日記録3杯, 不死鳥, 水戸華之介, 非日常

非常に素晴らしいライブだった。

水戸さんのライブは今までにも何度か参戦したことがあったが、曲の盛り上がりのわりに観客が落ち着いていて、押しもほとんど無く、まったりと自分のスペースを確保しながら騒ぐことが出来る。それは快適でありつつも、いつも小さく物足りなさを感じていた。無論アコースティックライブでそれを求めることはしないが、バンドなら、この曲なら、こんなに格好良い曲なんだから! もっと弾けたい! と常々思っていた。

そして二十五周年記念のこの興行。当日券は若干数販売の大入り満員。己の整理番号は百番以内。入場後しばらく経つと後ろの方まで人人人。さらに、開演前にスタッフから、入り口付近が混雑しているので一歩ずつ前に詰めてください、とアナウンスがあった。

これはもしかして、今回はすごいんじゃないか?

予想は的中。ステージに水戸さんが現れた途端前へ押し寄せる人、そして「祈り」「すべての若き糞溜野郎ども」で初っ端から爆発する観客。やったよ! これを望んでいたんだよ! と心の中でガッツポーズをしながら、しかしいつもの様子を想定して来たと思われる、あのご年配の方は大丈夫だっただろうか、と右前方に立っていたご婦人を思ったが、気付けば自身もぐんぐん押され、あー念の為ロッカーに荷物を預けていて良かったと思いつつ、拳を振り上げ、押しに耐えながら力の限り叫んだ。

楽しかった。

水戸さんは冒頭で「デビュー二十五周年」なんて所詮自称だからね、デビュー二十五周年と言ったって、デビューする前から頑張ってるわけだから、ここをスタート地点と思っているわけでは無いと思う、と話し、二十五周年に駆けつけた観客に対し、皆キリの良い数字が好きだな! と茶化して笑っていたが、やっぱり二十五周年、四半世紀ってのはすごいよな、と思った。

これは後の方のMCだったが、水戸さん達がデビューした頃は四十代のロックミュージシャンなどいなかった、ロックは若い人の音楽で、それをいつまでもやっている姿など想像が付かなかった、だから今この世代のロックミュージシャンは前人未到の領域に到達しつつある、という内容のことを話していた。

会場には水戸さんと同年代か、それよりも少々下の人達が多く見られた。筋少よりも年齢層が高い印象を受けた。しかし若い人もたくさんいた。水戸さんではなく、ゲストを目当てに来た人もいるだろう。だがそのゲストも皆水戸さんとほぼ同年代。いわゆるアラフィフのロックミュージシャン達だ。

筋肉少女帯の大槻ケンヂ、レピッシュのMAGUMIに杉本恭一、人間椅子の和嶋慎治、そしてアンコールで飛び入り参加の橘高文彦。橘高さんは本日XYZ→Aのライブがあったが、終演後わざわざ水戸さんのために駆けつけてくれたのだ。水戸さんはそんな橘高さんに対し「律儀な子なので来てくれました!」と言って大喜びしていた。

各々が自分の音楽の道を歩みながら、その中で築かれた縁。二十五年間自身の道を進みながら築いていった縁。特に今回集まった人達に関して言えば、戦友であり盟友のようなものだよな、と思う。

自分は今年二十七歳。何も考えていない赤ん坊の頃から数えてようやく二十七年経つが、自我が芽生え、育ち、自立して生きていく二十五年はまだまだこの先にある。五十歳になったとき、己は自信を持って二十五年を振り返ることが出来るだろうか。特に自分は結婚をする気も無ければ子供を作る気も無いので、何の節目も迎えずに、だらだらと生活し続けてしまいそうな恐ろしさを若干抱いているのである。

などと思うのはあくまでもライブが終わって落ち着いてから。ライブ中はそれどころではなく、大いに盛り上がって楽しんだ。

今回一番グッと来たのは「ゴルゴダ」だ。「ゴルゴダ」はゲストでワジーが参加し、ギターを思いっきり弾き鳴らした。これが美しいのなんのって! また、あのワジーの独特の歌声が実に絶妙に合っていたのだ。「ゴルゴダ」はアンジーのアルバムでも聴いていたが、これはこんなに美しい曲だったのか………と驚きながら再認識させられた。直後にゲストで登場したオーケンが絶賛したのも納得である。

