未分類0杯, 100曲ライブ, 水戸華之介, 非日常

160319_2148

ライバルを増やしたくないので黙っておきたいのだが、やはり言わずにはいられない。水戸さんの百曲ライブにおいて、一番底抜けに面白く楽しいのは吉田一休回である。今夜もさいっこうに楽しかった!

しかし自分が話すまでもない。水戸さん曰く、この回のライブのチケットは売り切れるのが早かったそうだ。吉田さんは水戸さんが言うところの「チャレンジ枠」で、MCも楽屋のノリになってしまいがちとのこと。そのため、これで本当にお客さんは面白いのか、面白いのは自分だけじゃないのかと水戸さんは何度も口にする。いやー水戸さん、それが最高に面白いのですよ!

吉田一休回での水戸さんは、より素に近い姿を見せてくれるように思う。自分を慕ってくれていて、付き合いの長い後輩を相手にニコニコと楽しそうに話し、演奏がストップすれば笑いながらダメ出しをする。とにかく後輩が可愛くて仕方がなく、吉田さんも水戸さんが大好きな様子が伝わってきて実に微笑ましい。そしてシンプルかつ盛り上がる楽曲の数々はカズーと手拍子の大盤振る舞い。シリアスな曲や悲しい曲ももちろん好きなのだが、最初から最後までほぼお祭り騒ぎ、というのも快感なのだ。

トークはどこまでも転がりに転がり、ライブは約三時間と言う長丁場に至ったが、長さを感じさせない楽しさの連鎖がたまらない。アンコールの中、残り一曲というところで喋りたくなった水戸さん。こんなに喋ってて良いのかなと言いつつひたすら面白トークを聞かせてくれて、楽しそうに話す水戸さんを笑い転げながら観るのは実に嬉しく楽しかった。

百曲ライブでお馴染みの舞台、ライブハウス「七面鳥」は改装をしていて、ステージと客席の位置が反転していた。以前は客席の間に出来た道を通って水戸さんはステージに上がっていたが、楽屋のすぐ横がステージに変わったため、客席にあった通り道は無くなっていた。これはちょっと寂しかった。前は盛り上がった水戸さんが客席を練り歩いてくれたりしたが、もう通れなくなってしまっている。うーん、残念。前の方が距離が近く感じて好きだったなぁ。

ハイネケンを呑みつつ、流れる音楽を聴きながらゆったりと開場を待つ。何もせず、ぼーっとステージの奥の壁を眺めるひとときはわりと好きだ。集団の中で一人を楽しむ面白さ。雑踏を歩く気分に似ている。

しかし照明が落とされるや否や、今まで他人だった周囲の人々と息を一つにするのだ。ステージに水戸さんが現れた瞬間、バラバラだった他人達がオーディエンスという群れに変化し、同じように声を上げ、拳を振って手拍子を叩く。一曲目は「唇にメロディ、心に牙を」。やったー! 大好きな曲だ!

と、大喜びした直後。死ぬほど大好きな「家のない子に」が二曲目で演奏されて、心の準備が出来ていなかった己は喜びのあまり「ギャーーー!!!!」と叫びそうになった。叫ばなくて良かった。

吉田一休回ということで、屑の曲が多めである。嬉しい。屑好きなんだよなぁ。アルバム一枚だけなんて実にもったいない。屑のライブも行ってみたかったなぁ。でもこうして聴けるから幸せだー。

「唇にメロディ、心に牙を」「家のない子に」「奈々」「ナイタラダメヨ」「カナリア」「マグマの人よ」「しあわせになれ」を聴けて嬉しかったなぁ。レア曲は「バイキンロック」。演奏後、水戸さんが「当時、何かの思いを込めて歌詞を書いたはずなのに、何を言いたいのかわからない」と言っていて、自分もあの歌詞をどのように受け取れば良いのかわからなかったのでちょっと安心した。

「バイキンロック」では、ミスにより演奏をやり直す場面も。吉田さんがギターのコードを踏んで座ってしまったことで、ギターを動かしたときに不具合が生じたようである。水戸さんはそのミスの原因を指摘しながら、「しょうがない奴だな~」とでも言いたげに楽しそうに笑っていた。微笑ましい。

今回のライブのあらゆるところで活躍したカズーは、水戸さんが今まで使っていたものと違うものだそうだ。曰く、どこの楽器店でも見かけなくなり、調べたところ輸入代理店がなくなったとかで、日本での購入が出来なくなってしまったそうだ。新しいカズーは片面が赤い色をしていて、水戸さんの手の中で存在感を主張していた。

