日記録2杯, 日常

2014年6月30日(月) 緑茶カウント:2杯

体の調子がすこぶる良い。良すぎて若干戸惑うほどである。まるで変な薬を飲んだかのようだが、自分が飲んだのはヘム鉄一錠だけだ。

今朝は目覚ましの音とともに起床したものの、まだ寝ていられる時刻。二度寝をするかぁ、と思うも、一瞬にして覚醒してしまって眠れないのだ。結局五分ほど布団でごろごろしていたが空腹も感じたので起き出して台所に立った。体に疲労は無く、眠気も無く、頭はスッキリしていて実に快適であった。

何が良かったのだろう。ヘム鉄と筋トレによって貧血と血行不良が解消され、体中に血液が行き渡るようになったのだろうか。そういえば昨日は寝る前に飲酒をしたが、酒も全く残っていない。少し前まで、たった一本ビールを呑んだだけで、明け方咽喉の渇きと体の熱に苛まれ、飛び起きて水を飲むはめになっていたのに。これもまた、血行が回復したことで内臓に血液が届き、本来の働きを達成出来るようになったせいだろうか。

嬉しいなぁ、と思いつつ不思議だなぁ、とも思う。ちょっとした変化を取り入れるだけでここまで体調が変わるのか。面白いものだね、体ってのは。



日記録2杯, 日常

2014年6月19日(木) 緑茶カウント:2杯

昨日の耐え難い疲労について、ちょっと話を聞いておくれよ。あれは経験したことの無いものだった。

すごく疲れていて眠くて仕方が無い。疲労のあまりか下腹のあたりが気持ち悪い。そうしてベッドの上に横になったのだが、体があまりに疲れていて眠れないのだ。眠るためには、体に凝り固まった疲労が溶けて、リラックス出来る状態に至らないと眠れない。そこに到達出来ず、疲労が溶けるのをずっと待つ苦痛。これはちょっと、体験したことが無かったぜ。

埒が明かず、肩甲骨二枚、両二の腕、腰、合わせて五枚の湿布を体に貼った。すると整骨院で電流を流されたときのように、体を刺激するリズムが一定で流れ、それも五箇所からの作用であるのでようやく疲労がほぐれ、自分は眠ることが出来たのだが、起床時はまだ疲労が色濃く残っていて、非常にしんどかった。

そういえばここ数日疲れに任せてシャワーで済ましていたなと気付き、本日湯船に浸かったら快感のあまりよだれが出そうになった。出かけた。あぁ、疲れていたのだなぁと気付きつつ。今日は早寝をすることにする。体中に湿布を貼って。



日記録2杯, 日常

2014年6月12日(木) 緑茶カウント:2杯

ストレスを感じるとわりかし体調を崩しやすく、我ながらメンタルが弱いなぁと思うのだが、今は両二の腕と太ももと首がまるで筋肉痛のような痛みに苛まれ、腹痛と頭痛を発症、熱は三十八度二分という有様である。指に力を入れると二の腕が痛むので体を洗うのもしんどい。

空腹を感じて食事を摂るも腹を下してしまい栄養を摂取した気になれないのがつらいところである。うーん、困ったものだよ。

まぁ、原因は心労であるので、そいつさえ解決すりゃあ回復すると思うのだけどね。



日記録2杯, 日常

2014年6月4日(水) 緑茶カウント:2杯

鰻が好きなのです。鰻の蒲焼。甘辛くて美味しいよね。ご飯が進むよね。これがなかなか好きで、誕生日がちょうど土用の丑の日に近いので、せっかくだからってんで鰻屋に行って鰻重を食べたりするのですが、お重の横にあるお椀。こいつの名称が解せぬのだ。

だってよく考えて御覧なさいよ。人食い、首齧り、垢舐めときまして、ここに肝吸いが並んでも自然でしょう? どう考えたって妖怪のネーミングじゃないですか。それも結構悪質そうじゃあ無いですか。墓を暴いて死人の腹を裂いて肝を吸ったり、夜道を歩く旅人を襲って生きたまま肝を吸ったりしそうじゃないですか。何で食べ物の名前になってるの。

解せぬ。

しかもそのように考えると、肝吸いを吸ってる自分こそが肝吸いなのですよ。すると尚更おかしい。ちょっとあなた、吸われる方のお前が何故肝吸いを名乗ってるのよ。不思議だ。

多分今年の誕生日も肝吸いを吸いつつ納得出来ない気持ちを抱くと思う。肝吸われ。



日記録2杯, 日常

2014年5月29日(木) 緑茶カウント:2杯

どうしようもなくべろんべろんに酔っ払っていたにも関わらず、しっかり家に帰り、鍵をかけ、ジャケットをハンガーに吊るしてボタンを留め、コンタクトレンズを外して保存液に漬け込み、風呂に入って髪につけたハードジェルをしっかり落として、日記をつけ、体重と体脂肪率、食べたものを別途記録に残して就寝したらしいことを、部屋の様子と自身の日記の記録から知り、鍵と風呂はともかく日記と体重記録は別につけなくても良かったんじゃないか、と己の律儀さに呆れつつ感心した朝の自分は、吐き気に苛まれて死にそうになっていた。

二日酔いになるともう二度とこの苦しみを味わいたくないと毎度の如く思うが、いつからか、「もう二度と呑まない」と誓うことは無くなっていた。わかってるのだ。例え二日酔いで死ぬほど苦しんで、そのときはもう酒なんて目にしたくもないと思ったところで、どうせ楽になったら平気で呑むのだ。だから二日酔いになっても断酒は誓わない。二日酔いになっても今後も呑む。どうだ、潔いだろう。

それは潔いのではなく、ただの馬鹿の所業ですよ、とおっしゃるあなたはとても正しい。昨日はちょっと呑みすぎた……。