オーケンは「蝿の王様」「31のブルース」を歌ったが、MCも出番の一つとして数えられていたのではないか、と思うほどよく喋った。MCの内容は主に「ミミズ」の話。水戸さんはオーケンに「ミミズ」を歌ってほしいと依頼したが、「生理的に受け付けない」という理由で断られたというもの。ここだけ聞くとオーケンがひどい人のようだが、「生理的に受け付けない」理由は曲がどうこうじゃなくて、「ミミズ」という生き物自体がどうしても苦手なためとのこと。オーケン曰く、「ミミズ」という言葉を口にするのも耐え難いそうで、「ミミズは畑を耕しているんだよ!」「役に立っているんだよ!」と水戸さんが言うたび、顔をくしゃくしゃにしてイヤイヤしていた。

いやーでもオーケンのミミズ聴きたかったなぁ。オーケンは女言葉のボーカルが合うから、絶対ぴったりだと思うんだよなぁ。

あと面白かったのが、オーケンがステージに登場するや否や、オーケンは水戸さんに「今日人見知り大丈夫?」と心配されていた。何でも数ヶ月会わないと人見知りしてしまうらしい。だが今回のオーケンは自信満々。「ワジーとは一緒にバンド(白髪鬼)やってるから大丈夫だよぉ!」とニコニコしていたが、あろうことか内田さんに対し人見知りを発動していた。内田さんに「一昨日会ったよ」と言われるとパァッと顔を綻ばせて「そうだぁ!一昨日会ったねぇ!」と元気になっていたが、三十年以上付き合っている幼馴染くらい慣れてくれよと思わざるを得なかった、例えネタだしとしても。

「蝿の王様」では「銭ゲバ!」と叫び、「31のブルース」では「ヘイユウブルース」を熱唱し、オーケンは退場。まさか不死鳥のライブでヘイユウブルースを聴くとは思わなかったのでびっくりした。オーケン本当にヘイユウブルース好きだなぁ。

「天井裏から愛をこめて」を中盤にやり、大盛り上がりの後MC。今はアコースティックとバンドを半々くらいでやっている。アコースティックは若い頃には出来なかったこと。でも、出来るか出来ないかは別として、自分の中ではまだまだ「やりたい」気持ちがある。そして今回二十五周年記念ライブをやるにあたり、一番やりたいことがあった。

と言って始まる次の曲は、重たいベースの音が地響きのように振動する曲。「ミミズ」だ!

中盤で天井裏をやるのはもったいないんじゃないか、と思った自分が愚かだった。まさかの「ミミズ」「¥10」「分解マニア」「バンビはどこだ」のメドレー! このあたりはほんっとうに……楽しかった!!

本編ラストは「袋小路で会いましょう」。良い曲だが、「え、二十五周年の本編ラストで袋小路………」と思ったのも本当の話。

和やかに終わってアンコール。アンコールでは内田さんが帽子を脱いで、不死鳥バンダナを頭に巻いて登場。アンコールの曲は何だったか。楽しすぎて忘れてしまった。

そしてダブルアンコールでは橘高さんが駆けつけてくれたってんだから驚きだ! ギターも持たずに歌うために駆けつけたギターヒーローを大笑いするオーケン。完全にリラックスしている(ように見える)オーケンは自身の携帯電話を取り出して記念写真を撮影。写真は公開せず、待ち受けにすると言い張っていたが、ちゃんと大ブログにアップしてくれていた。

最後は全員で「素晴らしい僕ら」を熱唱。この曲はとにかく何もかもを全肯定してくれる多幸感がある。それこそ「金もないコネもない体は病弱で頭も悪い」どうしようもない人間も「素晴らしい」と言い切ってくれる。現実的でシビアな歌を多く歌う水戸さんが歌うからこそ、グッと来る歌である。ただ違和感もあった。とても有難い曲だけど、どうしてそこまで言い切ってくれるんだろう? と言うような。

もし同じ疑問を抱く人がいるなら、「不死鳥Rec.」のインタビューに「素晴らしい僕ら」に対する水戸さんの思いが語られているので是非ご覧頂きたい。ライブはあまりに盛り上がりすぎて、途中後方の人の歌声ばかりが耳に入って水戸さんやゲストの声が聴こえないことすらあったが、それもどうでも良くなるくらい夢中になってしまった。「一緒に歌おう」と促されたところでは大声を出し、アンコールも全力で叫んだので咽喉が枯れてしまっている。その結果がまた嬉しい。

