2016年10月20日(木) 緑茶カウント:0杯
お元気ですか? 己は激烈に忙しく、ゲロを吐きそうな塩梅です。
余暇が欲しい。本が読みたい。ゆっくりしたい。余暇が欲しい。
あぁ。
うずわみだまし
2016年10月20日(木) 緑茶カウント:0杯
お元気ですか? 己は激烈に忙しく、ゲロを吐きそうな塩梅です。
余暇が欲しい。本が読みたい。ゆっくりしたい。余暇が欲しい。
あぁ。
2016年10月17日(月) 緑茶カウント:0杯
タイトルからお察しいただけるかと思うが、今回の日記は不快害虫と戦う話なので苦手な方は注意されたし。
さて。己はわりと耐性がある方である。何故なら昆虫という生き物が好きだからだ。あんなに小さいのに器用に動いて、きちんとパーツパーツに意味があるところがとても好きだ。そしてその造形。飛翔に特化したトンボのデザイン、むしろ邪魔に見えるほど長いカミキリムシの触覚。彼らの姿を眺める楽しみは時間を忘れるほどで、昆虫図鑑のページをめくるひとときは至福である。
よって虫が苦手な人に比べれば耐性はある方だ。小指の爪の切れっ端程度の小さな虫を見て、嫌な予感を抱きつつ「ゴキブリ 幼虫」で画像検索をしてその正体を突き止めることに迷いは無い程度に耐性はある。耐性はあるが嫌いである。ものすごく嫌いである。立ち向かえるが嫌いである。
そんな、大嫌いなあいつが発生した。大胆不敵にもわりと目立つところに発生した。それも二日連続。己はとても嫌な気分になった。すごく憂鬱になった。ちくしょうめ、と思いつつ退治をした。
まぁ仕方が無い。住居は古い木造アパートなのだ。取り壊すか否かという話が上がったほどの古い家屋だ。出ないはずが無い。出ない方が不自然だ。不自然であるが、何でもかんでもナチュラルな方が良いとは己は思わないのだ。よってもう不自然でも何でも構わないので己の前に姿を見せないで欲しいのだ。嫌いだから。
あーもう。あーもう。どうすっかなぁ。
つい、ヤフオクでアシダカグモを検索した。売っていた。売っているものなのかとびっくりした。心惹かれたが買わなかった。虫は買うものではない、捕るものだ。まぁつってもアシダカグモを捕まえるためによそ様の家にお邪魔して虫捕り網を振り回すわけにもいかんのだが。
そんなわけでより現実的な対応策としてホウ酸ダンゴを購入して家中に設置した。うん、わかっているのだ。このホウ酸ダンゴを取り替えるのをさぼったのがよろしくなかった。大事なバリアの効き目が切れるのをそのまま放置してしまった自分こそが悪い。しまったしまった、と反省しながら設置した。
どうやら効果はあったようで、設置からしばらくした後二匹の不法滞在者を発見したが、二匹とも弱ってへろへろになっていて難なく退治出来た。一匹は殺虫スプレーを振りかけた後、死に物狂いで逃げた先、その真横に平沢進のファンクラブ会報誌があり、スプレーを片手に構えつつどのように追撃すべきか迷ったが何とかなった。さぁ、あとはこれで全員出て行ってくれれば良いのだが。頼むよ。
2016年10月12日(水) 緑茶カウント:2杯
筋肉少女帯の十七枚目のオリジナルアルバム「おまけのいちにち(闘いの日々)」に収録されている一曲「枕投げ営業」がDAMで配信されることが決まった。大好きな「枕投げ営業」をカラオケで歌えるようになることが決まった。
やったあああああああああああああああああ!!!! うわあああああああああああああ枕投げ営業だあああああああああああああ!!!! ついに! 枕投げ営業を歌える! あの素敵な枕投げ営業を歌える! 嬉しい! 嬉しい!! もうインストゥルメンタルをカラオケに持ち込んで自力で枕投げ営業を! 歌うなんてことを!! しなくて良いんだやったああああああああああああ!!!!
この日は遅くに帰宅して、就寝時間を過ぎてから夕飯を摂り始めた。睡眠不足は避けたいが栄養不足も日中の活動に支障を来たす。寝る直前に食べるのはあまり感心しないが仕方が無い、と冷蔵庫から作り置きの肉団子や野菜の酢漬けを出してもそもそ食べたその後に知ったニュース。くたくたに疲れ切っていたそのときに見たニュース。
な!ん!な!の!!!! この!事態!!!!
嬉しい嬉しい! やったー! やったーーーー!!!!
ひゃっほー明日も頑張るぞーーーーー!!!! いえーい!!!!
