日記録0杯, 日常

2016年9月11日(日) 緑茶カウント:0杯

クレジットカードを持ち始めたのはおよそ十年前だろうか。そして今日に至るまで、己はずっと自身の暗証番号を把握せずに過ごしていた。それは己の生活に大きな影響はもたらさなかったものの、時に不便であり、時に不自由であった。

問題はクレジットカードを自由に扱えないことではない。自身が所有しているクレジットカードの暗証番号すら知らないことへの何とも言えない心もとなさがどうにも引っかかるのである。その引っかかりは日常でこそ顔を出さないものの、ふとしたときにじくじくと苛まれた。良い大人が、自分の所有している自分名義のカードの暗証番号すらわからないなんて! と。

今でもあのときのことを覚えている。銀行で生まれて初めて口座開設の手続きをする最中、キャッシュカードをクレジットカード機能もあるものにするか銀行員に尋ねられ、返答をし、暗証番号を決めてくれと言われたあの日。何でも良いのでわかりにくい番号にするべきこと、誕生日などは避けることを伝えられ、適当な数字の羅列を己は銀行員に伝えた。己はそれを控えなかった。何らかの形で通達されるものと思っていたからである。しかししばらくして、その考えは甘かったことを思い知るはめになるのであった。

以来。縁もゆかりも無い四桁の数字は本当に縁もゆかりも持ち得ない数字になってしまった。そして先日。ついに思い立って暗証番号再発行の手続きを行い、暗証番号と十年ぶりの再会をした。あぁ、やっぱり。その数字は何一つ、自分にとって関係の無い、セキュリティ対策バッチリのものだった。それはもう、本人ですら十年間その暗証番号を突破出来なかったほどに。当時の自分は本当に出鱈目に、適当な四桁を伝えていたことをまざまざと思い知らされた。

ごきげんよう、お帰りなさい暗証番号。十年ぶりだね暗証番号。こうして暗証番号を手にしてみると、ずっと抱えていた引っ掛かりが解けて消え、晴れやかな気持ちになって実に清清しい。意外と自分はこのことを気にしていたんだなぁ。気にしてはいたものの、どうにか対策の取れる程度の不便だったのでここまで再会が遅くなってしまったんだなぁ。ははははは。これからはもう、気をつけよう。



日記録0杯, 日常

2016年9月6日(火) 緑茶カウント:0杯

あぁ! ついに彼は干からびてしまった!!

「彼」と称するのは正確ではない。何故なら彼は雌雄同体だからである。彼の姿を初めて確認したのは果たしていつだっただろうか。梅雨入り前か、その後か。とにかく二ヶ月近く前。小指の先ほどの薄茶色の巻貝が我が家の玄関ドアーにぴったりとくっついていた。そうしてそれから出入りのたびに己は彼の姿を目にしつつ、こんなところにいて耐えられるのだろうか、と気になっていた。

天井があるため、雨が降っても彼に水は届かない。しかし耐えるようにじっと彼はへばりついている。己は毎日ドアーを開け閉めするたび、「まだいる」「まだいる」「生きてる?」と気にしながらも一滴の水さえ彼に運ぶことはしなかった。特に深い意味は無い。彼の存在は確かに気にはなっていたが、それ以上にはなりえなかったのである。

ある夜帰宅するといつもの定位置に彼はおず、視点を下にずらせばカラリと床の上に転がっていた。

殻の中を覗き込む。カサカサだった。ついにここに来て己は水を与えた。彼の体は縮んだままで、触覚が伸びることもなかった。この水はもっと早くやるべきだったよなぁ、と思いつつじっとりと重い色に染まる殻を眺めた。

今もつい、彼のへばりついていた定位置を確認してしまう。しかしそのうちその習慣も失われることを己は知っている。今はまだ見ている。そこには何も無い。今はまだ、ちょっと寂しい。



日記録0杯, 日常

2016年8月16日(火) 緑茶カウント:0杯

祖父母の家に行って帰ってきた。疲れた。しんどかった。ここ十年ほど、祖父母の家に行くたびに己の精神は疲弊する。出来ることならば行きたくないのが本音である。しかし年老いた祖父母は会いたがっている。では、年に一度の盆くらい向かおうか、と思うもののしんどさはそのままあり続け、とにかく辛い。

