帰宅後の。
2015年8月17日(月) 緑茶カウント:4杯
ベッドに座る九十四歳の祖母に、「私が生きているうちにどうかひ孫に会わせてちょうだい」と手を握られながら言われるってのはなかなかきついものがある。その願いを叶えられないだけに。
盆である。祖父母の家に行けば毎度のことであるが毎度ながら毎回しんどい。九州の山奥の限界集落。個人商店の多くがシャッターを下ろし、空き家が増え、スーパーも潰れた。祖父母の子供達三人も田舎を出て外に仕事を求めて生活をしているのに、孫の己に「帰ってきてほしい」「こっちに引っ越して仕事を見つけて結婚して子供を作ってほしい」とせがむのはお門違いだろうと思うが、どうしても期待と希望を捨てられないらしく、何かにつけては口にするのである。
そもそも結婚するつもりはなく、子供なんぞは言語道断な身の上だ。とはいえその由縁を説明することも出来ない。故に関東に戻っても憂鬱を引きずるはめになる。しんどい。
だが、救いもある。父も叔母も己の盾になって守ってくれる。とてもありがたい。そして友人の存在。自分が結婚を人生の選択肢に組み込んでいないのは性別に違和感があるためだ。その詳細を一から十まで友人に語ったことはほとんど無いが、理解してくれている人もいる。ある友人に結婚を前提とした交際をしている女性を紹介されたことがあった。後日、女性は友人に「特に偏見とかは無いのだけれど、ウヲさんは同性愛者なの?」と質問したと言う。それに対しどのように答えたか問うてみると、「ウヲさんはウヲさんという性別の人なんだよって言っといた」とカラカラ笑って語るのだ。そしてその後も特に変わりなく友人夫婦との交際は続いているのだ。ありがたい。
この貴重な関係を築けた友人達をかなぐり捨てて、自分を無視して、祖父母以外に縁のある人など誰もいない土地に引っ越して祖父母の望む生き方なんぞ出来るわけが無く、しかし希望を叶えられないことに対する罪悪感を完璧に払拭することも出来ず。今日も今日とて悶悶とするのである。あぁ。