「二十五周年を半分と考えて、五十周年を目指すから、お前ら死ぬなよ!」と言い切る水戸さんはバツグンに格好良く、頼もしかった。三十年、三十五年どころか五十年! 何て有難いんだろうか! はまったミュージシャンのほとんどが、二十も三十も年上なので尚更嬉しい。たまに、あと何年この人達の活動を見られるのだろうか、と思わされてしまうから。例えリップサービスだとしても、すごく喜んでしまうのである。

終演後には水戸さんがサイン会を開いてくれて、一言二言お話しする時間があったのだが、そのとき初めて自分の声がガラガラになっていることに気付かされた。水戸さんの手は大きくて温かかった。

日記録2杯, 旅行, 非日常


赤城

土曜日に友人と赤城山にドライブに出かけ、沼に向かってひたすら勢いよく石を投げまくったら翌日右肩が筋肉痛に苛まれ、そういえば投げるなんて動作は日常生活じゃ全くやらないものなぁと気付かされた。

ちなみに何故石を投げまくったかと言うと、実は本来は石を投げたかったのでは無く、水切りをしたかったはずなのだが、全くうまくいかないためいつの間にかただただ沼に石を投げては飛沫を散らすという遊びに変更され、それを存分に楽しんだのである。友人は水切りをしていたが。

さて赤城山。とりあえず赤城山に行って、あとは着いたら考えよう、ということで赤城神社に行き、近くの食堂兼土産物屋で腹ごしらえをし、大沼と小沼を見て、八十以上のカーブを曲がりながら山を下りて、じゃあ次はどこ行くかってんで分福茶釜で有名な「茂林寺」を見学し、夕飯を食べて帰った。


赤城
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湛えられた水を見るとテンションが上がる。赤い欄干と青い水面の組み合わせが美しい。

お参りを済ませるとすぐ近くにおみくじの箱が。そういえば今年に入ってからおみくじを引いていなかった。せっかくなので、と引いてみたところ中吉。まぁまぁの内容だが、失せ物については諦めろと書かれていたのが悲しい。友人は「何で俺はいつもお産の項目の内容がすごく良いんだろう…」とおみくじを見ながらいぶかしんでいた。もしかしたら何かを産むのかもしれない。

ところで友人は通常のおみくじの他に恋愛に特化したおみくじも引いていたのだが、人がいるところで引くのは恥ずかしいと言って、周囲には知人など誰もいないにも関わらず、人気の無いところを見計らってくじを引いていたのが何だか微笑ましかった。

おみくじを括りつけてから売店へ。自分は厄について無頓着で、今まで一度も気にしたことが無かったが、友人に勧められ「八方厄除」のお守りを購入した。知らなかったが、今年は八方塞の年であるらしい。九年に一度こんな年を迎えるなんて嫌だなぁ。お守りに守ってもらおう。

神社を出た頃には良い時間。では、ちょっと腹ごしらえでも済まそうか、と食堂の並ぶ通りを歩き、まぁどこも似たようなものなので、適当に空いているところに入ろうとしたら売店のおばちゃんに呼び止められる。そしてあれよあれよと言う間に饅頭としいたけ茶を試食でいただき、さらにしいたけ茶に乾物まで入れられてしまい、うっかり満ちてしまう腹。「昼食はこれで良しとしよう」と意見が一致して車に戻り、大沼の外周を回ることにした。

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「沼」と言う名前から想像する、ぬかるんだ地面、濁った水、じめっとした空気はどこにも無い。どちらかと言うと「湖」という言葉のイメージに近い。沼なのにこんなに綺麗なんだなぁ、と思いつつ眺めていると友人が石を物色している。そしてヒュッと投げると水面を跳ねる石。水切りだ。よし、自分もやってみるか、と手頃な石を見つけ放ると飛び散る飛沫に沈む石。何度か試したが全くうまくいかないのでただただ沼に石を放り込んで楽しんだ。おかしいな、子供の頃は出来たはずなんだが。

大沼から移動して小沼へ。

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波が行き来していて海のようだ。タオルを持っていたら足の一つも突っ込んだのだが、持参していないので自重した。


