2016年6月13日(月) 緑茶カウント:2杯
忙しい、しんどい。しかしまぁ頑張ろう、と自分を奮い立たせていた柱がぼっきりと折れて消失し、己は途方に暮れている。
さぁて、どうしたものか。
困ったなぁ。参ったなぁ。ストレスばかりが増大してまるでやる気にならない。とりあえず趣味に逃げようか、と思いつつ。あーあ、あーあとうめき続けているのである。
あーあ。あーあー。
うずわみだまし
2016年6月13日(月) 緑茶カウント:2杯
忙しい、しんどい。しかしまぁ頑張ろう、と自分を奮い立たせていた柱がぼっきりと折れて消失し、己は途方に暮れている。
さぁて、どうしたものか。
困ったなぁ。参ったなぁ。ストレスばかりが増大してまるでやる気にならない。とりあえず趣味に逃げようか、と思いつつ。あーあ、あーあとうめき続けているのである。
あーあ。あーあー。
吉祥寺で開催されている萩尾望都展で美しい原画を堪能した後、渋谷に移動し不死鳥に参戦。二年ぶりの不死鳥である。去年は友人の結婚式と被って行けなかったのだ。行きたい気持ちは山々だったが、流石に優先すべきものはわきまえている。
そんなわけで最後に行った不死鳥は一昨年のダブルエースであった。レア曲が多くお得感が強かった反面、レアなだけに若干ノリづらかったことを覚えている。では、対して今年はどうだったかと言うと、実にわかりやすく楽しいお祭り騒ぎであった。
新譜「人間ワッショイ」の曲を中心に、アンジー曲と3-10Chainの曲でバランスよく構成されていた。己は「人間ワッショイ」をこの日のライブ後の物販で買うことを決めていたため、新曲を聴きこまずにライブに挑むことになったのだが、それでも問題なく楽しく盛り上がれて、非常に気持ちよかった。とはいえ新曲全て完全な初聴きだったわけではなく、その前に開催されたアコースティックライブで聴いていた曲も結構あったのだが。
ゲストは森若香織、和嶋慎治、杉本恭一の三名。森若さんは「トゥルーロマンス」「光あれ」「遠くまで」、ワジーは「風天Rollin’(feat.山頭火)」「心臓の囚人」ともう一曲、恭一さんは「素晴らしい僕ら」「ナイタラダメヨ」と新曲と……。だいぶ記憶がぶっ飛んでしまっている。
不死鳥といえばオープニングでスクリーンに映像が流れ、映像終了後メンバーが登場、というのがお約束だが、今回は一風変わっていた。ステージの後方にはいつものスクリーンがなくただただ壁のみ。開場から開演までの間ひたすら暇だったのでぼーっとステージを眺めていた己は「今年は映像無いのかな」と寂しさを感じていた。のだが。
開演の合図として照明が落ちると同時に会場全体に響き渡る耳慣れない声。いや、ある意味耳慣れているのだが、この場所には全くそぐわない。それは、髪がピンクでツインテールでロリっぽいデザインの非実在少女の口から発せられているとしか思えない、アニメ声だったのだ。
きゅんっきゅんな萌え萌え声がライブハウスの暗闇の中で喋りまくる今までにないオープニング。たじろぐオーディエンス。アニメ声はこの日のために録音されたもののようで、最後は「さもなきゃくたばっちまえー☆」という水戸さんお決まりの台詞を萌え萌えで叫び、そこでようやく反応に困っていたオーディエンスがほっとして歓声を上げた……印象を受けた。個人的にはものすごく面白くてゲラゲラ笑いたかったが、それ以上に周囲の困惑する空気が面白く、萌え萌えボイスを聴きながら己はその場でプルプル震えていた。水戸さん、このネタすごく面白いけど、水戸さんの客層には合わないと思います。
ちなみにあの萌え萌えボイス。己は声優に発注したのかなーと考えていたのだが、森若さん説も一部で浮上しているという。真相が気になるところである。DVDで明らかになるのだろうか。
そうして萌え萌えボイスのオープニングによりステージにメンバーが登場! 法被を着た女性のダンサーと、白塗りの男二人に神輿のように担がれた水戸さん! 手には日の丸が描かれた扇子が掲げられ、空気はお祭り以外の何物でもない。「不死鳥」でありつつ、「人間ワッショイ」の新譜発売記念ライブのような様相である。
