日記録4杯, 日常

2013年8月28日(水) 緑茶カウント:4杯

何て美しい髪なのだろう、と息を呑むほどの髪の持ち主であることにどうして今になって気付いたのかさっぱりわからない。その人とは数ヶ月前に知り合い、ちょくちょく話をすることもあり、笑顔が素敵な人だなぁ、綺麗な人だなぁ、と初めて見たときから思っていたが、今日車道の向こう側を歩く彼女の後姿を偶然見たとき、毛の一本一本がとても良いものでコーティングされているような、ツヤツヤ輝き、サラリと流れ、太陽の光をキラキラと反射するこげ茶色の髪に目を奪われ、あまりの美しさに本当に驚いてしまった。

シャンプーのCMで見る、きっとCG加工されたであろう髪をしのぐほど美しい。生まれ持ったものか、努力により培ったものか、あるいはその両方かはわからないが、何であろうと何と素晴らしいのだろう。己は本気で見惚れていた。綺麗だったなぁ。



日記録4杯, 日常

2013年8月26日(月) 緑茶カウント:4杯

せっかく伸ばした羽と足を畳んで縮めて全力で睡眠を放棄する作業に入ることを宣言する。

寝たいがそれどころじゃない。忙しくなることはわかっていたがまさかこんなことになろうとは。くわぁ。



日記録4杯, 日常

2013年8月21日(水) 緑茶カウント:4杯

すげえ好きな服屋がありまして。ちょちょいっと見に行ったら好みの服が何着かありまして。ところがそこは自分にとってはなかなか良いお値段のお店でありまして。ですからね。どの服にしようかな、と吟味して選ぶわけです。選んだ末に「好きだな」と思いつつ、選外として決着させるものもあるわけです。それは当然の帰結なのです。

しかしまた次の年、自分好みの服が売られているとは限らないのである。

今年は外れ年だった。

そう。好きな服屋であってもその年の流行やデザイナーの気分によって傾向は多少異なるのである。つまり、来年も必ず自分好みの服が揃うとは限らず、場合によっては数年「これ!」というものが見つからず、過去のデザインに囚われ続けるはめになることすらある。さらに、いくら大事に着ようとも服も一つの消耗品、買い足しや買い替えは必然迫られるが、迫られたそのとき自分が欲しいと思えるものがこの世に無いという悲劇に見舞われることさえある。自分はそれを知っている。

あぁ、出来ることなら過去に戻って、あのとき選外に決着させた服を今購入したい、と思ったところで叶わぬ願い。だから気に入ったものを見つけたなら、そのとき買い揃えるべきなのだ。それを自分は学んだ。自身の体験を持って学んだ。次からはそうしよう、と心に決めた。

でも高いんだってばよ。

学んだことを生かすべき、と思いつつ己は今選択を迫られている。来年何が来るかわからないだけに。何も来ないかもしれないだけに。



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2013年8月20日(火) 緑茶カウント:4杯

そういえば我が家の風呂場の換気扇はまだ壊れたままなのだ。先週修理の人に来てもらったのだが、その日は換気扇の型番を確認しに来ただけで、修理は後日改めて、と伝えられたのだ。当日になって。

管理会社との電話では、来てもらった日に直してもらえる話になっていたので面食らったがしょうがない。そして今は次回修理を呼んでもらえる日がいつになるか連絡を待っているところで、当然換気扇は使えないため己は若干困っており、対応策として常に風呂場のドアーを開け放ち、風呂上りには風呂場と隣接している台所の換気扇をブンブン回して日々を過ごしている。

真っ黒になったシャワーカーテンを捨てるタイミングを見計らいながら日々を生きている。電話よ早く鳴るが良い。



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2013年8月19日(月) 緑茶カウント:4杯

はげる夢を見た。

これはなかなかの恐怖であった。ふと鏡を見ると頭頂部が薄くなっており、たっぷり生い茂っていたはずの髪が寂しげに揺れていて、隙間から見えるのは色の薄い頭皮。まるで間引きした後のような頼りなさ。一目見て薄くなっていることがわかる頭だが、それでも「いや大丈夫、ばれない」と夢の中の自分は強く自分に言い聞かせていた。

帰省したとき、ふさふさだった父の髪が若干薄くなっているのを見て受けたショックが影響し、己に夢を見せたのだろうと類推する。若干薄くなったとはいえ、それでも同世代の人々と比べれば十二分に若々しいのだが、親が老けていく姿を見るのはなかなか来るものがあるのだなぁ。

それにしても。話は戻るが、もし仮にはげたとしてもそのときは潔くスキンヘッドにしてやるぜ、と思っていたが、あの夢の様子からするに、結構自分は追いすがるタイプなのかもしれない。怖かったなあ、あれは。

ちなみに父方の祖父は自分が記憶する限り、一度も髪の生えた姿を見たことが無かったため、ずっと髪の薄い人だと思っていたのだが、あれは人為的なものであり、昔からスキンヘッドにしていたと知ったときはひどく驚いたものだ。道理で幼少の自分が好奇心に駆られて頭を撫で繰り回したときも寛容に笑って終わらせてくれたはずである。無論、母にはこっぴどく怒られたが。格好良いおじいさんだったなぁ。