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蛙の卵があった。これはまだ深いところにあったが、今にも打ち上げられそうな卵もたくさん見受けられ、他人事ながら心配になった。あいつらは無事に孵化することが出来るのだろうか。無理かなぁ。

小沼でも石投げ遊びを楽しみ、八十以上のカーブを曲がって山を下りる。自分はかなり酔いやすい体質であるため少々身構えていたが、一度も気持ち悪くなること無く山を下りることが出来た。友人に感謝である。

その後の予定は何も決まってなかったが、群馬県民なら誰でも知っている「分福茶釜の茂林寺」に行くことになった。向かう途中、面白い看板を見つけ、それを再度見るためにわざわざ迂回して道を戻るなどして、そういったことの一つ一つがやけに楽しく面白い。実に愉快だ。

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茂林寺に着いたのは何時頃だっただろうか。拝観時間をとっくに過ぎていたことは確かだが、来たときはまだ明るかった。写真は茂林寺の駐車場にいた狸。こちらはキュートである。

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しかしあなたは怖い。

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参道に並ぶカラフルな狸達。色合いのせいかどこか漫画チックでチャーミング………だが顔が怖い。目玉の大きさと口元の形がやけに魚っぽいのである。

話は戻るが、何故群馬県民なら誰でも「分福茶釜の茂林寺」を知っているかと言うと、それは群馬県の名産から歴史上の人物までを高密度で詰め込んだカルタ「上毛かるた」に「分福茶釜の茂林寺」が載っているからである。このカルタを群馬県民はかなり本気でやる。学校の授業でもやる。町内会の大会まである。さらに県大会まである。しかし全国大会は無い。だが、英語版のカルタはある。妙なところでグローバルだ。

そして車に戻り、会話の流れで上毛かるたの内容をだいぶ忘れていたことに気付いた我々は、友人のスマートフォンを活用して上毛かるたのおさらいをした。半分以上忘れていてちょっと悔しかった。

夕飯は友人行き着けの居酒屋へ。量が多いから気をつけろという助言を受け、じゃあ最初はこれとこれとこれとこれだけにして、後で追加を注文しよう、と言ったら追加注文どころか枝豆の始末に困るくらい量が多く、握りこぶしのようなサイズの唐揚げに舌を巻いた。

その日は電車で下宿先に戻る予定だったが、急遽実家に泊まることに予定を変更。家でまた呑み直し、ゆっくり眠って今日下宿先に戻った。幼少より群馬で過ごしたが、まだまだ行っていないところがたくさんあるのだなぁ。生きている間に上毛かるたに載っている箇所くらいは制覇してみたいものである。なんてことを思ったりした。

未分類100曲ライブ, 水戸華之介, 非日常




「20×5=100 LIVE」第五公演目に行ってきた。二ヶ月近くに渡って続けられた公演の最終日。この催しが始まることを知ったとき、絶対に全ての公演に足を運ぶぞと意気込んだが、まさか実現出来るとは。しかもそのうち二回は最前列で観ることが出来たのである。間近で観る水戸さんの歌唱と熱気。今回は中央に作られた通路に沿って並べられた椅子に腰を下ろしたが、「君と瓶の中」で水戸さんが歌いながら真横を通り抜けたとき、纏う熱気の熱さに驚いた。雰囲気が熱いのでは無く、物理的に熱いのである。

熱さも納得の盛り上がりっぷりを裏付けるかのように、本編終了後、ギターの弦が駄目になってしまい、アンコールでステージに戻ると澄田さんがその場で弦を張替え、その間水戸さんがMCで繋ぐという出来事もあった。澄田さんは3-10Chainで長年水戸さんと一緒にやっているだけあり、何度も水戸さんに「やりやすい」「接しやすい」と言われていた。澄田さんはずーっと口角が上がっていて、もともとそういう表情なのかもしれないが、終始穏やかで楽しそうな雰囲気が溢れている人である。

第五公演目は水戸さん曰く「良い曲が多い」とのことで、アンコールでお約束の二十面ダイスを振り、その日歌唱された曲の中からアンコール曲を選ぶ際も、どれが選ばれても大丈夫! と安心出来るセットリストだった。その際、よりにもよって「ジョンのうた」が出てしまったときは流石にダイスを振り直したと澄田さんに語っていて、澄田さんも「ジョンが出たのぉ!?」と驚いていたが………この日のダイスが選んだのは「ナイタラダメヨ」。しばし「え、これ………?」という空気に包まれる。「ナイタラダメヨ」は好きな曲だが、アンコールにやるにしてはちょっと違う感じもする。

