初詣にも行っていないのに初ライブに行ってきた。昨日幼馴染と遊んだとき、そいつは明日御祓いに行くと言っていたので、ついでにこちらの分も祓っといてもらえないかと頼んであっさりと却下されてしまったのだが、そうして御祓いもせず辿り着いた先が吉祥寺のSTAR PINE’S CAFE、ライブタイトルは「小畑ポンプ芸歴20周年記念興行第弐弾【電車セッション おかわりの回 フューチャリングただすけ】」だ。そして内容はと言うと、年の初めから死体に鳥葬に失恋に植物人間、御祓いどころか穢れも倍増な大変素晴らしい曲目であった。
以下、やや曖昧なセットリストである。
クレイジーケンバンドの「オレの話を聴け~」という歌
アタイばっか
あのこが遊びにくる前に
喰らわれた女の歌
死体のこもれび
パティー・サワディー
(ぽんすけ曲一曲目/空と雲と君と(?))
(ぽんすけ曲二曲目)
ヨロコビとカラスミ
夢見るショック!仏小僧
お別れの背景
OUTSIDERS
人間のバラード
~アンコール~
電車のヘイ・ユウ・ブルース
アザナエル
ところで今回、己は夜から予定があるため十八時にはライブハウスを出なければならなかった。しかし開場は十四時。開演は十五時。タイムリミットは十八時だが、三時間もあれば何とかなるだろう。せいぜい二時間半といったところではなかろうか、と読んでいた。読んでいたのだが、甘かった。
大変名残惜しかったがアンコール一曲目のヘイ・ユウ・ブルース途中で己は退場し、ライブハウスを後にした。最後までいたかったが仕方が無い。だが致し方の無いことだ。さしもの己もMCがこんなにたっぷりあるなんて予測することは不可能だ!
小畑ポンプさんがメインのイベントでこのようなことを言うのもいかがなことかと思うが、それでもあえて言うならば、MCならぬトークタイムはゲストが盛りだくさんののほほん学校を見ているようでもあった。今回セッションメンバーが五人だったのだが、うち三人が喋る喋る。そして二人も振られれば喋る喋る。演奏そのものよりもMCの時間の方が長かったのではないかと思うほどである。結局、ライブは三時間ちょっと行われたそうだが、その間演奏されたのは十五曲前後である。普段の筋少のライブは長くても二十曲やって二時間半といったところだ。筋少のMCも決して短くは無い。いかにMCが長かったかおわかりいただけるかと思う。
トークは抜群に面白く、わっはっはっはと笑いながら聴いてはいたが、今回ばかりはタイムリミットがあったので、後半は特に早く曲を! 早く曲を! と願いながら時計を見つつハラハラしていた。これでアンコールラストの曲がお別れの背景だったら己は涙を流していたかもしれない。
と、言うほどに楽しみにしていて、今日やってくれんかなやってくれんかなと期待して、イントロを聴いて大喜びしたのが「お別れの背景」なのである。お別れの背景が聴きたくてこのライブに来たと言っても過言では無い。筋少以外のオーケンの曲で、一、二を争うほど好きな曲なのだ。これを聴けて本当に良かった。一度生で聴きたいと思っていたのだ。嬉しかった。嬉しかったなぁ。
「お別れの背景」はとある恋人同士の二人組みが街へと出かけ、楽隊が歌い紙吹雪が舞い、ファンファーレが鳴り怒声が飛び交う華やかで騒々しい人ごみの中で、ひっそりと繋いだ手を離してお別れをするという曲だ。これの一番と二番の対比、称えられる英雄と怒声を浴びせられる罪人の描写が悲しい。そして何より切ないのは、英雄が昔人を殺したこと、罪人が昔人を愛したことを知っていながら、「だけどもういいじゃないか」と突き放すように、共に泣いたり笑ったりした恋人も、他人として思い出の中に消えていくことだ。「僕達」が「僕と元恋人」になる瞬間が描かれている曲なのである。
感無量の一曲だった。ここからOUTSIDERSに繋がるのがまた、切なくて良かったなぁ。OUTSIDERSを聴く度に感じるのはオーケンのマイノリティへの優しさだ。それは守ってあげようとしたり、権利をあげようとしたりするのとは違う、ただ存在を認識するという形の優しさだ。力強さは無く、やるせないばかりだが、やるせなさに同調してくれる。だからと言って慰めてはくれない距離感が実にオーケンらしいと思う。
今回初めて聴いたのは「あのこが遊びにくる前に」と「死体のこもれび」である。初めてというのはライブで初めてでは無く、本当に初めてという意味だ。というのも自分は電車のアルバムはライブ盤である電車英雄しか聴いていないからである。では何故二枚のオリジナルアルバム「電車トーマソ」と「勉強」を聴いていないかと言えば、持っていないからである。持っていない理由はと言うと、廃盤になっているからである。