そこで、己がどこにしんどさを感じるのか書き上げて行ってみようと思う。

(1)言葉がわからない
冗談でもなく、馬鹿にしているわけでもなく、事実として半分ほどわからないのである。大分に住む祖父母と、群馬で育った自分。方言の種類が違うのである。そうして祖父母の方言は、つらつらと語られると文節の区切りも判断がしづらく、何を話しているのかよくわからないのである。

さらに、今の話をしているのかと思いきや昔話だったり、地域独特の固有名詞を当たり前のようにスルッと出されると、話を聞き取るのも難しく、相槌を打つしか方法が無く、ろくな返答を得られない祖父母は穏やかな笑みを浮かべたままがっかりするのである。

(2)共通の話題が少ない
まず己はさほどテレビを観ない。映画も観ない。テレビは朝のニュースを見る程度、映画はこの間数年ぶりにシン・ゴジラを観たくらい。オリンピックにもワールドカップにも興味がなく、当世流行の俳優もろくに知らない。ドラマも観ない。

祖父母の家では自然居間に集うことが多く、そこで映っているチャンネルを観る。そうして「この俳優は誰か」「このドラマを観ているか」と質問を受けるのだが、「知らない」「観ていない」としか答えられず、何故観ないかと問われれば「時間が合わない」「興味がない」としか答える術がないのである。

また、音楽番組が流れたとき、「最近の若いもんはこういう音楽が好きなんじゃろう」と話を振られるものの、己の好きなミュージシャンは基本テレビに出演せず、その番組に出ているミュージシャンも己が知らない人ばかり。彼らに対して何かしらの講釈を行うこともできず、「自分は知らないので何とも言えないですが、流行っているみたいですね」としか言えないのである。

(3)食事の量が多い
つらい。とてもつらい。炎天下出かける先もなく、外に出ても店もない山奥である。やることと言えば専ら室内で本を読むことばかりでろくに体を動かさないのに、きちんきちんと三食たっぷり食事が出され、おやつまでついてくる。腹の中がこなれる前に次の食事が出てきて、量がまた多いのだ。己はもう三十で十代の頃の食欲はない。しかし伝えても実感として沸き起こらないらしいのである。

(4)テレビの人に対し根拠なく暴言が飛ぶ
テレビに向かって好き勝手喋っていると言えばそれまでだが、例えば美しい女優が映ったとき、「こういうのはどうせ料理なんかでけんぞ」と言う。もしかしたら、そう言うことでその場にいる「平凡な容貌の女性」を褒めているのかもしれない。その場にいる男性陣に「容貌だけを重視するべきではないぞ」と伝えているつもりなのかもしれない。ただテレビに映る美しい人はただ美しいだけであり、何の根拠もなく暴言を吐かれる言われなどないのである。

己の両親はそんないい加減なことを口にしなかったし、そんなことをしてはいけないと教えてくれていただけに、ただ悲しい。

(5)家族は一緒に住むのが良いと諭される
祖父母と食卓を囲みながら、「やはり大勢で食事をするのは美味しかろう?」と言われる。そうして、現在父・自分・妹がそれぞれ一人暮らしをしていることに言及されるのである。そうして己や妹の生き方にまで言及されるのである。知っているよ家族の団欒が楽しいってことは! ただそれぞれ事情もあるし、この食卓と比べたら一人でささっと食べる飯の方がずっと美味しいよ! 気楽だから! と思うも流石に口は閉ざしている。

(6)結婚とひ孫を望まれる
良いじゃないかあなた方は四人の孫に恵まれたのだから! それで充分じゃあないかと言いたいが欲望は尽きることがない。良い人はいないか、見合いをしないか、ひ孫を作ってくれ……勘弁してくれ!

ちなみに自分は跡取りもしくは跡継ぎという立場であり、よそ様に紹介されるときには必ずそれを言われている。オーケー、後は継ごう。ただし先は続かないけどな!

(7)男性らしさ女性らしさを望まれる
仕方ないのかもしれないが、その傾向が強い。やれ髪が長い短い、男んじょうはそんなリュックは持ち寄らん、などなど。放っておいてくれよ! このリュックはメンズだよ! 料理が出来るから何だよ! 炊事洗濯なんざ人間として生きるための必須スキルだよ!