ライブでは様々な場面で「人間ワッショイ」が挟み込まれ、「ワッショイワッショイ!」と大騒ぎするのが楽しく、その「ワッショイワッショイ!」が回を重ねるごとにテンポが速くなるのが実に愉快であった。
今回聴けて楽しかったのは「光あれ」。森若さんとのデュエット曲である。水戸さん曰く、「人間ワッショイ」には新しい遊びがふんだんに入っているそうで、その筆頭が「光あれ」ではないかと思う。シリアスでムーディーな曲調から一転してのお祭り騒ぎ。初めて100曲ライブで聴いたとき、何かを連想しつつその正体に気付けなかったのだが、今日その「何か」を聴いてわかった。「明日への誓い」である。こういう唐突な展開が入る曲、大好物だ。
嬉しかったのは「ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル」「ナイタラダメヨ」「ミミズ」「恋のメロディ」「愛の賛歌」「明日への誓い」。「ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル」は本編後半で演奏され、オープニングの後ステージから退場していたダンサーの女性がここで再登場! ただでさえ盛り上がる曲なのにこのサプライズはとても嬉しい。ノリノリで明るくて楽しくてコミカルで、それでいてちょっと切ないのがたまらないんだよな。
「ミミズ」から始まったメドレーも最高だった。「恋のメロディ」「ジュージュー」「シャ・ラ・ラ」「愛の賛歌」から、最後あの重々しく駆け上がるベースの音で「ミミズ」に戻る気持ち良さ。特に「恋のメロディ」! 「楽観Roll Show!!!」で一、二を争う好きな曲である。歌詞はシンプルで、あえて多くを語らない。ただただ同じ言葉を繰り返すだけなのだが、そこに切々とした必死さを感じるのである。
新譜の「風天Rollin’(feat.山頭火)」は、タイトルからも想像される通り、種田山頭火をモチーフにした曲で、歌詞にも一部が引用されている。分け入っても分け入っても青い山。水戸さんは山頭火について、難しい言葉を使っていないのに、ぐっと心に迫る詩を書くと言っていた。そうして自分はそれは水戸さんにもあてはまっているように感じていて、それが如実に表れているのが「恋のメロディ」だと思うのだ。
ちなみにワジーは水戸さんのリクエストで三度笠をかぶって登場。水戸さんが言うところの山頭火コスプレとのことだ。ワジーはこのために三度笠を購入したそうで、水戸さんに「人間椅子のくせに持っていないんだ!」とつっこまれていた。確かに所有していそうなイメージはある。
しかし現実のワジーは三度笠を所有していない。すると買わなければならない。ところが本格的なものは結構なお値段がする。これを買っても人間椅子のライブで使う予定はない。そして本格的なものを買うと旅に出たくなってしまう、ということでamazonでパーティーグッズの三度笠を購入したとのことだが、ワジーがかぶると本物にしか見えなかった。
ワジーとのやりとりではロシアの話も。水戸さんがワジーを呼び込むとき、「俺達のギターヒーロー・ロシア帰りのワジー!!」という風に紹介した直後「ロシア行ってないです」と衝撃の告白をするワジー。のけぞる水戸さん。
曰く。人間椅子がロシアでライブに呼ばれていたのだが、あちらの都合で白紙になった。そのことを水戸さんは知らず、きっとロシアにまつわる面白い話がたくさんあるだろうと思って、ライブまでとっておくためにあえて楽屋でロシアの話をワジーに振らなかった。そしてワジーも、ステージで「実は行っていないこと」を告白した方が面白かろうと思って水戸さんに言わなかった。とのことである。
ただロシアでのライブが中止になった件については、うすうす感じ取れるところがあったそうで、人間椅子側はさほどショックではなかったらしい。ライブの中止は残念だが、それはちょっと救いであるよな。