あぁ、思えば筋少が再結成する前のこと。まだ筋少のアルバムを集めきる前で、筋少以外のアルバムにはさして興味が無かった頃。あの頃、タワレコで、棚に刺さった電車のアルバムを手にとって「うーん筋少じゃないんじゃなぁ」とレジに持って行かずにそっと棚に戻した自分の行動を思い返すと、何てもったいないことをしているのだと説教してやりたくもなるが、出会いにはタイミングがあること、悔いたところで仕方が無いことも理解しており、それでも、あぁもったいないことをした、と思わずにはいられない複雑な心境。次の出会いはいつだろうか。
閑話休題。この初めて聴いた二曲だが、特に「死体のこもれび」がすごかった。妖しい迫力のある曲で、キラキラしたキーボードの音が気味の悪さを強調し、それでいて優しく美しいのだ。これを聴いてますますオリジナルアルバムが欲しくなってしまった。中古屋を一所懸命回って探さなければならないな。
電車は筋少とも特撮ともまた一風変わった、オーケンが言うところの「ひねくれた」曲が多い。切なさともの悲しさと、やるせなさと妖しさと、優しさと気味の悪さが渾然一体となり、異様な迫力を持ってふらついている。言うまでもなく正月らしさは微塵も無い。が、紅白や正月特番バラエティの浮ついた華やかさにも少々飽きてきたのも事実。御節も良いけどカレーもね。一月三日に電車のライブを観るのはなかなかちょうど良いタイミングの毒の処方と言えるだろう。
MCの方でも毒の効いた発言があったなぁ。今年の正月、餅を食べて死んだ人間が東京都だけでも六人いるという話になったとき、オーケンが「正月に餅を食べるのは、昔からのそういう、人口の調節というか、正月に老人を殺そうみたいな」というような危ない発言をしていて笑えた。
そして今回、MCで大いに盛り上がったのがアルフィーの話題である。キーボードのただすけさんはアルフィーのキーボードもしており、そういった繋がりでアルフィーの話が出てきたのだが、アルフィーはライブ中に物販の販売を促進するためにコントをやるのだそうである。そうである、と言いつつ自分は妹がアルフィーファンであるため、そういった話は聞いたこともあったのだが、まさか一回のライブで二十分近くもコントの時間があるとは思わず、驚いた。ちなみに台本は高見沢さん作だそうである。
その流れで、アルフィーほどの大御所だってここまで物販に力を入れているんだから筋少も何かしなくてはいけない、筋少も最近ライブ中に物販のためのコーナーを作ったが、メンバー個人の物販を槍玉に挙げてネタにしたらそちらばかりが売れてしまって、筋少物販の売り上げは上がらなかった、なんて話をしていた。
あと、アルフィーがライブ中にコントをやる話を聞いたり、アニメの世界のライブを観たりしたことで、ライブってのは何をやっても良いのだと気付かされた、なんて話もしていたかな。その気付きが今後のライブに反映されることはあるのだろうか。コントが導入されたらどうしよう。
これもまたアルフィー関連で。ライブ中のコントの話から、オーケンが有頂天もライブ中に芝居があり、筋少のおいちゃんも有頂天に在籍していたのだが、いつの間にかギターを弾く時間よりも芝居の稽古をする時間の方が長くなり、それが嫌になって有頂天を辞めたという、一部で有名な話をしていた。そういえば有頂天もまだ聴いたことが無いんだよなぁ。
ライブの始まりはクレイジーケンバンドの「おれのはなしをきけ~」という歌詞の歌を一人ステージに登場したポンプさんが歌い、曲が流れる中で他メンバーが登場、全員揃って配置につき、中央に立ったオーケンがまた「おれのはなしをきけ~」と歌うという、ちょっと変わった演出だった。オーケンが今年最初にステージで歌った歌はクレイジーケンバンドだそうである。おれのはなしをきけ~。
ライブハウスは一階と二階に分かれていて、一階にも二階にも丸いテーブルと椅子が置いてあり、食べたり飲んだりしながらライブを観られるようになっていた。カップに入ったコーヒーなどを飲めるのが普段のライブハウスと違ったところか。とはいえ己はいつものようにハイネケンを呑んでいたのだが。後ろの方の番号だったため、見えるかどうか心配だったが、段差があったおかげで見晴らしも良く、耳も目もしっかり満喫することが出来た。スタンディングも好きだが、こういうまったり楽しめるのも良いものだよな。楽しかった。