日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2015年8月5日(水) 緑茶カウント:2杯

昨日フライングゲットしてから、暇さえあれば「混ぜるな危険」を聴き続けている。てっきりアニメのオープニングで流れる九十秒分は一番の歌詞かと思いきや、全体をミックスし、再編集したのがオープニングバージョンで、フルは始まりからしてオープニングと歌詞も曲も違うのであった。

アニメのオープニングで流れる歌詞は、うしおととらというコンビを歌ったものだが、フルは恋愛を想起させるところもあり、うしおととらの関係性を恋愛になぞらえたのか、それとも全く別のものと捉えるべきか判断に迷うところである。こればっかりは物語を最後まで観ないことにはわからないだろう。楽しみである。

いやーそれにしても格好良い。中盤に語りが入り、童謡のような曲調になるところ、それでいて歌詞はシドアンドナンシー。よくもまあこうも混ぜてくるものである。これだけでもたまらないのにカップリングのライブ音源も良い。イワンのばか、ムツオさん、釈迦と、バリエーション豊かに人が死ぬ曲を三つも並べる構成で、うしおととらをきっかけに、初めて手に取った人の反応が気になるばかりである。

さらに初回限定盤についてくるDVD。お値段以上のボリュームで満足度の高さったら無い。デコイとクレーター、ニルヴァナ、恋の蜜蜂飛行。よくぞ入れてくれました! ありがとうありがとうと感謝しながら堪能し、DVDを肴に酒を呑んだものだから今日は軽い二日酔い。堪能しきって気分が落ち着いたら歌詞に出てくる単語について調べたりなんだりしてみよう。

あぁ、楽しいったら!



日記録2杯, 日常,

2015年8月2日(日) 緑茶カウント:2杯

夏は良い。夏は実に良い。野菜を茹でたり切ったりするだけで美味しい。特にトマト。トマトは塩を振っても美味いし、クリームチーズを乗せてオリーブオイルをかけてパセリとクレイジーソルトを振り掛けても美味いが、ただ切って皿に盛るだけでも充分美味しい。この美味しい野菜が、夏を過ぎると急に味気なくなり、いやまあそれでも美味しいのだけれど、やっぱりこの時期の美味しさは格別なのである。

オクラも美味い。三十秒さっと茹でるだけで美味い。マヨネーズをつけてサクサク齧ると最高である。ちょっと切ってごま油と塩で味付けしても良い。きゅうりも美味い。こいつは切るだけで良いし、いっそ切らずに齧って塩を振って食べるだけでも美味い。

そんなわけで最近の食卓は野菜がたっぷりで満足度が高いわりに手間がかからない嬉しさで満ち溢れている。カリカリポリポリ、よく噛む必要があるのでしっかり食べた感じもするのが良い。

そして今日の晩飯は、キャベツと大葉とミョウガの梅おかか和えと、小松菜と豚バラのガーリック炒め、茹でたオクラときゅうりのスティック、スライストマトの四点。あと、胡麻豆腐とところてんも冷蔵庫にあったがそれは明日のお楽しみで。野菜が美味しい季節。夏だ。良い季節である。



日記録2杯, 日常

2015年7月30日(木) 緑茶カウント:2杯

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たくさんの祝辞を賜った一日であった。生まれた日であり生んでもらった日でもある。そして後者について考えたことは今までの人生でほとんど無く、あぁ一言伝えておけば良かったと後悔し涙した。

写真は友人からもらった鬼太郎ビール。誕生日プレゼントに、というわけではないが、つい最近遠路はるばる贈られてきたものである。鳥取県に足を運んだ折、己が鬼太郎を好いていることを思い出してくれたのだ。何とありがたいことだろう。嬉しいことである。

様々なことに感謝しつつ、いただきます。



日記録2杯, 日常

2015年7月29日(水) 緑茶カウント:2杯

放っておくと三十五度にもなる密閉されたこの部屋で、セミの幼虫が羽化をする様子を観察しようと張り切って見つめていたが、背中にヒビが入る前にセミは落下し全身を打撲。救助し元の位置に戻してやったがその後動くことは無く、朝になっても変わらない姿で黙りこくっていた。

暑い。

セミの死骸は外階段の近く、ドクダミの群生のそばに安置した。蟻か虫か他の動物が食べるかもしれないと思ってのことだが、朝に家を出て、夜戻って確認したものの様子が変わったようには見受けられず、黙ったまま同じ姿でそこにいた。部屋に入るとやはり室温は三十五度。ここまで室温が上昇するなら、いっそ冷房をつけっぱなしにした方が家具や電化製品、食物、様々なものの健康が守られるのではないかと思うが、いまいち踏み切れず三十五度の室温を堪能している。暑い。

今日も道すがら、道路を横断するセミの幼虫を発見した。再度捕まえて持ち帰ろうかとも思ったが、昨日の今日であるので断念し、近くの木の根元に連れて行ってやった。全く見当違いな方向に歩いていたのである。お前は何を目指していたのだ、と問いたいが、方向音痴なセミはせっかく連れてきてやった木の根元からガサガサ離れてまた道路を横断しようとし出す。もしかしてそこに何かあるのか。セミにしか見えない恐ろしい何かが。

しかしセミにしか見えない恐ろしい何かは己には見えないのでそこを去る。明日うるさく鳴くうちの一匹がそいつであると良いなぁと思いながら。暑い。

明日、またセミの幼虫に出会ったらもう一度連れて帰ってみても良いかもしれない。



日記録2杯, 日常

2015年7月24日(金) 緑茶カウント:2杯

最近、かつて近しかったけれど近年遠かった人と、近しい人の近しい人の近しい人の死があった。二件。そして己は進まない自転車をこいでこいでこぎまくり一日約十四キロ前に進まず走っている。弔電を打った。思いを馳せた。心身に支障を来たす衝撃こそ無かったものの脳裏からなかなか離れない。日常の中にいるようで非日常の中にいるようでもある。寂しい。

亡くなった人の一人は、とある挫折を経験してから、ずっと動けなくなっていた人で、それが最近ようやく立ち上がり、何とか前に進み出すことが出来るようになった人で、その矢先に心筋梗塞。己とたった一つしか年が違わない。まだ若いのに、ときっと皆が言うだろう。己も思う。そしてまた、やるせないなぁと感ずるのだ。

もう一人の方は面識こそ無いものの、その人が亡くなったことできっとあの人が悲しむだろうということがよくわかり、その寂しさを思うと切ない。だが自分は日常を生き、通い始めたばかりのトレーニングジムに毎日通い、本を読み、アニメを観て興奮し、眠り、思うこともあるものの、日々を過ごしている。慣れたのだろうかと思いつつ、慣れるとはどういうことだろうと思いつつ。

明日も進まない自転車をこぐ。こぎまくる。