水戸さんは茶色の薄手のカーディガンのような上着を着ていて、下は文様入りの黒Tシャツ。上着を脱ぐと半袖で、下に二の腕まで袖がある衣類を重ね着していたように見えたが、腕を挙げたときにそれがリストバンドの二の腕版のようなものであることがわかった。あれは何と言うのだろう。

吉田さんはオールバックに黒い衣装。初めて見たときが全身真っ赤なジャージ姿で、未だにその印象が強いため「今日は地味だなー」と思ってしまった。

吉田さんは「~ので」という水戸さんの言い回しが好きだと言っていて、ライブの後半で「~から」と水戸さんが言ったとき、「~ので、と言ってくださいよ!」と注文をつけていた。あまりそこに注目したことがないので、今度から「~ので」に注意を払ってみよう。曲については、「A・E・D・D」の歌詞について言及し、水戸さんは「これは九十年代に作った曲だけど、この歌詞に書かれているのはもうちょっと古い時代」と話し、時代性を切り取ることについて語っていた。

印象的だったのは映画についてのMC。以前は家で映画を観ていたが、家だと集中できないため映画館に通うようになった水戸さん。しかし水戸さんがよく利用していた映画館が次々と閉館し、映画を見るためにはちょっと足を伸ばさなくてはならなくなったそうで不便を強いられているそうだ。そんな不便もありつつも、事前知識なしで小劇場に入る水戸さん。するとマッドサイエンティストにより人間がアザラシに改造される奇妙な外国映画や、深刻な家族の物語を描いた重い作品かと思いきやひょっとしてこれはコメディなのか……? と劇場の誰もが困惑する作品などを観たという。それらを面白おかしく語ってくれた。ちなみに前者は実際はアザラシではなくてセイウチで、タイトルは「Mr.タスク」と言うらしい。

あと、果物屋のカットフルーツが、コンビニやスーパーで売っているカットフルーツとは比べ物にならないくらい美味しく、週に二、三度買っていたら店員に覚えられてしまい、「常連さん」扱いをされるのが苦手なために悲しみを覚えたという話や、子供の頃の同級生の印象的なエピソードなどなどが語られた。

「マグマの人よ」は圧巻である。マイクを外し、水戸さんの地声と声に込められた説得力が空間と壁を響かせる。まるで茶の間で語れるようなゆるくも楽しいトークと、歌の迫力のギャップの大きさ。この切り替えの見事さがたまらない。

最後は二十面ダイスを振るい、今回演奏された二十曲の中から一曲を選ぶ。選ばれたのは「しおしおのぱあ」で、吉田さんの意気込みにより、本編とは違うキュートなアレンジで始まり、中盤で爆発し、後半は大盛り上がり、という構成で幕を閉じた。皆で声を出して歌い、手拍子をする。ライブの基本の楽しみをぎゅっと凝縮されたかのような、シンプルな満足感の心地良さを満喫した。

ちなみに今回は「チャレンジ枠」だが、次回は「人体実験枠」とのこと。ゲストは水戸華之介&3-10Chainのメンバーであり、筋肉少女帯の屋台骨・内田雄一郎である。いったい何を見せてくれるのか。二週間後が楽しみでならない。



日記録0杯, 日常,

2016年3月18日(金) 緑茶カウント:0杯

食べることは好きである。忙しい時分にはなかなか難しいが、時間のあるときは台所に立って、ちまちまとおかずを揃えて小鉢を並べ、ゆったりと食事を楽しむこともある。白米、汁物、お浸し、煮物、メインの何か、などなどを箸でつまんで満ち足りた気分に浸る幸せ。とはいえそんな食事を毎日用意するのは不可能である。しかしなるべく自炊をしたいという気持ちもあるので、休みの日におかずを作り置きするのが習慣化している。一時期はキヌアにはまっていた。あれはなかなか便利である。

このように、食事に対してそれなりのこだわりはあるのだが、あくまでもそれはそれなりに過ぎず、別の側面から見ると己は食事に対して無頓着な人間である。何故なら、ずっと同じものばかりを食べていても飽きないし、特に不満がないからである。

そして、新規開拓をしない。もっと言うと食べたことのないものをあまり食べたいと思わない。美味しいと知っているものだけをひたすら食べ続けたい。そんな平坦な人間である。

