日記録2杯, 平沢進, 日常

2018年9月7日(金) 緑茶カウント:2杯

今日は時間があったのでたらたらと家具屋を回り、己が欲しい家具はどれなのだろうなぁと思案しつつ歩いて好きな服屋に寄り、新作の発売日を教えてもらって帰った。

手にはビールが三本とカマンベールチーズ。ちょいと晩酌でも楽しもうと思って。

冷凍庫からこの間作ったラタトゥユを出し、解凍して器に盛る。チーズと共に最寄のパン屋で買ってきたガーリックトーストも並べ、頭から湯気を立てながらどかりと座る。風呂上りの一杯に美味しい肴。そして最高のつまみは平沢進の新譜。

パカリと蓋を開け、CDをセットする。
穏やかでゆったりとした音楽が部屋に流れた。

今回は核P-MODEL名義だった故激しい曲を期待していただけに一瞬拍子抜けしたが、一切の激しさがない平穏は耳に心地良く、空間を気持ち良く揺らした。若干、物足りないとも思ったが。
しかしきっと回数を重ねるうちに見えるものがあるのだろう。今までの他の楽曲と同じように。

核P-MODELでこれを作ろうと思ったヒラサワの心境とはどんなものだったのだろう、と考えながらビールを傾ける。美味しい。壁を揺らす音を楽しみながらまったりと過ごす夜は至福であった。

あぁ、楽し。



日記録0杯, 日常

2018年8月28日(火) 緑茶カウント:0杯

半ば呆然としながらテレビの前に佇む。これは……ハッピーエンドなのだろうか?

それはジョジョ六部の読後感に似ていた。世界は救われた。しかし命を賭けたヒーローの活躍を知る者はこの世界のどこにもいない。共に戦った仲間すらその記憶を持たない。ただ一人、相棒の万丈を除いては。

びっくりしたよ。これまでの人生で仮面ライダーに出会う機会を持たず、オーケンの出演をきっかけに劇場版を観て、それから本編の仮面ライダービルドを観るようになった人間にとって、このラストは予想外だったんだ。

それはどこかに楽観視している自分がいて、無意識のうちに子供を対象としているからにはと安心しきっていたからだろう。またもう一つの理由としては、劇場版でラスボスの最上魁星が倒された後、割れた大地が事件の痕跡も残さず綺麗に元通りになったこと。だから途中で死んだ仲間が生き返るかはさておいて、何もかもが解決し、晴れやかで気持ちの良いハッピーエンドが訪れると思っていたのだ。

まさかこんな終わり方だったとはなぁ。

必死で戦ったヒーローを讃える者は誰もいない。感謝する者もいない。最終回を観終わった後、ビルド後夜祭を観に渋谷へ出かけ、映画館で「平成ジェネレーションズFINAL」と最新映画の「仮面ライダービルド Be The One」を観た。仮面ライダーは悪と洗脳された民衆に追われ、追い詰められながらもLOVE & PEACEのために戦うヒーロー。平ジェネで「LOVE & PEACE!」とにこやかに笑う姿を見たときは、この言葉にそれほどの重みがあるとは思っていなかったよ。

自分でも驚くほど悲しく思ったのは美空が戦兎を思い出さなかったことだ。本編で丁寧に二人の信頼関係と擬似家族のような間柄が描かれた。確かに戦兎と美空には特別な絆があった。しかし、「絆」から奇跡が生まれることはない。ビルドは「科学」の物語だ。よって、物語の中の科学で説明がつかない現象はどうしたって起きないのである。例え視聴者が望んだとしても。

シビアだ。とてもシビアだ。決して子供向けだからと舐めているつもりはなかった。なかったけど驚き、そして悲しく思った。きっと大団円で終わるに違いないと思っていたから。