森若さんとの水戸さんのやりとりも面白かった。モニターに足を乗せて喋る水戸さんに対するツッコミや、レコーディング時の遠慮のない会話再現。そして子供番組の歌のおねえさんのような、ポップで明るくて、小さめの絵を無理矢理拡大コピーしたかのような細部がざっくりした衣装! あれはいったい何の服だったのだろう。
恭一さんは久しぶりの登場である。「人間ワッショイ」にもほんのちょっとだけ声がレコーディングされている。この声はもともとMAGUMIさんに依頼していて、MAGUMIさんも水戸さんのためならと二つ返事でオーケーしてくれたのだが、何とレコーディング当日にぎっくり腰になってしまい、水戸さんが唯一頼れるのが恭一さんだけだった、とのことである。しかし恭一さん、まだCDをもらっていなかったらしく、「もう発売されてるの?」と驚いていた。それに対して水戸さんは謝りつつ、最近忘れっぽくなったこと、今日もライブのために法被やらシャボン玉の出るピストルやらいろいろ準備したが、肝腎のメイク道具を忘れてしまったことを告白していた。
しかしライブハウスのある地渋谷は流石である。水戸さんのメイクに使われる「シュウウエムラ」も、コンビニ感覚でどこにでもあるので事なきを得たそうだ。これが別の土地であると苦労するという。コンビニで調達するしかなく、すると鉛筆のような形をした眉墨で目の周りの広範囲を塗りつぶさなくてはならなくなるため、血が滲むのだそうだ。実に痛そうである。
本編ラストは「天井裏から愛をこめて」。この曲は何回やっても楽しいし、「大好き! 大好き!」と叫ぶことで幸福な気持ちになれる。アンコールのラスト、ゲスト全員とともに歌われた曲は「明日への誓い」で、これは意外性があったなぁ。陽気でハッピーな曲調だけど、現実の生々しさが感じられる曲。
終演後水戸さんのサイン会があったのだが、緊張して言いたいことを伝えられなかったのが心残りである。しかし、楽しかった! 来年は十四回目で、いよいよ何にもなぞらえられない半端な数字とのことだが、数字が何であろうときっと全力で盛り上げてくれるだろう。己も全力で盛り上がろう。絶対に。
2016年5月18日(水) 緑茶カウント:2杯
反動とギャップもあるのだが。十代前半の頃、インターネット上では五歳ほど年上に見られ、二十代前半では初対面の人に三十代と思われていた。しかし三十を目前に見据えた今、いや今より少し前から、実年齢より下に見られることが増えて悩んでいるのは、幼稚さの表れを指摘されているからかと焦るからである。
年相応に見られたい。いっそ年齢不詳を地で行くために素っ頓狂なファッションでもしてやろうかと思いつつ。そんな度胸も好みもなく、ただただ日々ギャップに驚き、「何か違うなぁ」「どうしたこった」と思うのである。
ところで文脈とは何の関係もないのだが、ついにおそ松さんグッズをちょこちょこ集め出すようになってしまった。今まではブルーレイと雑誌とCD程度だったのに。あぁ、ここに行くと際限が無いぞと思いつつ止まらない。やばい。まずい。しかも特別好きな松がいないだけに六つ子全員分集めたくなるからさらに際限がない。あぁ、どこまで行くのかこの欲望。自分自身に対し、若干戸惑い始めている。やばい。
2016年5月15日(日) 緑茶カウント:2杯
先週予約した本が届いたとの報せを受けて図書館へ向かった。己の住んでいるところは徒歩二十分圏内に二つの図書館があり、それぞれ別の市区町村は運営している。例えば一つは渋谷区、一つは新宿区と言うように。渋谷区の図書館では渋谷区にある全ての図書館から資料の取り寄せができ、新宿区も同様である。よって渋谷区にない本を新宿区から取り寄せたり、新宿区にない本を渋谷区で取り寄せたり、といったことが出来るので、便利さを噛み締めながら借りてきた本を読んでいる。