よって、一週間ずっと食べ慣れたものを食べ続け、次の一週間はまた別の食べ慣れたものを食べ続け、と実に変化のない食生活を送っている。一応、三日続けてほうれん草のお浸しを食べたら、四日目はオムレツにしたり、スープにしたりと変化をつけることもあるのだが、だいたい同じである。我ながら栄養が偏りそうだなぁと思っている。

こんな食事をしているのに、自炊をしているというただそれだけの理由で、料理が好きで食事が好きで食べることに興味津々と思い込んでいる人がいて、一年くらいかけてその誤解を解こうとしているのだが未だ解けず、横文字のアクセントの未知なる料理屋に誘われるたびに断る日々を送っている。今日食べたのは、米の上にキャベツの千切りを敷き詰めた豚の生姜焼き丼と、ほうれん草と卵のスープ。食べ慣れた味である。美味しかった。



日記録0杯, 日常

2016年2月28日(日) 緑茶カウント:0杯

己はわりと、自分の好きなものを隠さない。興味のない人にしつこく語らないよう気をつけてはいるものの、好きなものは好きと宣言しまくっている。故に親しい友人は己の好きなものをよくよく知ってくれていて、そのためか、たまに思いもがけないプレゼントをくれるのである。

あるときは、水木しげるロードに遊びに出かけた友人が、わざわざ現地から己に電話を寄越してくれた。たまたま寄ったが、ウヲが好きだったことを思い出したから、と言ってくれ、欲しいものがあったら買ってくるよというありがたいお言葉。そうして後日、我が家に水木しげるグッズがたっぷり詰まった箱詰めが届いたのである。

またあるとき。衛星放送で筋肉少女帯のライブが放映されたとき。我が家は衛星放送が映らないので観られなかったのが、友人が「録画したけど、観る?」と声をかけてくれた。ちなみに友人は筋少ファンではない。己が筋少ファンであることを思い出して、わざわざ録画してくれたのである。

またあるときに届いた誕生日プレゼント。開けてみるとゲゲゲの鬼太郎のフィギュア。びっくりした。

ありがたいなぁ、と思う。自分の好きなものを覚えていてくれるのみならず、わざわざ連絡をしてくれるって、たまらないなぁ。その親切に己は応えられているのだろうか。応えられるようにしなければなぁ、と思いつつ、自分がありがたい状況にいることを実感するのである。運が良いと思う。このように、優しい人と親切な人に囲まれていることは。

では、自分がその優しさと親切に返せているかと言うとやはりわからないので、その友人達に負けないようにしたいなぁ、と思うのである。嬉しいからこそ。嬉しいからこそ。嬉しいからね。だからこそね。



日記録0杯, 日常

2016年2月13日(土) 緑茶カウント:0杯

サイト開設当時から置いているカウンターが、ついに八万をカウントした。わーい嬉しい。一時期は日に一人二人しか訪れず、自分以外の誰が見てんだこのサイト、と思いつつも日記書くの楽しいなーとポチポチ更新していた。まぁ詮無いことである。スマートフォン利用者が増えたにも関わらず、全くスマートフォンに対応していないサイトだったのだから。つまり、パソコンでしか見られなかったのである。見られないんじゃあ見に来る人が訪れるわけもない。当然だ。

ところで。本日びっくりしたのだが、今の若い人は「カウンター」を知らないらしい。SNSの普及につれ、絵や文を発表するのに個人サイトを作る必要が無くなった故だろう。ということは、掲示板やキリ番といった単語とも無縁なのだろうか、と考えるとやや寂しいが、時代の流れなのだろうなぁ。

このサイトの左下にひっそり配置しているカウンターは、もう十年以上前に設置したものだ。いったいどれだけ正確にカウントしてくれているのかわからないが、たまに確認して、あぁ回っている、と思うとやはり嬉しくなるのである。

十万まであと少し。嬉しいな。



未分類0杯, 初参戦, 特撮, 筋肉少女帯, 非日常

大槻ケンヂ生誕祭、ということで初めて参戦した特撮のライブ。ゲストは筋肉少女帯。冒頭のMCで、五十歳を迎えたことにより五十歳欝になってしまったオーケンに、五十歳も良いものだな、と思わせることが今回のライブの主題であると語られた。チケットはソールドアウト。会場は燃え上がり、エディからはオーケンへの感謝の言葉が贈られ、橘高さんは五十本の薔薇の花束を抱えて登場。アンコールではオーケンの顔写真がプリントされたバースデーチョコレートケーキが運ばれ、オーディエンスを含め、皆で記念写真を撮った。生誕祭にふさわしい、素敵なライブであった。

