日記録4杯, 日常

2017年1月1日(日) 緑茶カウント:4杯

こういうことは年始ではなく年末の方がふさわしいと思うものの、去年一年がどんな年であったか気になったので日記をもとにざっと振り返ることを試みよう。そこで特筆すべき記事のみ抜粋し簡単に一言添えたのが以下である。これが己の昨年一年だ。

■1月

  • 他人の石橋を叩くな
  • 「慎重」を美徳と信じ、「orange」のスペルや祝日がいつかなど、調べればすぐにわかることを何でもかんでも他人に確認し他人の時間と労力を奪う人間に対する苛立ちを心を込めて書き連ねている。ちなみにこの問題は依然解決されていないが、ストレートに「まず自分自身を確認してください」「辞書を引け」と告げ、追い返すことで心の平穏を保っている。辞書大事。

  • ぼくはここで見ていよう
  • この一年は四人の友人から奥方の妊娠と出産の報告を受けた記念すべき年である。そんな友人達がだんだんと違う環境に身を置いていくことに対する思いと自分自身の生き方についてつらつらと語っている。そういえば騙し討ちのように縁談を進められそうになったのもこの年だったか。今となっては懐かしい。

  • 己にとっての「やおい」の変化
  • あることをきっかけにやおいに対する嫌悪感が消えた話。これは貴重な体験だった。

  • 一松事変の感想
  • 今もこの話を観てゲラゲラ笑っている。どうやら自分は登場人物が絶叫しているとそれだけで笑えてしまうらしい。にぼしを食べて殴られるというシチュエーションも最高に楽しかった。

  • 青山にて
  • 水木しげるのお別れの会に行ったのは一月だったか。寂しかったなぁ……。あの人は例え亡くなっても、妖怪になって生き続けてくれるから大丈夫、と思っていたが、喪失感は計り知れなかった。


■2月

  • いっそ、粉になるまで
  • 長年愛用していた急須が壊れ、せっかくだから良い急須を新調しようかなーとわくわくしていたくせに、瞬間接着剤で応急処置を施した急須をそのまま使い続けている話。
    ちなみに未だにその急須を使い続けている。本当に粉になるまで使ってしまうかもしれない。

  • 半世紀!
  • オーケンの五十歳の誕生日を祝っている。この絵は確か「蔦からまるQの惑星」が発売された頃に描いたものだっただろうか。今年は五十一歳か。素晴らしい。

  • ぐったりしたよ、流石にこれは。
  • すっかり忘れていたが、このサイトが突然壊れてURLを叩いても何も表示されず、管理画面にも入れないトラブルに見舞われていた。あれは実に恐ろしかった。趣味の記録が一瞬にして灰燼に帰すのである。泣くかと思った。泣きかけた。

  • 時間の共有と趣味の共有の二日間
  • 好き好き大好き
  • この二つの日記では友人への愛を語っている。つくづく思うに、己は実に恵まれている。


■3月

  • 二十万円で、歯
  • 祖母からもらった二十万円を何に使うか悩みに悩み、銀歯を保険適用外の白い歯に変えた話。これは本当にやって良かった。奥歯なので目立たない方だったが、やはりコンプレックスだったのである。しみじみと嬉しい。

  • 何を見たのか、その人は
  • ベクシンスキーの絵を見た人に「ウヲさんみたい!」と朗らかに言われたこと。まぁ好きだから良いか。

  • さらば寝不足の日々
  • 深夜アニメ「おそ松さん」が最終回を迎えたことで、寝不足から解放された話である。思い返すに、楽しいながらも体力のきつい日々であった。あれからもう半年以上経つが、未だに週に一度はおそ松さんのアニメを観ている。こんなにはまるとは思わなかったよ。

  • 建て替えるそうだ、アパートを
  • アパートの建て替えにより退去を求められた話である。そういやそんなこともあったな。


■4月

  • 20×5=100 LIVE with 内田雄一郎
  • 水戸さんの百曲ライブのゲストがベーシストの内田さんで、しかし奏でられるのはベースではなくテクノサウンド。それだけでも驚きだが、まさかその後テクノのソロアルバムが発売されることになろうとは夢にも思わなかった。てっきりベースソロアルバムだと思っていただけに仰天したものだ。購入が楽しみである。

