日記録0杯, 日常

2018年6月3日(日) 緑茶カウント:0杯

昨日は錦糸町で開催された「ニクオン」に行きまして。肉料理の屋台が並び、音楽を楽しめるフェスでございまして。そこにふらふらと出向き、美味しく肉料理を楽しみながらお酒を呑んで音楽を聴いて、あー幸せだなぁ、人生のうちに何度かこんな日があると素敵だなぁ、と思ったのです。

で、楽しいじゃない。楽しいじゃない。楽しいから写真に収めるじゃない。しかしだな。画質がもう、何というか、ひたすらに荒くてひどいのだよ。

ほら、ご覧あれ。


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うーん、ひどい。いや、仕方がない。この携帯電話(ガラケー)を買ってそろそろ十年になる。当初はね。カシオと連携したガラケーってことでね、すごく画質が良いと言われていて実際画質も良かったんだけどね。使い古すうちにレンズが歪んだのか何なのか。もうピントを合わせることなど出来やしない。

そろそろ買い換えようかな、と思う。
でもまだ行けるな、とも思う。

そのせめぎ合いの中で生きている。とにかくお肉は美味しかったし、音楽も素敵で、フェスも楽しかったです。まる。



日記録0杯, 日常, 水戸華之介

2018年5月31日(木) 緑茶カウント:0杯

拝啓・水戸華之介様。己はあなたに何度心を救われたでしょう。そしてその感謝と愛をいったいどれだけあなたに伝えられたでしょう。

全く伝えられていないはずです。年に一度、不死鳥ライブの後にお手紙をお渡しするようになりましたが、それではとてもとても、伝えきれないと思っています。

ニューアルバム「ウタノコリ」を聴きました。アンジーをメインに3-10Chain、ソロ曲をアコースティックで描いたアルバムです。とても素晴らしく思いました。同時に、物足りなく思いました。

それは、生で聴く水戸さんの歌声の威力がCDには収まりきらずにいるからです。CDで聴く水戸さんの歌声は何と言ったら良いでしょうか、まろやかに収まってしまっていて、本来の水戸さんが持つ歌声の迫力とパワーが消えてしまっているように感じました。

だから自分は、多くの人に水戸さんの歌声を生で聴いて欲しいと願います。

「マグマの人よ」を聴いて何度泣きそうになったか。「ゆきてかえらず」を聴いて何度胸を締め付けられたか。全身にビリビリと響く迫力と威力とパワーに何度圧倒され、感動したでしょうか。

その威力を多くの人に知って欲しい。

だからこそもどかしく思い、何ができるだろう、どうしたらいいだろうと考えてしまいます。ミュージシャンであり、オーディエンスを楽しませるエンターテイナーでもある水戸さんは、自虐ネタで大ヒットを飛ばしているミュージシャンと自身を比較なさいます。それをファンの自分はとても悲しく思います。

だって、B’zも偉大なミュージシャンでしょうが、己の心を救ってくれるのはB’zではなく、あくまでも水戸さんなんですよ。
水戸さんだからこそなんですよ。

と、言うことをサインをしていただく時に言いたかったのに言えなかったのでここで語りましょう。あぁ、いったい己に何ができるでしょう。何ができるかと考えてしまいます。だから、年に数回「昔アンジーのライブ観に行ってました、懐かしくなって行きたくなりました」というような感想をもらうと嬉しくなります。ただただ楽しく感想を書き散らしているだけで、発散のためだけで、布教目的ではないにしろ、ほんのちょっと、ほんのちょっとでもお役に立てているかなと錯覚できまして。

水戸さん。
ここで発するだけなのでこの言葉は届かないとわかっていますが、どうかどうか、あなたがデビューした年に生まれた人間も、あなたの歌声に助けられていることを知っていただきたい。
あなたは唯一無二です。代替できない存在です。だからこれからも歌い続けてください。どうか、と願って。