でも、自分はちょっと物足りなかったんだ。そうして、自分はやっぱり、ヒビワレメイクを施した大槻ケンヂが一番好きだということをつくづく実感したのである。

恐らく時機が悪かったのだ。己が筋少を知ったとき、既に筋少は凍結されていた。ライブを観てみたい、新曲を聴きたいと思いつつ叶わない状況にある中で特撮を知り、特撮を筋少の代替として手に取ってしまったのだ。それは特撮に対しても筋少に対しても失礼な行為であったと思う。何枚かのアルバムを聴いて、とても好きになった曲もあった。だが、どれも筋少とは全く違うもので、そのことに寂しさを感じていた。

筋少と特撮が全く違うのは当たり前のことである。演奏者が違って、作曲者が違って同じものが出来上がったら個性が無いのと同じことだ。だから自分が特撮を「違う」と感じたのは、同じボーカル・作詞者大槻ケンヂがいたとしても、メンバーによってその色が大きく変わる証拠に他ならない。また、それだけ違う色を「大槻ケンヂ」は彩ることが出来るのだ。だからこそ、二つのバンドがある意味がある。

それをよくよくわかっているのだが。始まりがそれだったので、未だに己は特撮を上手く受け取れない。今日のライブで聴けた曲。「5年後の世界」ならぬ「50歳の世界」、「文豪ボースカ」「ヌイグルマー」「林檎もぎれビーム!」「ヤンガリー」「バーバレラ」「綿いっぱいの愛を!」。やったー聴けた! ついに生で聴けた! 「文豪ボースカ」って、ライブだと後半が「何故だ何故だ何故だボースカ!」の繰り返しで終わるんだ、格好良い! うわー「バーバレラ」! 大好きなんだよこの曲、寂しくて切なくてやるせなくって! カラオケで何度も歌ったよ! 「林檎もぎれビーム!」たまらない! うわーマ太郎の声懐かしいなぁ! 「あいつらにだ!!!!」って皆で揃って叫ぶのは何て爽快なんだろう! 「ヤンガリー」ってこんなに格好良い曲だったんだなぁ……! って、感動したのだが、後半でゲストの筋肉少女帯が現れた瞬間、欲しいものはここにあった! と感じてしまったのである。

特撮と筋少の違いを見比べるのは面白かった。特撮のメンバーは定位置からあまり移動しない。まぁ、メンバー四人のうち、ドラマーとピアニストは楽器が固定されているので動きようが無いから当然の結果かもしれない。そんな中でたまにエディがマイクを片手にステージ中央にやってきてくれたりするとたまらなく嬉しくなる。そうだ! エディが上手前方にいたことに、最初驚いたんだ! これだってよくよく考えたら当たり前のことだろうになぁ。

「愛のプリズン」が格好良い曲になっていたことにびっくりした。あれ? 何の違和感もなく格好良いってどうなんだろう……と困惑もした。曲中、オーケンが腰をぐるぐる回していたのだが、それが父が毎朝やる腰痛体操そっくりだった。

五十歳になってからオーケンは夜中に足がつるようになったそうで、今までスルーしていた薬局の看板に反応するようになったそうだ。披露されたエピソードにわははと笑いつつ、足がつるようになっても、こうしてステージに立ってくれていることがとても嬉しいと思った。

五十歳を迎えたオーケンは、二十代の頃の自分が一番綺麗だったと冗談まじりに語る。確かに二十代のオーケンは美しかった。長い髪に、シュッとした輪郭。どこか危うげなところがあって、そこがまた綺麗だなぁと過去の写真を見るにつけ思った。でも自分がオーケンを知ったときには既にスキンヘッドであり、初めてライブで見たときにはプロピアモヒカンをつけていた。それが最高に格好良かったし、今の白髪のオーケンも最高に格好良い。でも、やっぱりヒビが入っている姿が一番好きなんだな、と思いつつ。まっさらな顔のオーケンを眺め、色々な顔を持って活動出来ている現在を喜び、そうして祝福したのである。自分はきっと特撮には夢中になれない人間だが、オーケンの中に特撮という要素はいつまでも輝かしくあって欲しい。ソロと電車と筋少と空手バカボンと、その他数々の色々なものを抱きながら活動を続けて行って欲しい。きっとそれが、オーケンがオーケンらしく、生き生きと活動できる術であるのだから。と実感したのであった。