だが振り直しはせず、本編ではアレンジしたバージョンでやったので、今度はオリジナルバージョンでやることに。ところがちょっとハプニング。ずっとアレンジで練習していたためオリジナルがわからなくなってしまったのだ。水戸さん、澄田さん二人で譜面を睨みつつ、歌いながらメロディを探す。珍しい場面が見られてラッキーだった。

そしてアンコールは終了したが……最終日ということでダブルアンコール! 追い出しの曲がかかるも席を動かずアンコールを要求する観客の声に応え、再び水戸さんと澄田さんが登場! 手には二十面ダイス! そして振られた数字を読むと十二番!!

「ナイタラダメヨ」

まさかである。まさかの「ナイタラダメヨ」。流石にたじろぐ水戸さんと澄田さん。ここで最終日にして新ルール発動。「一度アンコールで選ばれた曲は消されることにする」、ということでダイスを振り直すことになったのだが………神はどうしても水戸さんに「ナイタラダメヨ」を歌わせたいらしい。

驚きの。三回連続「ナイタラダメヨ」。

もう一度振り直してようやく「遠くまで」が出た。神も何とか諦めてくれたらしい。いや、神はなかなか良いチョイスをしていると思うが、三回連続「ナイタラダメヨ」はどうかと思うな!

今回の「客いじり」曲は「君と瓶の中」だった。「君と瓶の中」は聴いたことがある方ならご存知の通り、性的な内容の曲である。そしてこの曲の前に水戸さんのMCがあったのだが………生々しい!!

いや、単に自分がこういう話を苦手にしているだけなんだが。とはいえ引いた。ちょっと引きつってしまったが、半ばやけっぱちになって盛り上がり、続いて演奏された「天井裏から愛をこめて」でちょうど良く爆発出来たので結果オーライと考えたい。そういえば「天井裏から愛をこめて」で席を立ち上がり踊りだす人が現れた。後ろの観客に配慮しているのか、壁にぴったり寄り添いつつもゴーゴー踊り狂っていて、理性と衝動の狭間に立っている姿が実に微笑ましかった。

「20×5=100 LIVE」の総括として語ってくれたこととして、隔週で定期的に同じところでライブをやるというのはとても良かった、また不死鳥の前などにこういうことをやりたい、とのこと。また、俺はずっと延々と続けても良いけどそのうち誰も付き合ってくれなくなる、と言って笑ってもいた。確かに延々と隔週で通うのは難しいが、また来年もしやってくれるならそのときは是非参加したい。二週ごとに水戸さんに会える、しかも毎回違う曲が聴けるなんて、贅沢なひと時だったなぁと振り返ってみて思うのだ。

記念すべき百曲目は「幸運(ラッキー)」。この曲の前だっただろうか。水戸さんは、仕事柄「人とのすれ違い」を多く経験することを意識する、といった話を語ってくれた。それは「気持ちのすれ違い」ではなく、出会って、ある一定期間一緒に過ごして、そして別れるという「すれ違い」。それはバンドを組んだ仲間だったり、一時だけライブに足を運んでくれたお客さんだったり、様々だ。で、その「すれ違い」を意識するとどうなる………という肝腎の部分を………忘れてしまったのである……自分は。何故忘れた。何と無く次の曲が「幸運(ラッキー)」であることを考えると、「でもこうしてひと時を一緒に過ごせたってラッキーだと思う!」というまとめだったような気がするが、本当にすっかり忘れているので間違っている気がすごくする。何て駄目な記憶力なんだ…。

今回の公演で百曲歌いきったが、これは持ち歌のおよそ半分ほどで、選ばれなかった百曲はアコースティックという形態で歌うのは難しいとのことだが、いやいやいやいや。まだまだ聴きたい曲はあるので、是非もし来年やるときには、残りの百曲も是非歌って欲しいものである。まぁ、その前に「不死鳥 十全」があるのだが。会場にはポスターが貼られていて、チラシも配られていた。もちろんもらってきましたよ! チラシ片手ににやつきつつ、ますます楽しみになる「不死鳥 十全」。記念すべきデビュー二十五周年公演、気合を入れて観に行かなければ!

