寒さへの無頓着
2014年10月19日(日) 緑茶カウント:0杯
「ウヲはいっつも一枚少ないよねえ」と言われたのは確か大学時代。サークルの友人数人で駄弁っていたときのこと。時は晩秋。肌寒さを感じ、それを口にしてさもありなんとばかりに返ってきた言葉で、周囲の友人もうんうんと頷いている。己は薄手のパーカーに長袖のシャツを一枚、それにジーンズという出で立ち。友人達はと言うと厚手のジャケットの下にニットを着込んでいたり、中にはマフラーを巻いている者も。あぁ、確かに少ない。そして少し遅れている。
そのとき自覚するまで気付かなかったのだが、自分は服の枚数を増やすタイミングが人より少しずれていた。春は春服だ。夏は夏服だ。しかし九月の終わりから十月の初めまで夏服のままで、十月の終わりからようやく九月頃着るにふさわしい服を着始め、いよいよ寒くなった頃、帳尻あわせのように冬服を着込む。よって、人より着る枚数が一枚少なく、さらに困ったことに、首に綿百パーセント以外の布が触れると痒みが発生するため冬でも首回りが開放感でいっぱいという有様。傍からは寒々しく見えていたそうだ。
また、見えるだけでなく、自分自身も寒かったらしい。全く気付いていなかったが。
去年から咳喘息を患い始めた関係もあり、意識して服を着込むようにしているのだが、すると調子が良いのである。どうやら他の人が「寒い」と判断している温度を「普通」と認識していたものの、体はしっかり冷えていたらしい。ちゃんと着込んだ方が具合が良かった。
と、気づいたのが今年であり、無頓着にも程があるな、と認識しつつ、今年は珍しくちゃんと着込んでいる。齢二十八にして人間らしくなれて嬉しい。