日記録1杯, 日常

2014年12月15日(月) 緑茶カウント:1杯

四キロ増えた。増えすぎである。それもほぼこの一ヶ月で増えている。理由は明白だ。食事を作るためのやる気が生じず、がっつり食べるくせ酒も呑み、運動もろくにしていなかったからだ。増えないわけがない。

特に腹回りに肉がついているのを実感している。顔も丸くなった。人生で一番体重が多かった時期まであと二キロである。油断すればサラッと行けてしまいそうだ。

ということで来年の目標を決める。四月までに四キロ減らすのを目指そうか。ちょっとこのままでは、よろしくない。



日記録0杯, 日常

2014年12月14日(日) 緑茶カウント:0杯

そういえば昨年の十二月にも中野ブロードウェイに行ったな、と思い出す。もしや己は一年ぶりに来たのだろうか。別に年に一度十二月に中野ブロードウェイに参ることを恒例行事としているわけではなく、ただの偶然でしかないのだが。

特に目的はなく、まんだらけを中心にぶらぶら歩いて、メカノでヒラサワのライブDVDを購入した。シャッターの下りた空のテナントもある。ここに住めたら面白かろうなぁ。異界の住人になった気分を味わえそうだ。だが、それが日常となるとすぐに慣れてしまうことも想像され、それはもったいないので、たまにここに来て迷い込むくらいがちょうど良いのだろう。

一年前にここに友人と来て、帰り道に告白をされて以来会っていない。今友人はどうしているだろうと思う気持ちもあるが、まだしばらく会う気にはなれないだろう。あのとき自分は嬉しいと思うよりもがっかりしたのを覚えていて、そう感じた自分を人でなしのように思った。

友情とは難しいものである。



日記録1杯, 日常,

2014年12月13日(土) 緑茶カウント:1杯

傾けた醤油は傾けすぎた醤油であり、己は「しまった」と思いつつ、もうどうにもならない。とりあえず目の前の挽肉と微塵切りの野菜をこねて混ぜて、スプーンで一すくいしたものをラップでくるみ、電子レンジにかけて加熱の後に味見をし、「うわあ辛い」と呟いて悲嘆にくれたのだ。それはほぼ醤油の味の肉だった。

餃子会。各々の家の餃子を作って持ち寄りましょうという会合の当日、我が家で作っていた我が家の味の餃子は、うっかり醤油を入れすぎたがためにただの醤油味の肉と成り果てた。大量の醤油味の肉。これをどうする? いくら味が濃すぎるとはいえ捨てるにはもったいなく、今より一から材料を揃えて作り直していては餃子会まで間に合わない。とはいえこのまま包んでしまうのは暴挙に余りある。どうすれば良い?

どうもこうも無い。己は近所のスーパーまでダッシュをして挽肉と餃子の皮を買い足した。味が濃くなってしまったなら薄めるしか他に無い。結果、当初の予定の倍の量の餡が出来た。もう死に物狂いで包むしかない。ひたすらひたすら餃子を包みまくった。

苦し紛れの末に出来た餃子だったが、肉を増やしたことにより「肉がたっぷりで美味い」という評価を得て、これこそ災い転じて何とやらだなと思いつつ、どうせなら本当の我が家の味を味わってもらいたかったなと思いつつ、ほっと一息ついたのであった。とはいえ楽しい会合であった。普段家で餃子を食べる場合、そうそう多種類のものを食べることなぞ無いが、本日は野菜餃子、肉餃子、スタンダード、洋風、水餃子、餃子もどきなど、いろいろな味を楽しめた。おかげで酒も進む進む。よって己は今とても良い気分であり、良い気分を味わいながら酔い覚ましに緑茶を飲んでいるのである。

あぁ、美味し。



日記録2杯, 日常

2014年12月9日(火) 緑茶カウント:2杯

日記の書き方を忘れてしまったように感じるのは、日常を拾う感度が弱まっているせいかもしれない、というほど、大したことは書いちゃあいなかったが、今日一日何があっただろう、何を考えただろうと思い返すも、あまり出て来ないのが不思議だ。

とりあえず今日はお茶を二杯飲んだ。甘くて苦くて爽やかで美味しい。明日は筋トレを再開したい。それと、ヒラサワのライブDVDを新しく購入したもののまだ封を開けられていないので、これも観たい。ただ、今はひたすら筋少だけを聞き続けたい気持ちもある。

あぁ、こういう風に書いていたんだったかな。



日記録2杯, 日常, 非日常

2014年12月7日(日) 緑茶カウント:2杯

一区切り、ついたのだろうか。

お骨を母の生まれ故郷に運んだ。五十日祭には子供の頃、母とよく遊んだという従兄弟や親戚の方々が集まってくれた。母に似ている、似ているとよく言われた。かと思えば父に似ている、似ているとも言われた。そりゃあそうか。だが当人らに自覚は無く、不思議な心持になる。

忌明けもへったくれも無いほど、己は通常通り生活をしていた。よってここから何か生活が変わるわけでは無い。きっとこれからも思いを馳せるだろうし、悲しみを噛み締めることもあるだろう。だが、ここを区切りとして、何か生活を変えてみようかという思いもある。

とりあえず今日と明日はゆっくり過ごそう。