未分類100曲ライブ, 水戸華之介, 非日常




行ってきました「20×5=100 LIVE」第四公演目。本日の演者は吉田一休氏、ということで予告によると「屑」の曲が多めとのことで、そりゃもう心からこの日を待ち望んでいた、楽しみにしていた。というのも、今まさに自分の中で水戸さんフィーバーが起きていて、「屑」ブームも発生していたからである。まだ「屑」のアルバムを持っていないというのに。

持ってないのにどうしてブームが起きているかと言えば、それは「屑」の曲が数曲演奏されているライブDVD「不死鳥第八段」を所有しているからで、前回のライブがきっかけで急に水戸さんフィーバーを迎えてしまった自分はその日から連日水戸さんのライブDVD「不死鳥」シリーズを再生しまくり、当初はその日その日の気分でディスクを変更していたが、第八段を再生してから延々とそればかりエンドレスリピート。麻薬のようにはまってしまい全くそこから抜け出せなくなってしまったのである。主に聴く目的で再生していたため画面はほとんど見ていなかったが、もし同居人がこの部屋にいたら気が狂っていただろう。

吉田一休氏については自分はほとんど存じ上げない。存じ上げないが、水戸さん曰く「コーラスを買って」今回参加してもらったとのことで、楽器の方はあまり期待していないので余計なことはしないで良い、とのこと。そんなわけで曲も技巧を凝らしたものよりも、ジャカジャカ楽しい感じのものを中心にチョイスしたそうだ。こんなことを言われると聴く方としてはやや不安になってしまうところだが、いやあ素晴らしかったよ!

個人的には今までの四つの公演の中で今夜が一番楽しかった。理由としては、ジャカジャカ楽しい曲が多くて単純に盛り上がること、聴きたかった屑の曲が聴けたこと、水戸さんの歌声と一休さんのコーラスの重なり合いが素晴らしく綺麗だったこと、そして水戸さんがノリノリのハイテンションだったこと、だ。そう、今日の水戸さんは一段と凄かったのである。

聞けば前日とある古くからの友人のライブにゲスト参加して、他のゲストもよくよく見知っている人達で、「あぁ、○○は良い奴だなぁ」「△△も話しやすくて良い人だなぁ」と最高にハッピーな気分になり、さらにその日は今日のライブもあるため力を温存する予定だったのが、パンクなお客さんが多かったため持ち前の負けず嫌い精神が発揮され、大声を出して盛り上げてしまったそうで、その「ハッピー」と「ハイ」の余韻が色濃く残っていた影響らしい。水戸さんは開始から汗をかき、動きも前回前々回よりも大振りで激しく、しかも曲はまた盛り上がりやすいジャカジャカ系!

水戸さんのアコースティックライブは「アコースティックって何だろう……」と初めて見たときに思わされたくらいで、そもそもノリノリで激しくロックな感じだが、いつにも増してノリノリだった。この「20×5=100 LIVE」シリーズはコアな客向けで、普段のおよそ十分の一くらいの規模のこじんまりとしたライブハウスで行われているのだが、何と言えば良いのだろう、今日の水戸さんは別の会場にいるかのようだったのだ。

この状態について水戸さんは「飲酒はしていない」と言っていたが、確かに酔っ払っている姿に近いものを感じた。歌詞が完璧なイメージの近い水戸さんにしては歌詞間違いがちょこちょこあったのも特徴的。しかしそれが不満かと問われれば全くそんなことは無い! いやーもう本当に楽しかったんだよ!

特に聴けて嬉しかった曲は「家のない子に」「ゆきてかえらず」「カナリヤ」「偶然にも明るい方へ」。「偶然にも明るい方へ」は「不死鳥第八段」で鳥肌が立ったフレーズ「夢よりも夢だったかもしれない瞬間を」の「かも!!」と叫ぶ声が心臓に突き刺さった。

レア曲は「へくそかずら」。二十数年演奏していないが、たまに「へくそかずらやらないんですか?」というリクエストはもらっていたそう。だが、歌詞を書いた当時は色々な思いを込めていたはずだが、二十数年経った今改めて歌詞を読むと「どうしてこのフレーズを選んだんだ……?」と当時の自分が込めた思いがわからなくなってしまっているため、やっていなかったそうだ。