オーケンの出演をきっかけに毎週観るようになり、気付けば物語の展開を楽しみに思うようになって、登場人物に愛着を持つようになった。カズミンが活躍するたびに喜び、美空への想いに共感した。子供の頃は楽しみにしている番組がいくつもあったが大人になって徐々に減り、ビルドを楽しみに思う感覚はどこか懐かしく嬉しかった。己が子供の頃には仮面ライダーは放映されていなかったというのに、大人になった今こうして楽しんでいるのは不思議な縁に感じた。

オーケンファンの自分としては、劇場版のラスボスである最上魁星がビルド本編にも深く関わっていたことが嬉しかった。最上がやろうとしたことと戦兎がやったことの共通性と、二つの違い。最上は自己の欲望を叶えるため、戦兎は世界を救うため。そして、明示されてこそいなかったものの、結果的にエボルトから世界を救うためにもう一つの地球を犠牲にした戦兎。

もう一つの地球の人々にとっては、最上魁星も桐生戦兎も大差なかったかもしれない。

もう一つの地球がエグゼイド側の世界だったかどうかはわからない。しかし、もしそうだったとしたら、最上魁星の再来を暗示するかのように迫り来る地球を見たレジェンドライダー達は何を思っただろう。そしてそれをやったのがかつて最上を倒すため、共に戦った戦兎と知ったなら。

ハッピーエンドと言い切れないもやもやが残るのはこのあたりも由縁だろう。では、戦兎は間違っていたか? そうとは言い切れないし、思いたくない自分がいる。だからこそ考え込んでしまう。

もし皆が生き返って、大団円なハッピーエンドだったらどうだろう。きっとスッキリして晴れやかな気持ちになれただろう。
でも己は、このもやもやが残るビルドの終わり方が好きなんだ。

あぁ、なるほどなぁ。そういうことか。大人も子供も夢中になる理由がとても良くわかった。そして、それを知れた自分はきっと運が良い。
来週もまた同じように録画を続けよう。次のジオウはどんな物語を見せてくれるだろう。楽しみだ。



日記録0杯, 日常

2018年8月19日(日) 緑茶カウント:0杯

このたびの引っ越しでは梱包サービスを使ってみた。引っ越しまで時間がなく、またお盆期間と重なる故友人に手伝いを頼むこともできず、自分一人で詰め込める自信も無かったためだ。

引っ越し業者によるだろうが、己が使ったサービスの値段は三万円。二人の作業員が六時間派遣され、ひたすら梱包してくれると言う。ありがたいなぁ、食器類なんか特に自信が無いしなぁ、としみじみしていればすぐさま当日は訪れ、ありがたく全ての作業をそのお二人に任せることとなった。

いやー、すごかった。

もう容赦なしにバンバン詰め込む。当人であれば思い出に浸ったり、あ、これ捨てようかなどうしようかなと迷うだろうが、そんなことは一切なく目の前の物をひたすら詰め込む。明らかに捨てて良い空になったスパイス瓶も、ちょっと拭いた方がよろしいんじゃないかしらと言うような埃を被った物品もバンバン詰め込む。そこに一切の迷いは無い。

すげえ。これは確かにプロの仕事だ。

そしてたったの三時間で全ての梱包が終わり、二人の作業員は颯爽と帰って行った。途中、転入届の提出のため一時間ほど家を出たのだが、戻ってきたときには粗方詰め込まれていた。

さて、そうするとだね。梱包サービスを使う利点は梱包を自分で行わなくて良いことに他ならないのだが、欠点というか当たり前の事象として、どこに何が詰め込まれているかようわからんと言うことがある。いや、ダンボールには書いてくれているんですよ。「机の上の品々」とか「本」とか「ベッド下のもの」とか、場所や種類を書いてくれてはいるんですよ。でもわかんないんですよ! 解くまで、どこにあるのか!

