2016年2月4日(木) 緑茶カウント:2杯
ちょうど二ヶ月ほど前である。長年使っていた急須の取っ手がポロリと取れてしまった。約十年使い込んだ愛用の急須が壊れてしまった。しかしこれは一つの機会である。毎日緑茶を愛飲しているのだ。少しくこだわりを発揮して、良い急須を買ってみるのも良いかもしれない。
そう思うと、壊れてしまった悲しみも依然存在するものの、新しい急須に対する期待が膨らみ、わくわくする思いも生まれた。わくわくした。確かにわくわくしたのに己は今も同じ急須を使っている。
どういうこった。
こういうこった。つまりだ。せっかくなら良い急須を、こだわりの急須を購入したいと思った。そのためには様々な急須が置いてある店に出かけ、あれこれ吟味し、その中からたった一つの素敵な急須を選ばなければならない。それは時間のかかることである。時間をかけたいことである。だが、困ったことに己には一つの習慣があったのだ。緑茶を毎日飲むという習慣が。
つまり。新しい急須を買いに行くよりも瞬間接着剤を買いに行く方が簡単だったのだ。
いや、これは繋ぎだ。新たな出会いの前の繋ぎに過ぎないのだ。と思いつつ、結局毎日緑茶を飲めてしまっているのでずるずるずるずる。今日も今日とて一度欠けた急須で何不自由なく緑茶を淹れて飲んでいて、己の今までの人生を振り返ると、あ、これ時機を逃したな。このまま行くな。ということが感じ取れて。思えば携帯電話だってそうなんだよ。今使っているのが今年で六年目。そして二台目。しかもどちらも一度電池交換をしている。どうしたって完全に動作がおかしくなるまで使い続けてしまうのだ。ちょっと不便があっても工夫を凝らせば使えるなら使ってしまうのだ。周囲からはいい加減スマートフォンにしたらいかがかと言われているのに。でも、だって、使えるんですもの。
不自由ない欠けた急須と共に、今日も今日とて一服二服。明日も明日とて同じことを繰り返すのだろう。ははは。