「ペダルをこいで」は水戸さんと一休さんの掛け合いが楽しい曲だが、一休さんが掛け合い部分を一つ抜かしてしまい、水戸さんが曲を中断して「ここの掛け合いが良いんだよ」とお説教するというハプニングがあった。そしてそれは我々観客へも飛び火し、「一休にばかり任せちゃいけない!」「ここはお前らも入るところなんだよ!」と叱られた。曲中断からお説教の流れまでもエンターテイメント。笑い転げてしまった。

「ジャカジャカ系」ということでポジティブな曲調の曲が多く、恒例のアンコールも「だいたいどの曲が出ても問題無し」だった。前回の地雷だらけのセットリストとはえらい違いである。そして一番の地雷を踏み抜いたサイコロは流石としか言いようが無い。今回のアンコールは一曲目の「海」で無難に楽しく終わった。終わりから始まりに戻ると延々とループを楽しめそうな錯覚に陥ることが出来て愉快である。

一休さんは上下アディダスの真っ赤なジャージで、下に赤いアロハシャツ、髪は寝癖風のようなただの寝癖のような塩梅で、スウェット通り越してタオル地のズボンを履いてきた水戸さん以上に普段着感が爆発していた。こんな派手なのに全然ステージ衣装っぽくないなんてすげえ、とうっかり感動してしまった。

そういえばライブハウス「七面鳥」の向かいにあるお店について、絶対MCでネタにされるだろうと踏んでいたが特に話題に上ることが無かったのが意外だった。ちなみにこちらは料理を食べられる系統の店らしい。




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「20×5=100 LIVE」第三公演目に行ってきた。今回の楽器はピアノで、奏者は枕本トクロウさん。水戸さん曰くゲーム仲間であり、何かの後輩にあたる人らしい。澄田さん、ワジーに比べると元気いっぱい! という感じの人で、MCでの話し方もまるで「はい!」と挙手して話すような、勢いのある人だった。

楽器がピアノということで本日はバラード中心。計五日間の公演の中でもちょっと特殊なものになるとのこと。ただ、最初からしっとりと落ち着いてばかりではお客さんが死んでしまうので最初はノリノリなものから始まった。そして中盤からしっとり系が続き、その総まとめとして歌われたのが「ジョンのうた」。もし百曲の中に含まれるなら今日だろうと予測はしており、聴きたいとも思っていたが、やはりつらい。

「ジョンのうた」はアル中の父親から逃げるため、母と子が必要最低限の荷物を持って家を出るところから物語が始まる。子供は犬のジョンを飼っていたが、連れて行くことが出来ず父親のもとに置き去りに。酒びたりの父親は当然犬の世話などせず、子供がたまに目を盗んでジョンの様子を見に行くと犬小屋はひどい有様。うんちまみれになっているのに、子供の姿を見ると尻尾を振って喜ぶジョン、でも連れていくことは出来ない。そしてある日ジョンは父親によって保健所に連れて行かれ、そのことを知った母と子は急いで保健所に駆けつけたが既にジョンは処分された後だった。

迫力を感じるとともに、心臓を直に掴まれてぎゅうっと引っ張られるような歌だ。この迫力を是非その身に感じたいが、しんどい曲なのでなるべく聴きたくないのも本音。歌う水戸さんはもちろん、聴き手にも体力がいる歌だ。

またピアノの演奏が悲しさに拍車をかけるんだよなぁ………。

水戸さんの歌う「どうにもならない」と「やるせない」悲しい感情が、わかりやすく、それでいて共感しやすい形で集約されている歌だと思う。これはちょっとずるい。ひどい。ライブが終わって何時間も経つのに、あのジョンの悲しく吼える声が今も脳に木霊する。引きずられるなぁ。

そして今日ライブの帰り道にふと思ったのだが、既に処分された後と知ったとき、母親の方は内心ほっとしたんじゃないかなぁ。例え生きていたとしても飼うことは出来ない、里親のあてがあるなら放置せずに済んだだろう、と思ったら。

あと、「処分ってなに?」と子供は母に尋ね、「遠くのお山に放してあげたのよ」という答えをもらうが、………「処分」という言葉は理解出来なくても、死んでしまったことはわかったんだろうな、と思うんだ。あぁ、だめだあまり「ジョンのう」たについてばかり考えない方が良い。せっかく楽しかったのに落ち込んでしまうじゃないか。