  • 「筋少さん松り」あとがき
  • エイプリルフール企画後日談。この企画は筋少好きにもおそ松好きにも楽しんでもらえたようでとても嬉しかった。今年は何をやろうかな。

  • 祭りの後
  • 漫画「聲の形」に興味を示しているが、結局まだ読んでいない。アニメジョジョ四部スタートにわくわくしているのが我ながら微笑ましい。ジョジョ……素晴らしいアニメだった……。

  • アパートの建て替えと契約と
  • アパートの退去と契約内容変更を求められるも、不動産屋の態度が曖昧で悩んだ話である。結局大家の都合で建て替えは先延ばしになり、退去の必要はなくなったものの、こういうときどこに相談すべきかわからず困りきったことを覚えている。法律を勉強している友人に相談先のアドバイスをもらったため何とかなったのが救いである。

  • 濃い一日
  • 友人の結婚式へ参列するため大宮に行き、そのまま筋少のライブを観るため恵比寿へ移動し、さらにライブ後友人に誘われて上野に移動して呑み会に参加した。濃いも濃いが移動距離もすごい。

  • 永遠は神話の中だけに――「週替わりの奇跡の神話」を聴いて
  • 奇跡の中に永遠はあると歌う「週替わりの奇跡の神話」は、永遠を「ない」と言い切る他の歌詞よりも残酷で切ない、という感想。


■5月

  • 部屋いっぱいのキンカン
  • もらいもののフレーバーティーが何故かキンカンの香りで、部屋中がキンカンの香りに包まれた話。ちなみにこの数ヵ月後、誤って正露丸を部屋にブチ撒けて一ヶ月近く部屋が正露丸の匂いに包まれたこともあった。

  • 今日は……帰りたくない気分なんだ……
  • 玄関に平和が訪れた
  • この二つは玄関先にスズメバチの巣が作られた話である。これほど家に帰りたくない日はなかったかもしれない。

  • 楽しい図書館
  • ちょうどこの頃は図書館通いにはまっていて、毎週二つの図書館を行き来していた。今は熱も落ち着いて必要なときにのみ出かけている。

  • 「ドラ松CD」の違和感と困惑の味わい
  • このアルバム、そういえばあれ以来聴いていないな。やっぱり全然別物だよなぁあれは。
    次に発売されるドラマCDは脚本家がアニメと同じなので楽しみである。絶対に買おう。


■6月


■7月


■8月


■9月

  • ごきげんよう!
  • 疲れ切って半ばヤケッパチになりながら日記を書いている。疲れているなら日記を書かずにさっさと寝るべきと思うのだが、吐き出さないことには眠れない日もあるものだ。

  • 蝸牛
  • 玄関ドアーに貼りついていた蝸牛の思い出。今も思い出すと少し寂しくなる。

  • 重陽の節句
  • 重陽の節句だよ。

  • 暗証番号よ、ごきげんよう
  • 所有しているクレジットカードの暗証番号を十年近く知らなかった。我ながらどうかと思う。
    だが、何とかなるものだ。


■10月

  • NATOとKGBと冷戦と戦車と鬼
  • 漫画「エロイカより愛をこめて」にはまり、既刊全巻購入したのはこの頃か。しかし読み終わるのがもったいなくて三冊残して読み終わったところばかり読み続けている。あぁ、「竜馬がゆく」もそうだった。あれも読み終わりたくなくて最終巻を読み終えていないのだ。いつか読もう。きっと。

  • 千葉県佐倉市、佐倉駅
  • 鎌倉で呑んで電車で寝過ごして千葉県佐倉駅に下りて呆然とした話である。今まで一駅程度乗り過ごしたことはあったがここまではなかったため呆然とした。恐ろしい体験だった。

  • ソフト、ハード、ソフト
  • コンタクトレンズをハードからソフトに戻した経緯について。ハードを長年使い、ソフトに戻してわかったのは、己の眼球にはハード・コンタクトレンズが徹底的に不向きだったことである。あの目薬が手放せない日々は何だったのか……。