敬具



日記録0杯, 日常

2018年5月27日(日) 緑茶カウント:0杯

空腹に気づくことと食欲を抱くことはイコールではないのだなぁ、と気付いた昨今だった。どうにも己はだいぶ疲れていたらしい。工事の音に邪魔されつつも死んだようにぐっすり寝て、ようやく久しぶりに湧いたのが食欲という欲求。「腹が減ったな。何か美味しいものを食べるために出かけようかな」と思え、それがひどく懐かしい感覚であることに気付き、おーこりゃ結構自分やばかったな、と知ったのだった。

最近の自分といえば空腹を感じても食欲はなく、ただただ面倒くさい、何かを食べねばなるまいな……と義務的に栄養を摂取していた。それは食事と言うよりも作業に近く、食べることに何の楽しみも抱けなかった。食べる以上にやりたいこととやらねばならないことがあり、エネルギーが枯渇することがとにかくだるくて面倒だった。

美味しいものを食べたいな、とふらふらと商店街を歩き、スパイシーな香りに誘われて入ったケバブ屋。たっぷりのキャベツにたっぷりの肉に一切れのトマト、そして食欲をそそる香辛料が香るソース。がぶりと噛み付き、咀嚼すると口いっぱいに味と香りが広がる。肉の脂身が唾液に溶けて咽喉へと落ちる。美味しかった。久しぶりに美味しかった。ガブリと思いっきり噛み付くのが楽しかった。

ふぅ、と満足感を抱いてケバブ屋を背に商店街を歩きつつ、この感覚を忘れないようにせんとなぁ、としみじみ思った次第であった。ちょっと危うい様子だったね。



日記録2杯, 日常

2018年5月22日(火) 緑茶カウント:2杯

その眼鏡屋を利用したことはなかったが、その眼鏡屋の前を毎日歩いていたのだ。

個人商店の小さな眼鏡屋。ガラス張りの壁から店内を見渡すことができる中、己が主に見ていたのは店のガラスそのものだった。通り過ぎるたびに老店主がカッターを持って、季節やイベントにふさわしいイラストや文字のカッティングシートを貼っていた。それはとても頻繁に貼り替えられ、あぁ今日は何を貼っているのだろうと店主の細かな手つきを眺めたものだ。

ところがこの一ヶ月、イラストや文字で飾られたガラスはシャッターで閉じられ、その上には一枚「都合によりしばらくお休みします」という手書きの貼り紙。昨日もシャッターは開かず、今日もシャッターは開かず、ずっと白い紙が風に揺れるだけ。

何があったんだろう。何かあったんだろうなぁ。店主と話したこともない己はただただ店の前を歩きながら、あのカッターを握る指先を思い浮かべるのだった。



日記録0杯, 日常

2018年5月19日(土) 緑茶カウント:0杯

わかっている。わかっているのだ。必要なことなのだ。必要なことだとわかっているのだ。
しかし、最近うまく眠れない中、せめて休日くらいしっかり寝ようとする中で、アパートが揺れるほどの騒音と振動に悩まされるのはなかなかにしんどかったのだ。

いや、わかっているのだ。こんな時間まで寝ようとしている方が悪い。昼だもの。わかってはいる。わかってはいるが、いやー本当に見事なまでの至近距離。アパートから一メートルも離れていない場所で道路工事が行われていて、このとき自分は布団の中に入っていたのでまだいいが、もし水彩画を描こうとしていたら確実に筆が滑って失敗する、そんなレベルの強烈な振動。震度ニの地震に永遠に襲われ続けるような気持ち悪さ。つらい。

まぁ、古いアパートだものなぁ……と思いつつも流石に眠れず布団から身を起こすも、座っていても気持ち悪いくらいガタガタ揺れる振動と騒音に何もする気にもなれず、とはいえこのままじゃもうどうにもならんと一念発起し掃除を決行。騒音と振動が響く中ガッタガッタとフローリング、シンク、コンロ、鏡、風呂、トイレを洗い磨き拭きまくり、部屋中を綺麗にしてやった。半ばやけっぱちだったが何かに勝てたような気はした。

工事は十八時に終わった。あぁ、明日こそは深く眠れますように!