あちこちで聞こえる啜り泣き。しんみりとした空気の中で、水戸さんがこれからノリノリの曲をやる、と言いつつ、いくらなんでもこの状態じゃ感情がついていかないだろうから、と前置きして正月に温泉に行った話に。普段は空いているその温泉も正月は流石に混んでいて、聞き耳を立てていたわけでは無かったが近くにいた男性二人組みの話が聞こえてきたそうだ。二人はパワースポットなどのスピリチュアルな話をしていたが、会話の流れでカップルだったことが発覚、不意を突かれてびっくりする水戸さん、さらに驚くべきことはその温泉、実はゲイが集まる有名スポットだったそうな。

脱衣所のところに『携帯電話を出していたら盗撮と見なします』といった、他の温泉施設ではまず見たことの無い貼紙があり、「男風呂の脱衣所で盗撮………?」と違和感を抱いていたそうで、真相を知って納得したらしい。そして「でも良いお湯だからまた行くけどね」と朗らかに締めくくり、恋愛繋がりで客いじりの定番曲「ふたりは」に! この曲では水戸さんが歌いながら客席を練り歩いて手を握ったりしてくれるのである。今回自分はちょうど良い席に座っていたので、運良く頬を撫でてもらった。嬉しかったが「ジョンのうた」で泣いた直後だったので若干恥ずかしかった。

他、今回の目玉は「天国ロック」と「ラブソング」だろうか。「天国ロック」はCD発売以来ずっと存在を忘れていた曲で今日は二十数年ぶりの演奏だったらしい。水戸さん曰く、「オチが無いのでライブではやりづらい」らしい。「でくのぼう」だったら「で、で、でくのぼー!」と皆で盛り上がることができるが、「ててててんごく~?」と自己完結してしまうので、中盤で盛り上がったテンションを爆発させることが出来ず、扱いに困るらしい。

「ラブソング」は「でくのぼう」の別歌詞バージョン。何かのおまけでカセットに入れて出したらしい。普段のライブなら、「これをやるならでくのぼうをやってくれよ……」という空気になることが予測されるので出来ないが、今日みたいな「濃い人達」ばかりが集まっているライブなら出来るとのこと。「で、で、でくのぼー!」の合いの手が「ラブ・ラブ・ラブソーング!」に変わり、もちろん他の部分の歌詞もまるっきり「でくのぼう」とは違うもので、すごく新鮮で面白かった。

そうだ。「サカナ」は当時すごく嫌なことがあって、そのネガティブな思いがはっきり表れていると水戸さんが言っていた。水戸さん曰く、珍しいくらい暗い歌、とのことだった。

最後のアンコールは前回前々回と同じく、二十面あるサイコロを振り、本日の曲順から選ぶ方式。サイコロを振る前に水戸さんが「二十番目が出るのが最悪だけど、ジョンのうたが出ても辛いな。今回は地雷が多い」といった内容を喋り、カップに入れてサイコロをかき混ぜ、さぁ、丁か! 半か! という勢いで数字を見ると………十三番。

十三曲目、ジョンのうた。

流石に振り直しというか、ちょっとサイコロに衝撃を与えることになった。水戸さんは自分に課したルールを破ることに抵抗があったようだが、恐らく観客も全員振り直しを望んでいたことだと思う。枕本さんはルールを破ることに対し、「いやいやそれはだめでしょう」とばかりに不服な態度を見せていたが、そしてそれも水戸さんを困らせるための演技だとわかってはいたが、「ジョンのうた」は良い曲だが、一日に二度聴くのはつらい。

振り直しの結果サイコロが選んだのは「電波塔の丘」。本編では寂しさが強調されていたが、アンコールは楽しく終わりたい、ということで水戸さんが枕本さんに楽しい曲調にリクエスト。もし振り直しをしなかったら「ジョンのうた」もちょっと楽しい感じになったのだろうか。いやそれは………無理か。

そういえばどの歌か忘れてしまったのだが、枕本さんがノリノリ系の曲でピアノから立ち上がり、まるで地団太を踏むように、バンバンバンバン激しく床を踏み鳴らしてリズムをとっていたのだが何だかすごく面白かった。ピアノというと落ち着いて着座して弾くイメージが強いのだが、何でもありなんだな。