三日も消費している。

今年は日記のペースを意識的に緩めて、書かないときは書かないことを心がけてみようと思う。そしてその分の時間を他に充てたい。よく考えて、思考する一年にしよう。そうしてより良い三十歳を迎える準備をするのである。

抱負かな? 抱負だよ。



未分類0杯, 電車, 非日常

行きたいな、と思いつつも、年末だしな、と自重していたのだが、直前になってスケジュール的には問題なく行けることに気が付いた。そしてそのとき己は非常に疲れ切っていた。脳が爆発しそうだった。そこで己を鼓舞するため急遽チケットを購入した。何とか、眼前に人参をぶら下げることで乗り切ろうとしたのである。

そういった経緯で、今年最後のライブは「電車」となったのだった。

電車のセッションに行ったのは2011年の1月3日。正月に死体洗いのアルバイトの歌や自爆テロの歌、鳥葬の歌、男女の別れの歌を聴き、今年は年の瀬にそれを聴く。場所は同じ吉祥寺のSTAR PINE’S CAFE。ただし今回はセッションではなく、電車という「バンド」の演奏だ。ついに今日、本物の電車による、電車の曲を聴けたのである。

電車はゆる~い雰囲気で、のんびりだらだら進行しつつ、曲に入ると途端に空気が切り替わるのが実に面白い。この点、筋少より顕著である。筋少はMCでゆるゆるだらだらしていても、「ステージ上」であり、「見せるための姿を演じる」気構えが多少はあるように見えるのだが、電車はそれが少なく見えた。より素に近く、肩の力が抜けているように感じられた。

さて、曲のそれぞれにも語りたいが、まずはセットリストの方を。


電車の猛勉強
夢見るショック!仏小僧

OUTSIDERS
死体のこもれび(新東京正義乃士のカバー)

テロルおじさん
ほうろう(小坂忠のカバー)
人間のバラード(筋肉少女帯のカバー)

生まれてビックリ団
パーマのブルース

星屑と赤い闇のブルース
とん平のヘイ・ユウ・ブルース(左とん平のカバー)

喰らわれた女の歌
アタイばっか
包丁とマンジュウ(スターリンのカバー)

~アンコール~

お別れの背景


「テロルおじさん」「ほうろう」「人間のバラード」のあたりの並びはやや記憶が曖昧で、正直自信が無いのだが、他は合っているはず、である。

ステージでは下手からサトケンさん、オーケン、ベラさんが並び、オーケンの前には譜面台が置かれ、背後にはドラムの小畑ポンプさん。さらにその後ろがステージへの出入り口になっているようだった。ステージ前には客席用の椅子が並べられているが、全員分は無く、客の半数は立ち見となる。また、二階もあり、上からステージを見下ろすことも出来る構造となっていた。己は一回の椅子席のやや後ろに並んで立ち、開演前には缶のエビスビールを呑んでいた。天井にはミラーボール。何故かミラーボールを囲むように羽飾りが飾られていた。

客電が落とされ、メンバーが登場すると同時に始まる「電車の猛勉強」。ヘビィなサウンドの上で「べーんきょっ」と平仮名で歌うオーケンがキュートである。今回のライブでは譜面台があるおかげか、歌詞間違いが少ないようだった。とはいえ、たまに舌が回っていない場面もあったが。それはそれでご愛嬌である。

二曲目でいきなり「夢見るショック!仏小僧」と暗黒ナンバーへ。あぁ、電車のライブに来ているのだなぁと実感する場面だった。続いて大好きな「OUTSIDERS」に、死体洗いのアルバイトの歌「死体のこもれび」。「死体のこもれび」を聴いているとき、胸が締め付けられるような思いがした。電車セッションのときにこの曲を聴いたときはこんなに苦しくならなかったのになぁ、と寂しく感じた。

ちなみに今回のライブにおける自分の中でのハイライトは「生まれてビックリ団」「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」「お別れの背景」である。中でもすごかったのが「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」だ。

何故ならこの曲、自分は飽きているのである。オーケンのお気に入りだが、お気に入りと知っているが、自分はそこまで思い入れが無いだけに、悪いとは思うが「またか」と思ってしまうのである。どちらかと言うとオーケンのオリジナル歌詞を聴きたいなぁ、と思ってしまうのである。しかし、今日はすごかった。

この曲をやる前のMCで、サトケンさんがベースだけのCDを今日の物販で販売していて、それがついに九枚目、毎年作っているから今年で九年目になるという話が出ていた。ベースだけのCDとはいったいどんなものだろうと興味を覚えつつ、頭に浮かんだのは「はなわ」であった。いや、無論ベースだけと言うことは歌も無いことはわかっているのだが、ついつい連想してしまったのである。

そのMCの後のヘイ・ユウ・ブルース。「ヘイユウワッチュアネーム!」と叫ぶオーケンの一声から始まり進行していく。序盤は通常通りである。しかし中盤で変化が起こった。

いつの間にか。オーケンとベラさんがいなくなり、ステージ前方にはサトケンさんだけ。そしてサトケンさんが一人、延々とベースソロを奏で続けるのである。自分はあまり、ベースソロを聴いたことが無い。音楽が好きというもののひたすら筋少を聴いている人間で、その筋少はベースソロがほとんど無い。サンフランシスコに少しある程度である。だから知らなかったのだ。ベースがこんなにも多彩な音色を奏でられるということを。