思えば大学卒業以来めっきり図書館を利用していなかった。近所の図書館を探すことすらしていなかった。欲しい本はとりあえず買っていたからであり、それで不満が生じなかったからである。そんな中で最近図書館を利用するようになったのは、高価な専門書を「趣味で」読みたくなったためだ。価格は一冊七千円ほどで、専門書ゆえ大きな本屋を探してもなかなか見つけられない。インターネットで購入できることは知っているがいきなり買うのは勇気がいる。何せまず、内容を理解できるかわからないのだ。せめて中身を少しでも見られれば購入の判断が出来るのだが……。
そうして悩み続けていた最中図書館の存在を思い出し、行ってみたら取り寄せできることがわかり、喜びながらガンガン借りて、あーやっぱ難しいなーと思いつつ、一緒に借りてきた入門書から手を付けて、少しずつ読み進めている。楽しい。とても楽しい。
ちなみに借りたのは義肢装具に関する本だ。まず義肢ユーザーのエッセイから始め、義肢装具士を取材した本を読み、今は義肢装具士になるにはどうしたら良いか解説した本を読んでいる。あと義肢装具学の本と、義肢装具メーカーの本と、再生医療の本と、生体医工学の本を借りた。身近に義肢ユーザーがいないため知らないことばかりで非常に興味深い。
興味関心の連鎖に任せて本を読んでいく楽しさよ。あぁ、快感。
2016年4月24日(日) 緑茶カウント:2杯
筋肉少女帯の新曲「週替わりの奇跡の神話」。発売されてからここ数日、何度も何度も延々と繰り返し聴いている。アニメ「うしおととら」のために作られた主題歌であるこの曲は、潮ととらの二人の関係性を歌うと同時に、「だけど変わらないあいつらいると言う ああ 時を超え生きてるからさ」と、物語が完結した二十年後にアニメとなって現代に蘇った「うしおととら」という作品そのものについても歌っているのが実ににくい。
そして特筆すべき点は、筋少にしては珍しく「永遠がある」と歌っていること。これは今までの筋少の歌詞にはなかったことだと思う。
「愛など存在はしない、この恋もどうせ終わるさ だが二人の出会えたきらめき」と歌う「きらめき」。
「いつか恋も終わりがくるのだから、一人ででも生きてけるように君の頭をよくしてあげよう」と歌う「香菜、頭をよくしてあげよう」。
「たった一つの輝きを失くしたとしても大丈夫、形が変わっていくだけさ」と歌う「ワインライダー・フォーエバー」。
永遠と思っていたものも、愛も恋もいつかは終わる。でも大丈夫だよ、と終わりがあることを受け入れさせ、声をかけてきたのが今までの筋少である。そんな中で、「永遠なんだと信じていたものもいつかは終わる、だけど変わらない絆がある」と歌う「週替わりの奇跡の神話」は異端な歌詞だ。永遠がないという前提を覆し、「ある」に転じる歌詞。「うしおととら」のための曲だからこそなのか、それともオーケンの考え方が変わったのか。
しかし。「永遠がある」と希望的なことを歌っているように聴こえるが、結局「奇跡の神話」の中にしか「変わらないもの」はないのであった。もっと言えば、物語の中にしか「永遠」はない。つまり、神話の外の世界である我々の世界は移ろい行くのが常であり、永遠など存在しない。ないはずの永遠があるからこそそれは「奇跡の神話」なのである。ギリギリを生きて、命を賭けてつるむほどのことをしなければ永遠なんぞ手に入らないのである。
オーケンは何も変わっていなかった。表現方法を変えただけで、今までと同じように「永遠なんて滅多にない」と歌っていた。ただ、表現方法が変わっただけで、「あるかもしれない」と錯覚しそうになるのである。その点で「週替わりの奇跡の神話」は、「ない」と言い切る他の歌詞よりも残酷であり、そして切ない。
だが、だからこそ物語の中の永遠が輝きを放つのだ。そうしてそれが、移ろい行く現実を生きるうえでの糧となる……が、輝きに目が疲れることもある。そんなときに己は「ワインライダー・フォーエバー」を聴いて足元を確かめ、コトコトコトコト歩き出すのである。
永遠は、神話の中にしかないのだ。