よって厳重に紙に包まれたものを「何だろう……」と思いつつくるくる開くのだが、そのうちの一つで己はついつい笑ってしまった、やけに厳重に保護されている物品があり、これは何だと開いてみたら……

オーケンのチェキをまとめたアルバムだった。

あぁ、なるほど。作業員の方々はわかってくれだのだ。この部屋の主がとんでもない筋少ファン、そしてオーケンファンであることに。

まぁ、狭い部屋にでかでかと額に入れた筋少のサイン入りポスターなんか飾られていて、DVDやらCDが大量にあったら流石におわかりいただけるだろうなぁ、と笑いつつ、それぞれの小物と共に雑多に袋に詰め込まれた箸置きがある中で、やけに丁寧に紙に包まれた物品があって、解いてみて出てきたのはギターの形の箸置き。おいちゃんの持つストラトにそっくりな。

なるほど、部屋の主の特性を見越して仕事をしてくれるんだね。たは、と笑い、己は箸置きを引き出しに入れた。ありがたいことである。

ちなみに梱包サービスのデメリットとしては、ガンガン詰め込まれてしまうため荷解きをしたときにゴミが発生するってことかな。いや、もっと事前にこちらが準備しとけば事足りるのだが。お金を払って運んでもらい、荷解きの後吟味の挙句結局捨てるという作業が行われるのは若干、まぁ、うん、あれだな、阿呆らしい。可能であれば、その場で捨てる捨てないの判断もさせてもらえたらナイスだなぁ、と思った。

とはいえ大変お世話になりました。また次回もあれば利用しよう。



日記録0杯, 日常

2018年8月17日(金) 緑茶カウント:0杯


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ありがとう。様々な不具合に見舞われましたが、一番枯渇している時期に生きていかれたのはこの部屋があったおかげです。おかげさまで、どうにか生きていけました。感謝の気持ちを込めて磨きました。

ありがとうありがとう。

ありがとうこれまでの部屋よ。大変お世話になりました。



日記録0杯, 日常

2018年8月15日(水) 緑茶カウント:0杯

「マジかよ」「嘘だろ」「どうすんだよ」部屋の中心でバンザイをしながら思わぬ現実に己は途方に暮れていた。右手にはビニール。足元には買ったばかりの踏み台があって、破いた外箱はすぐ近くに落ちていた。

買ってきたばかりの踏み台以外何もないまっさらな部屋。引っ越し前にバルサンを焚こうと思い、踏み台とバルサンを買って新居に入ったものの、踏み台に乗っても天井の火災報知機に手が届かないなんて誰が想像できるだろう。しかもギリギリ、あと三センチほど届かない。

いや、知っていた。自分が小柄な方とは知っていた。まず郵便ポストの中がギリギリ見えない。小さなビルの最上階の部屋に決めたところ、地上にある郵便ポストが一階二階三階と順番に重ねられていて、最上階のポストは必然的に背が高くないと届かないのだ。おい、今までの住民は全員背が高かったのか、不便を感じなかったのかよと心の中で悪態をついても仕方が無い。まぁ、ギリギリ届くんだよ。届くんだよ。奥と底面は見えないけどね! はは、何が入っているかわかりゃしねえ!

ただ、今回ばかりは届きもしない。背伸びをしても肩を回しても届かない。どうしたって届かない。ダメだ、踏み台ではなく脚立を用意すべきだったと後悔しつつ考える。どうにかこの問題を解消する術はないか。しかしこの部屋にはほとんど物がなく、もちろん机も椅子もない。どうしよう。どうすべきか!

で、どうしたと思う? 何とか手は届き、己は無事バルサンを焚くことが出来たのさ。で、いったいどうしたって? 履いてきた靴を踏み台の上に乗せ、さらにその上に踏み台の外箱を畳んだものを乗せて、その上に立ったのさ。そうしてようやく三センチの距離を埋めたのさ。あぁ、しんどかった。しんどかった!! でもバルサンを焚けて良かった!

何となく、その後にも身長ならではの何かしらがあるのではないかと恐怖しつつ、引っ越しの準備を進めている次第である。はは、頑張ろ。