  • 汝、我が民に非ズ(町田康プロジェクト)
  • 町田康大好きです。

  • バーサス・G
  • ホウ酸団子を仕掛けてからゴキブリと無縁の生活を再び手に入れた。大事だな、ホウ酸団子。


■11月


■12月

日記録0杯, 日常

2016年12月31日(土) 緑茶カウント:0杯

にゃあ、と鳴いて猫が膝の上に乗る。レースのカーテンから差し込む日光が背中を暖めるも冷え切った部屋。しかし猫はお構いなく椅子に座った己の膝の上でゴロゴロと咽喉を鳴らし、左腕と脇腹の隙間に鼻先をぐいぐいと差し込んで、空間の全てを埋めようとする。

ぴっちりと閉じられた腕と体の間に猫の寝息が差し込み、ぷう、ぷうと熱がこもる。膝と腹と腕だけが温かく、床に接した爪先は冷え切っているが動かせない。自由な右手で猫の背を撫でると心地良さそうにゴロゴロと咽喉を鳴らし、寝ながら鼻先をぐいぐい押し付けてくる。

これが幸福なのかしら、と凍えた爪先をすり合わせながら思った。十一歳の飼い猫はぐんぐんと全ての隙間を埋めてしまった。己は本を読みたかったが手を伸ばせず、代わりに彼女の背を撫でていた。外からは車の走る音が聞こえていた。



日記録1杯, 日常,

2016年12月25日(日) 緑茶カウント:1杯

クリスマスイブ。商店街に軒を連ねるは釜焼きピザを売りにするイタリアンレストラン。前々から気になっていたので入ってみれば、ファミレスに毛が生えたようなメニュー。前菜にと頼んだカプレーゼはモッツァレラチーズではなくクリームチーズの欠片で、一口食べて笑ってしまったのは自分が家で作る簡単なつまみと全く同じ味をしていたから。レシピも何も無く適当に作ったこれをまさか外で食べる日が来ようとは。しかもこれ、明らかにkiriのクリームチーズである。

そして続いて運ばれた「日替わりチーズの盛り合わせ」にもクリームチーズの欠片が山となって積み重なっており、これはもしやと食べてみれば明らかに親しんだ味。間違いなくkiriのクリームチーズである。うーんこれは失敗だったかなと苦笑しつつ運ばれてきたピザ・ビスマルクを頬張る最中に会計を求められ、五千円支払って食事を終え外に出た。値段だけは立派であった。

そうしてクリスマス当日。美容院と整骨院を出て何か腹に入れようと入った馴染みのつけ麺屋にてつけ麺あつもりを注文する。あつもりとは、麺を湯にくぐらせて温めたものである。この店で生まれて初めてつけ麺を食べたとき、冷たい麺と熱いスープが織り成すぬるい口中がどうにも耐えがたく、それは己がぬるい食べ物が苦手だから。熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べたい、そういう欲求を持っているから。しかしここにてオーダーミス発生。一口食べてわかったそれは冷えた冷たい麺だった。

同じ味でも温度で変わる。己はこれを美味しく食べられない。ゆえに店員に声をかけ、あつもりで注文したが冷たい麺が届いたことを伝えるも、歳若のアルバイト店員はおろおろするばかり。ここで考える。この麺は既に口をつけている。このまま湯にくぐらすことはできないだろう。すると取替えを要求すれば、この麺は廃棄されるのか。それはもったいなく思う。

仕方無しに、出された冷たい麺をそのまま食べた。スープはどんどん冷めていって、食べ進めるほどに苦味を感じた。不味い。

己がこのまま食べると宣言したとき店員は明らかにほっとしていて、すると己は店員を助けたことになるのだが、結果不味い飯で腹を満たすことになり、歩きながらどうにも悲しみが生じ脳内でシミュレーションをしてしまう。だって本来であれば温かいものを食べて腹を満たしたかったから。美味しいな、と満足したかったから。

もしあの場で麺を温めることを要求したら店員はどうしただろう。既に口を付けている。困るだろうなぁ。では、冷たい麺は食べたくないのでこれはいらないご馳走様、とほとんど残して席を立ったら? ただの嫌な客だ。じゃあ、冷たい麺は食べたくないので新しく注文し直しましょう、と目の前の皿を無視して券売機の前に立ったら?

