幸福
2017年7月2日(日) 緑茶カウント:3杯
自分にとっての幸福とは何だろうと思うことがある。
久しぶりに「動物のお医者さん」を読み返した。子供の頃、今は亡き母の所有する単行本を読み、大人になって完全版を自らのために所有した。この世界では小さな事件は起こるものの大きな事件はなく、恋愛も無ければ憎悪も無く、淡々と時が過ぎ、人物は歳を重ねていく。子供の頃には大学生や大学院生の生活を知らずに読んだため、なるほどそのようなものか、とただただ描かれたものを受け入れていたが、大学を経て社会に出た今、彼ら彼女らが世間に比してどのように生きてきたか見えるようになった。例えば、二階堂はこんなに主体性がない人物だったのか! など。無論それは漫画の中でも言及されていたが、子供の頃の自分はその意味合いの深さを読めなかったのである。
自分にとっての幸福とは何だろう。自炊をする時間があり、そこそこの品数の料理を食べ、趣味に使える時間がたっぷりあり、きちんと睡眠がとれ、運動ができる。たくさんの気に入りの本を書棚に並べ、ライブに行って爆音の音楽に身を任せ、その感想を書いて興奮を昇華し、次の公演に思いを馳せる。このようにつらつらと何でもない日記を書く時間があり、美味しい緑茶を淹れる余裕がある。これらは部分的に得られているが、部分的に得られていない。しかし限りなく理想に近いところに近付こうとしているのではなかろうか、と思う。
「動物のお医者さん」の世界にはほとんど恋愛が描かれない。せいぜい菱沼さんの小さなエピソードくらいで、ハムテルにも二階堂にも浮いた話がない。その世界は自分にとってとても楽なもので、安心しながらその世界に浸ることができた。そして今、それに近しい世界に生きているように思う。面倒なことを言う人も中にはいるが、何とか遠ざけることができている。
しかしその面倒なことを言う人は血が繋がっており、地理的には遠いが血縁的には近く、また、あと何年この世に滞在するかもわからない。ボケの兆候が見られるとの声も聞く。会いたいと望まれている。だが、会えば己は苦しい思いをする。故に極力会わない選択をしている。
夏と冬。つらい電話を聞くのがしんどい。いつからか自分が苦手に感じていた人に、とても好かれ、会いたいと望まれている現実。そして己が距離を置くために、人の不幸があるとその人らは喜ぶようになった。葬式や法事があるなら来るだろうと、来るに違いないと。きっと悪気はないのだろうが、なかなかしんどい。
自分にとっての幸福とは何だろうと思うことがある。口中に広がるは苦い味。きっと自分は、その答えを知っている。