日記録1杯, 日常,

2016年12月25日(日) 緑茶カウント:1杯

クリスマスイブ。商店街に軒を連ねるは釜焼きピザを売りにするイタリアンレストラン。前々から気になっていたので入ってみれば、ファミレスに毛が生えたようなメニュー。前菜にと頼んだカプレーゼはモッツァレラチーズではなくクリームチーズの欠片で、一口食べて笑ってしまったのは自分が家で作る簡単なつまみと全く同じ味をしていたから。レシピも何も無く適当に作ったこれをまさか外で食べる日が来ようとは。しかもこれ、明らかにkiriのクリームチーズである。

そして続いて運ばれた「日替わりチーズの盛り合わせ」にもクリームチーズの欠片が山となって積み重なっており、これはもしやと食べてみれば明らかに親しんだ味。間違いなくkiriのクリームチーズである。うーんこれは失敗だったかなと苦笑しつつ運ばれてきたピザ・ビスマルクを頬張る最中に会計を求められ、五千円支払って食事を終え外に出た。値段だけは立派であった。

そうしてクリスマス当日。美容院と整骨院を出て何か腹に入れようと入った馴染みのつけ麺屋にてつけ麺あつもりを注文する。あつもりとは、麺を湯にくぐらせて温めたものである。この店で生まれて初めてつけ麺を食べたとき、冷たい麺と熱いスープが織り成すぬるい口中がどうにも耐えがたく、それは己がぬるい食べ物が苦手だから。熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べたい、そういう欲求を持っているから。しかしここにてオーダーミス発生。一口食べてわかったそれは冷えた冷たい麺だった。

同じ味でも温度で変わる。己はこれを美味しく食べられない。ゆえに店員に声をかけ、あつもりで注文したが冷たい麺が届いたことを伝えるも、歳若のアルバイト店員はおろおろするばかり。ここで考える。この麺は既に口をつけている。このまま湯にくぐらすことはできないだろう。すると取替えを要求すれば、この麺は廃棄されるのか。それはもったいなく思う。

仕方無しに、出された冷たい麺をそのまま食べた。スープはどんどん冷めていって、食べ進めるほどに苦味を感じた。不味い。

己がこのまま食べると宣言したとき店員は明らかにほっとしていて、すると己は店員を助けたことになるのだが、結果不味い飯で腹を満たすことになり、歩きながらどうにも悲しみが生じ脳内でシミュレーションをしてしまう。だって本来であれば温かいものを食べて腹を満たしたかったから。美味しいな、と満足したかったから。

もしあの場で麺を温めることを要求したら店員はどうしただろう。既に口を付けている。困るだろうなぁ。では、冷たい麺は食べたくないのでこれはいらないご馳走様、とほとんど残して席を立ったら? ただの嫌な客だ。じゃあ、冷たい麺は食べたくないので新しく注文し直しましょう、と目の前の皿を無視して券売機の前に立ったら?

自分はそれらにならなかった。冷たい麺も廃棄物にならなかった。じゃあいいのかな。でも美味しくはなかったな。美味しいものを食べたかったな。

クリスマスなのでケーキを二つ買って帰った。ショートケーキと苺のチーズケーキ。いそいそと熱湯を沸かし、冷まして、丁寧に緑茶を淹れて食べた。美味しかった。ほっとした。

以上。これが己の2016年のクリスマスである。



日記録0杯, 日常

2016年12月18日(日) 緑茶カウント:0杯

昨日の日記を読み返すと、あたかも喧嘩に明け暮れ荒れた中学時代を過ごしていたかのようである。これは誤解を招くかもしれない。実際のところはと言うと、制服はきっちり校則どおりに着て、ヘルメットをしっかり被って自転車に乗って登下校しつつ、特定のクラスメイトと放課後にやたらと取っ組み合いをし、二人の喧嘩の多さを心配したクラスメイトによって二人そろって学級委員に推薦され、協力し合うことを余儀なくされつつも、別にお互い憎み合ってはおらず、卒業後も平和に年賀状を交換し合ったりmixiで交流したりしていた。

そういえばいつかの大晦日。年が明けたばかりの深夜に突然メールが届き、呼び出されてお焚き上げを見に行ったことがあった。年賀状の交換こそしていたものの頻繁に会うことは無かっただけに、どうしたんだ急に、と思ったが、もちろん殴り合いの再戦は起こらず、暗闇の中で赤く燃える炎に顔を照らされ、パチパチと爆ぜる音を静かに聴いていたのであった。