呆気にとられながら聴き入っていた。そしてベースを奏で切ったサトケンさんがステージを去る。すると次は小畑さんのターンになり、怒涛のドラムソロが始まった。これもまた格好良かった。一つ一つの音が重く、何て言えば良いのだろう。パンチというよりも、厚い平手を喰らうような、そんな音なのだ。ベシンと体に張り付くような衝撃があった。

ヘイ・ユウ・ブルースの演奏中であることを忘れそうになったとき、オーケンとベラさんが戻ってきて、終局へと向かっていった。飽きを感じていただけに、今回のヘイ・ユウ・ブルースは素晴らしかったなぁ。

「生まれてビックリ団」は、筋少で言えば「ゾロ目」の序盤のように、ゆったりと歌い上げるように始まり、しばらくそのまま続いたので、アレンジバージョンかと思った。これも良いが、あのスピード感のある「生まれてビックリ団」も聴きたかったなぁ、と思っていると。「恋してビックリだ、キスしてビックリだ、ふられてビックリだ、切なくてビックリだ」まで歌いきってから曲調が変わり、怒涛のように駆け抜けていくのである。オーケンの声も歌い上げるものから叫ぶものに変わり、そのギャップがまた非常に格好良かった。

「お別れの背景」はとりわけ良かった。そもそも思い入れのある大好きな曲なのでやってくれるだけで嬉しいのだが、オーケンの歌声が素晴らしく良かったのだ。序盤のMCで、いろいろあって疲れているので最後の二曲目あたりで目覚める、と冗談を言っていて、本編ラストの「包丁とマンジュウ」で「目が覚めたぜー!」と叫んでいた。無論冗談だろうとは思うが、その後の「お別れの背景」で、最後にも関わらず、この日一番声が出ていたのである。今日は最初から咽喉の調子が良いようだったが、最後が一番すごかったのだ。

そして嬉しかったのが。CDでは声を張り上げる箇所を、ライブでは声を落として歌う、というのはオーケンに限らず少なくないことだろう。それを否定する気は無い。だが、やっぱりCDと同じように歌ってくれると嬉しくて、「お別れの背景」は、限りなくオリジナルに近い歌い方だったのである。ちょっと歌詞は間違えていたけれども。

最後の最後にこれだからたまらない。嬉しかったなぁ。

時間の割りに曲数が少ないのはトークが長かったから。ちょこちょことトークが挟まれ、そのたびにオーケンがちょこちょこ椅子に座って休み、小畑さん、ベラさん、サトケンさんによる電車ツアーの振り返りがあったり、今後の予定について語られたりと皆が楽しそうにしているのが微笑ましかった。

面白かったのは今度、THUNDER YOU POISON VIPERと対バンする告知がなされたくだりで、小畑さんから「サンダーユーはインストなんでしょ?」と聞かれたオーケンが、「インスト」を「いいひと」と聞き間違え、どのように答えるべきか、極悪人と言うわけにも行かないし、と悩んでいた場面。それとオーケンのおじいちゃん化現象が進んでいること。物の名前が出てこなくなったり、ツアー先のホテルで部屋の鍵を開けられず「開け~開け~」と唱えながら鍵をガチャガチャやっている姿がベラさんにより目撃されたという。

それに対しオーケンは、2015年はいきなり若返る、プラセンタ打ったりなんかして、と冗談を飛ばし、未来の最終形オーケンがアンドロイドならぬロボットに成り果てていたり。ロボット化やプラセンタは流石に困るが、たまに鍛えたりダイエットしたりしつつ、のほほんとライブを続けてくれると嬉しい。今日のライブの余韻に浸りつつ、来年を楽しみに待ちながら帰路についた。

楽しかった。これが己のライブ納めである。



日記録0杯, 日常,

2014年12月25日(木) 緑茶カウント:0杯

近所にちょっと良い店があったのだ。カウンターに四席、後ろにテーブルが一つという小さな佇まいで、マスターが一人で切り盛りしているイタリアン。カウンターの奥の棚には雑多に物が積みあがっており、やや雑然とした雰囲気もあるが、出される料理は美しいのだ。シンプルながらも気を遣われたデザインの皿に、綺麗に盛り付けられて出てくる。チーズの盛り合わせを頼めばチーズが美しく飾られ、隅に蜂蜜の入った小さなポットがちょこんと置かれるのだ。手作りのピクルスも美味く、釜焼きのピザも美味く、良い店を見つけたと思ったものだ。

ところが。カウンターの奥の棚に見えた「雑多」がだんだんと侵食してきた。カウンターの前にコーヒーメーカーが置かれているのだが、これに埃がたまっている。気楽に入れるのが長所の店とはいえ何だかな、と思いつつチーズの盛り合わせを頼む。チーズの種類にもよるのだろうが、このとき、あの蜂蜜の入った可愛らしいポットが無くなっていた。少し残念だった。

そして少しずつ少しずつ。「雑多」はカウンターの奥からこちら側へとやってきて、ついには皿はそこらで売っているただの丸皿になり、チーズも生ハムも飾られることなくただ「乗せられた」状態で供されるようになったのである。のほほんとした店主の雰囲気だけは変わらない。次回来るとき、この「雑多」がどこまで侵食しているか楽しみなような恐ろしいような。見送るつもりで見守っている。