2016年10月8日(土) 緑茶カウント:0杯
そういえばサディズムの語源がマルキ・ド・サドであることは知っているが、彼の著作は読んだことが無かったなぁ、と軽い気持ちで「ソドム百二十日」について調べた結果、あらすじを読んだだけで気分が悪くなった。人間は身の程をわきまえるべきである。
そんなサドの著作とは全く関係のない話題を供しよう。己は十年ほどコンタクトレンズを愛用しており、少なくとも七年以上はハード・コンタクトレンズの装着をし続けていた。そうして最近になって、ハード・コンタクトレンズが自分の眼球には合わないことを思い知り、ソフト・コンタクトレンズに戻ったのである。
ソフト・コンタクトレンズを通した世界は快適であった。頻繁に使っていた目薬は出番を失い、左目を苛む異物感も消え失せた。長い息が漏れた。早く戻れば良かったと思った。
コンタクトレンズを初めて購入したとき、選んだのは初心者向けのソフト・コンタクトレンズであった。そして問題なくソフト・コンタクトレンズを愛用し続たものの、視力が下がり新しいコンタクトレンズが必要になったとき、より目に優しいハード・コンタクトレンズに乗り換えたのである。装着の初めこそ異物感を抱くものの、こちらの方が酸素の透過性が良く眼球にとってはよろしい、という話を聞いて。
ハード・コンタクトレンズは快適だった。ケアも楽であるし、異物感も無かった。だが視力の低下と共に何度か交換を余儀なくされ、ある日のこと。左目だけ見えづらい事実に気がついた。何故だろうと思いつつ眼科に赴くと、眼球のカーブが変わったためと告げられた。ハード・コンタクトレンズはソフト・コンタクトレンズとは違い柔軟性が無い。よって、眼球のカーブとレンズのカーブが合わないと見えづらくなるのである。そこで別のカーブのレンズを新調したのだが、まだ違和感は目に合った。とはいえこれも最初だけ、慣れれば消えると思っていたのである。
しかし。慣れなかったのだ。慣れないのに慣れないことに慣れてしまって、二年近く装着を続けてしまったのだ。その慣れないレンズを。
だが、ついに転機が訪れた。外出時用につけ外しが容易なワン・デイのソフトコンタクトレンズを購入したのである。これさえあれば外泊時にも洗浄液などを持ち運ぶ必要がない。楽だ楽だイエーイ、という気分で購入したのであるが。何年かぶりにソフト・コンタクトレンズを通して見た世界は鮮明そのもの。異物感も無く目薬もいらない。「快適」という二文字を表した世界がそこには広がっていたのであった。
暗い気持ちになった。まさか。ずっと長年愛用し続けていたが。そもそも自分はハード・コンタクトレンズに不向きな人間だったのか? と。
まさかと思いつつ、カーブさえ調整すれば問題ないかもしれない、とすがる思いでハード・コンタクトレンズを新調したが、検査の上では全く問題が無いにも関わらず視界は不明瞭で、どうしてもレンズの際が視界に入って見えづらい。眼科医曰く、たまにそういう人もいるとのことで、眼科医の勧めに従い己は新しいハード・コンタクトレンズを返品し、長く使えるソフト・コンタクトレンズを新調した。視界は快適であった。
あの長年の違和感は何だったのだろうと思いを馳せる。それでも己の眼球は健康であると言う。ただただ不可解だなぁ、と思った。
2016年10月4日(火) 緑茶カウント:2杯
千葉県佐倉市の佐倉駅で己は呆然としていた。時刻は二十四時を過ぎ、当に終電は終わっている。改札近くの時刻表を見上げ続けても事実を突きつけられるばかり。己にできることといえば、犯した失態にただひたすら言葉を失うことだけであった。
鎌倉で友人と呑んでいた。楽しかった。まずはドイツ料理の店に入ってソーセージを食べてビールを呑み、二軒目ではイタリア料理の店に入って生ハムを食べてビールを呑んだ。己を含めてたった三人の集まりであるにも関わらず大いに盛り上がり、話しに話して気持ちよく別れた。そうして一人改札を抜け電車に乗り、三つか四つ駅を過ぎたら乗換えをする予定だったのに、わずか十分かそこらで寝入ってしまい、あぁ! ガタンゴトンガタンゴトンと意識のないまま神奈川、東京、千葉へと大移動をするはめになったのである。
解散したのは二十二時。本来であればどう見積もっても二十三時には家に着くはずだったのに、二十四時、全く縁もゆかりも無い千葉県佐倉市佐倉駅に佇まざるを得ないこの事実。今まで酔っ払って乗り過ごしたことなどほとんど無く、乗り過ごしても一駅程度だっただけに自分を信じられなかった。狐につままれた気分だった。だが、狐は何も悪くない。ただ単純に呑みすぎたのだ。
帰れるところまでタクシーで帰ろうか、どうしようかと思いつつ駅を抜け、真っ暗な道をてくてく歩き、見つけたビジネスホテルの門を叩いて宿を借りた。部屋の風呂に入って思ったことは、唯一の救いはこの駅が、己の好きな漫画のヒロインと同じ名前だってことだなぁ、ということで。飽きることなくしみじみと、ただただ呆然とし続けたのであった。