自分はそれらにならなかった。冷たい麺も廃棄物にならなかった。じゃあいいのかな。でも美味しくはなかったな。美味しいものを食べたかったな。

クリスマスなのでケーキを二つ買って帰った。ショートケーキと苺のチーズケーキ。いそいそと熱湯を沸かし、冷まして、丁寧に緑茶を淹れて食べた。美味しかった。ほっとした。

以上。これが己の2016年のクリスマスである。



日記録0杯, 日常

2016年12月18日(日) 緑茶カウント:0杯

昨日の日記を読み返すと、あたかも喧嘩に明け暮れ荒れた中学時代を過ごしていたかのようである。これは誤解を招くかもしれない。実際のところはと言うと、制服はきっちり校則どおりに着て、ヘルメットをしっかり被って自転車に乗って登下校しつつ、特定のクラスメイトと放課後にやたらと取っ組み合いをし、二人の喧嘩の多さを心配したクラスメイトによって二人そろって学級委員に推薦され、協力し合うことを余儀なくされつつも、別にお互い憎み合ってはおらず、卒業後も平和に年賀状を交換し合ったりmixiで交流したりしていた。

そういえばいつかの大晦日。年が明けたばかりの深夜に突然メールが届き、呼び出されてお焚き上げを見に行ったことがあった。年賀状の交換こそしていたものの頻繁に会うことは無かっただけに、どうしたんだ急に、と思ったが、もちろん殴り合いの再戦は起こらず、暗闇の中で赤く燃える炎に顔を照らされ、パチパチと爆ぜる音を静かに聴いていたのであった。

思えば何であんなに喧嘩をしていたのか。気が合ったのか合わなかったのか、はたまた両方か。最近は年賀状の交流も途絶え、mixiは廃墟と化している。しかしまた、いつか再会するときが来るだろう。そのときにはまた取っ組み合いをしているかもしれない、と考えると楽しい。その日を楽しみに待とうじゃないか。



日記録0杯, 日常

2016年12月17日(土) 緑茶カウント:0杯

「前歯の神経死んでますね。喧嘩とかしました?」
「いや……身に覚えがないです……」

前歯が勝手に死んでいた。その死に己は全く気付かなかった。何も異常が感じられなかったので。

曰く。過去の治療がよろしくなく、神経が死んでしまったのではないかとのことで。歯科医師の言うとおり前歯の神経は死んでいたらしく、麻酔無しでゴリゴリ削られても全く痛みはなく、その事実に己は呆然としたのであった。だって何も予兆が無かったので。そしてその予兆が無いままに、綺麗なセラミックの覆いをつけるために十五万円かかると言われたので。

十五万円。

思いを巡らせる。いつか誰かに顔面を殴られた過去はあったかと。しかし若干荒れていて、荒れていても真面目さんと言われていたレベルの可愛らしい中学時代、クラスメイトと放課後に取っ組み合いをしていたが顔面を殴られるレベルではなく、生徒会長を務めていて、荒れるっても可愛いレベルだったよなぁと思い返すとやっぱり心当たりは無く、するとやっぱり過去の治療がよろしくなかったのだろうなぁと思うも、問題を指摘された歯の見た目は何も問題ないだけに遣る瀬無い。

しかし思えばその問題の歯の真上の歯茎は一箇所だけ茶色くなっていて、歯に穴を開けられ、溜まっていたという膿を吸い出されてからは健康なピンク色に戻ったので納得のいく次第である。そして思い返すのが前歯にちょっとしたむし歯が見つかった十年前のことで。あの治療以来歯の神経が死んでいたのか、と思うと何とも言えない気持ちになり、深いため息が出るのである。

十五万円で、歯。健康とは金のかかるものである。