2015年1月4日(日) 緑茶カウント:0杯
どんなときでも新しい年は始まるもので、気付けば三日も消費している。
今年は日記のペースを意識的に緩めて、書かないときは書かないことを心がけてみようと思う。そしてその分の時間を他に充てたい。よく考えて、思考する一年にしよう。そうしてより良い三十歳を迎える準備をするのである。
抱負かな? 抱負だよ。
うずわみだまし
2015年1月4日(日) 緑茶カウント:0杯
どんなときでも新しい年は始まるもので、気付けば三日も消費している。
今年は日記のペースを意識的に緩めて、書かないときは書かないことを心がけてみようと思う。そしてその分の時間を他に充てたい。よく考えて、思考する一年にしよう。そうしてより良い三十歳を迎える準備をするのである。
抱負かな? 抱負だよ。
2014年12月29日(月) 緑茶カウント:4杯
酒を呑みながら、ゆったりとした日常を過ごしているのである。楽しい。
楽しい、の中に寂しさが見え隠れする。これが己の年末年始である。
でも、きっと楽しいのだ。きっと。
2014年12月25日(木) 緑茶カウント:0杯
近所にちょっと良い店があったのだ。カウンターに四席、後ろにテーブルが一つという小さな佇まいで、マスターが一人で切り盛りしているイタリアン。カウンターの奥の棚には雑多に物が積みあがっており、やや雑然とした雰囲気もあるが、出される料理は美しいのだ。シンプルながらも気を遣われたデザインの皿に、綺麗に盛り付けられて出てくる。チーズの盛り合わせを頼めばチーズが美しく飾られ、隅に蜂蜜の入った小さなポットがちょこんと置かれるのだ。手作りのピクルスも美味く、釜焼きのピザも美味く、良い店を見つけたと思ったものだ。
ところが。カウンターの奥の棚に見えた「雑多」がだんだんと侵食してきた。カウンターの前にコーヒーメーカーが置かれているのだが、これに埃がたまっている。気楽に入れるのが長所の店とはいえ何だかな、と思いつつチーズの盛り合わせを頼む。チーズの種類にもよるのだろうが、このとき、あの蜂蜜の入った可愛らしいポットが無くなっていた。少し残念だった。
そして少しずつ少しずつ。「雑多」はカウンターの奥からこちら側へとやってきて、ついには皿はそこらで売っているただの丸皿になり、チーズも生ハムも飾られることなくただ「乗せられた」状態で供されるようになったのである。のほほんとした店主の雰囲気だけは変わらない。次回来るとき、この「雑多」がどこまで侵食しているか楽しみなような恐ろしいような。見送るつもりで見守っている。
2014年12月24日(水) 緑茶カウント:2杯
今日はほうれん草とチーズのオムレツとパンを食べ、緑茶を飲んでゆったりと過ごした。余韻を噛み締めながら飲む緑茶は実に美味く、こんなクリスマスイブも良いものだなとしみじみ思った。
ちょうど茶葉が無くなったので、明日は普段よりちょっと贅沢な茶葉を買おう。そうして家にある羊羹を分厚く切っていただくのだ。これはきっと、絶対に楽しい。
2014年12月21日(日) 緑茶カウント:2杯
あぁ、寒い寒い。巻きつけたマフラーを首元に引き寄せ、冷たい風が吹く中を小走りで駆け抜ける。夜の二十三時。駅の周辺では酒に浮かれた人々を見かけたが、少し離れると人気も無くなる。とはいえ、自販機とコンビニと街灯の灯りがあるため真っ暗闇では無い。歩くのに不自由は無いが音が少なく、寂しい夜だ。無論ここに留まる理由も無く、己は我が家を目指してひたすら真面目に歩いていた。寒さの中で。
寒いのである。とにかく寒いのだ。とても意味無く立ち止まる気になれない寒さだ。コートを着ていたってマフラーをつけていたって寒いのだ。何もつけていない耳は言うまでもなく寒いのだ。そんな寒さの中、コンビニと駐車場の間の細い路地の隅で、成人男性二人が向かい合って座り込み、トランプをしているのを目撃し、思わず己の足は止まりそうになった。驚きのあまりに。
二十代、せいぜい三十といった面持ちだ。若いが、馬鹿をやるほど若すぎるようには見えない、一見すると常識的そうな格好の二人である。しっかりと防寒具に身を包み、トランプの「スピード」に興じている。それらを早足で駆け抜けながら見た。思わずあからさまに凝視してしまった。向こうも気付いたようだった。つい声をかけそうになったが飲み込んだ。おい、何故そこで、しかもこの真冬の寒さの中でトランプをしているのだよ。
これを見たのは二週間ほど前のことだが、以来二人がトランプ遊びをする姿は見ていない。暖かい季節に見てもそれは不思議な光景だっただろうが、よりにもよって凍てつく寒さの中で見た光景。あの道を通るたびにあの二人のことを思い出す。彼らは何ゆえそこでトランプをしなければならなかったのか。気になって仕方が無い。しかし、きっと、もしもう一度彼らがスピードをしている姿を見かけても声をかけずに通り過ぎるだろう。
これだから日常は面白い。