(8)欲しいものがない
こんなことを言っちゃあいけないかもしれない。ただ事実として、八月の前半己は非常に忙しかった。疲れていた。くたくただった。そんな中で大分への移動。飛行機と高速バスと自動車を組み合わせてようやく着いたスーパーもない山奥で、己はただ寝たかった。
ただ祖父母は、ずっと家にいてもつまらなかろう、と言って、片道一時間以上かけて己を道の駅とスーパーに連れて行ってくれた。何でも欲しいもんを買うちゃるぞと言われた。しかしその時点で昼に食べた飯がまだこなれていなく、欲しいものもさほどなく、ただただ休息をとりたくて、長旅の末巨峰だけ買って我々は帰ったのだった。
申し訳ないと思ったが、欲しいものが見つからず、親切心はありがたかったが、その温度差がしんどかった。

(9)小遣いをくれる
以上のことにより、どちらかと言うとぐったりしていて、あまり好意的なやりとりが出来ていないにも関わらず、小遣いをくれるのである。いらないと言っても「小遣いをやるのが楽しみだから」と言われ、結局受け取るのである。十三万。小遣いという額だろうか、これが。
そうして自分は、ろくろく期待に応えられてもいないくせに、小遣いをもらってへらへら笑う卑怯者に成り下がるのである。


以上。これが分析の結果であり、帰宅した後己はしばらく鬱々としていた。幼少の頃は屈託なく話が出来たのにいつから出来なくなったのか。そうして、憂鬱を愛する音楽で癒したのであった。

しんどい。申し訳ないが。申し訳ないのだが。



日記録0杯, 日常

2016年6月11日(土) 緑茶カウント:0杯

目が覚めたら家の洗面所にいて、服を脱ぎ散らかしてうずくまっている状態だった。時刻を見れば午前三時。そして己は急いでシャワーを浴びて、床に就いたのである。

このところ、やけに忙しい。己はそもそも忙しさはあまり好きではなく、ちゃらんぽらんな感じで生きていたいのに現状は正反対である。日記を書くのもままならず、夜遅くまで営業している本屋にも寄れず、しかしガス抜きをしなくては生きていかれないので何かしらの趣味の時間は確保して、すると睡眠時間が無くなって、という状態。きつい。実にきつい。

そんな中、今日は大学の友人と集まって、実に楽しい時間を過ごしたが、集まった友人の一人に「顔めっちゃ疲れてるけど大丈夫か」と言われ、やっぱそう見えるかーと思いつつ、「大丈夫じゃねーよ」と冗談を飛ばしたのである。

まぁあれだ。今日は寝る。



日記録0杯, 日常

2016年5月7日(土) 緑茶カウント:0杯

ここ数日の天気と言ったらまるで夏のようである。まだこたつは仕舞えていないが電源はずっと切ったままでコンセントはとうに外してしまった。日中は半袖で過ごすのが常で春よりもむしろ夏の装いに近い。すると飲み物も必然冷たいものを欲するわけで、じゃあそろそろ冷たい緑茶でも淹れようかなと棚の奥からガラス瓶を取り出し、茶葉まで用意は出来たが良いが、茶葉を包む紙パックが無いことに気付きがっかりした、そんな夜。

じゃあ緑茶の代わりに何か、ティーバッグのお茶はなかったかなと探してみるといつぞやお土産にいただいたフレーバーティーが一つ。まだ開封されていないそれの配合物を確認してみると、ジャスミンやら何やら華やかな植物がたっぷりで、我が家の台所においては異質な存在だ。じゃ、これを水出しにするかなとティーバッグをガラス瓶にポンと入れて水を注ぎ、ある程度エキスが抽出されるまでしばらく台所に置いて己は隣の部屋に移った。

そうして三十分後に台所に入ったら、台所全体がにおいで満たされていた。
華やかさとは程遠い、痒み止めの塗り薬・キンカンのにおいで。

……さっき己は台所でキンカンをブチ撒けただろか。いや、ブチ撒けていない。何だこれ? いやにおいの発生源と言えば目の前のガラス瓶しか心当たりがないが、何故? ジャスミンやら何やらの華やかな植物やドライフルーツが詰まったティーバッグからどうしてこんなにおいが発せられているのか皆目見当がつかない。疑問符を浮かべつつガラス瓶の蓋を開き鼻を近づける。もしかしたら原因は他にあるかもしれないと思って。

原因はここにしかなく、においはやはりキンカンだった。キンカンの原液だった。とりあえず冷蔵庫に入れた。問題を先送りした。

台所にはまだキンカンのにおいが満ちていた。

明日の朝、キンキンに冷えたキンカンの原液を己は飲むのだろうか。すごく目が覚めそうである。
明日は紙パックを必ず買おう。何だあれ。