若く見えるとはいかなる意味か
2015年8月10日(月) 緑茶カウント:2杯
全くもって不思議なことだが、このところ「若い」「若く見える」と言われることが増えた。とても増えた。とても増えたのでいぶかしんでいる。何故なら今よりもっと若かった二十代前半の頃は、必ず実年齢よりも上に見られていたからである。三十代の人に「私より年上かと思った」と言われたことさえあった。それは流石にまず自己認識を改めたまえよと突っ込みたくなったが、とにかく実際の年齢よりも上に見られていたのである。
しかし不思議だろうが何だろうが二十九歳の自分が人様から若い若いと言われるのは事実であるので、その意味を考えてみようと思う。考えるべきである。このまま文字通りに受け取ったら恐ろしい目に合う気がしてならないのでしっかり原因を探ろうじゃないか。
そんなわけで、いったいどれが該当するかわからないが、考えられる可能性をピックアップしてみるとしよう。
(1)服装・外見が一般的な二十九歳の定型から外れている。
いわゆる「二十九歳らしい」、しっかりした格好をしていないので、それらしく見えない、かと言って何に分類されるのかもよくわからないため、年齢がわからず、若く見えるという錯覚を起こしている。ありそうである。
(2)思考・能力が幼稚である。
実年齢にあるべき思考・能力が伴っていないことを暗に非難されている。そのうえで「もっと成長したまえよ」と呆れられている。これだったら怖い。
(3)世間の「三十代前後」のイメージと実際の「三十代前後」が乖離している。
これは結構あるのではないかと思っている。三十代と言うと、やたらとおっさんおばさん扱いされるきらいがあり、当人達もおっさんおばさんを楽しそうに自称し出すが、そこにはまだ余裕が見え隠れしている。「おっさんおばさんなんてまだ早いよ」と他人に否定される前提での自称であり、その前提が通じるのである。
(4)白髪が無く、髪が多い。
襟足にハゲはあるけどな。
(5)周囲に気を遣われる立ち位置・年齢になっている。
これもあるかもしれない。事実がどうであれ、「お世辞を言われる」存在になっているのかもしれない。
(6)内面が外見に追いついた。
もしかしたらあるかもしれない。ここに記す文章もツイートも、老成している、じいさんのようだと言われることがままある。ゆえに二十代前半の頃は過剰に落ち着いて見えていたのが、三十代間近になり年相応に近付いてきて、ギャップが薄まり違和感が減ったのかもしれない。
まだあるかもしれないが、こんなところだろうか。何にせよ真に受けて調子に乗らないよう気をつけたいところである。だいたい同年代の友人達が、そもそも大きく変わった印象が無いのだ。そりゃあ腹が出たり白髪が生えたり多少の変化こそあるものの、さほどでは無い。よって(3)の世間の三十代前後のイメージと実際のそれが乖離している、が一番有力候補に思えるので、人様の言葉に影響されて若いと思い込まないよう気をつけたい次第である。
このように意識しつつ、何でここまで気を遣わねばならんのだ、恐怖するはめになっているのだと思う自分もいる。ううん、なかなか難しい。