思えば何であんなに喧嘩をしていたのか。気が合ったのか合わなかったのか、はたまた両方か。最近は年賀状の交流も途絶え、mixiは廃墟と化している。しかしまた、いつか再会するときが来るだろう。そのときにはまた取っ組み合いをしているかもしれない、と考えると楽しい。その日を楽しみに待とうじゃないか。



日記録0杯, 日常

2016年12月17日(土) 緑茶カウント:0杯

「前歯の神経死んでますね。喧嘩とかしました?」
「いや……身に覚えがないです……」

前歯が勝手に死んでいた。その死に己は全く気付かなかった。何も異常が感じられなかったので。

曰く。過去の治療がよろしくなく、神経が死んでしまったのではないかとのことで。歯科医師の言うとおり前歯の神経は死んでいたらしく、麻酔無しでゴリゴリ削られても全く痛みはなく、その事実に己は呆然としたのであった。だって何も予兆が無かったので。そしてその予兆が無いままに、綺麗なセラミックの覆いをつけるために十五万円かかると言われたので。

十五万円。

思いを巡らせる。いつか誰かに顔面を殴られた過去はあったかと。しかし若干荒れていて、荒れていても真面目さんと言われていたレベルの可愛らしい中学時代、クラスメイトと放課後に取っ組み合いをしていたが顔面を殴られるレベルではなく、生徒会長を務めていて、荒れるっても可愛いレベルだったよなぁと思い返すとやっぱり心当たりは無く、するとやっぱり過去の治療がよろしくなかったのだろうなぁと思うも、問題を指摘された歯の見た目は何も問題ないだけに遣る瀬無い。

しかし思えばその問題の歯の真上の歯茎は一箇所だけ茶色くなっていて、歯に穴を開けられ、溜まっていたという膿を吸い出されてからは健康なピンク色に戻ったので納得のいく次第である。そして思い返すのが前歯にちょっとしたむし歯が見つかった十年前のことで。あの治療以来歯の神経が死んでいたのか、と思うと何とも言えない気持ちになり、深いため息が出るのである。

十五万円で、歯。健康とは金のかかるものである。



日記録0杯, 日常

2016年12月16日(金) 緑茶カウント:0杯

漫画もアニメも大好きだがどちらかと言うと漫画の方に比重が置かれていて、アニメを熱心に観るタイプではなかったのだが、今期は週に六本のアニメを観ていて我ながら珍しいなぁと思う。「ジョジョの奇妙な冒険」「魔法少女育成計画」「舟を編む」「3月のライオン」「ドリフターズ」「ユーリ!!! on ICE」。今年の3月まではおそ松さん一本を観ていて、ジョジョが始まってからはジョジョだけを観ていたが、ここに来て興味のある作品の放送が重なり計六本。おかげで楽しい日々を過ごしている。神は六日で世界を創ったのに己は六日間かけて何も創らずアニメを観ている、と考えると若干虚しい気持ちが湧くが神と比べることこそおこがましいし己はキリスト教徒ではないのでその事実は無視したい。

しかし無視したところで、悲しいかな。十二月も終わりに差し掛かり、どのアニメも最終回を目前に控えていて、一月以降も観られるのは「3月のライオン」のみ。こんなに一斉に楽しみが終わってしまってこの先どのように生きればよろしいのか。いや、迎えてみれば何だかんだで新しい楽しみを見つけられるに違いないのだが、それにしても落差が大きい。

特に「ユーリ!!! on ICE」は最近になって見始めたばかりで、これは面白い! とはまった矢先に最終回が近付いていて非常に寂しい。たった十二話しかないなんて! せめてもう一クール、二十四話くらい観たかったものだ。ワールドカップにもオリンピックにも興味がなく、フィギュアスケートにも詳しくないが、あのスケートシーンの動きの細やかさと優雅さには恐れ入った。友人が面白いと言っていたし観てみるか、と試しに観ただけたったのに、気付けば動画サイトでがっつり課金してしっかり追いかけてしまった。

「ユーリ!!! on ICE」はスケートシーンだけではなく、世界観も好きだ。己は勇利とヴィクトルの関係性を恋愛として見てはいないが、恋愛であっても良いと思うし、最終的に恋愛に帰結しても良いと思っている。そして十話で交換された指輪を己は願掛けとお守りとして受け取ったが、勇利の友人ピチット君は彼らをカップルとして解釈して祝福し、周囲の人々も拍手をした。つまり「ユーリ!!! on ICE」の世界においては、それは「普通」の事象として捉えられるのである。それはテレビ画面の外から見れば理想郷であり、非常に「楽」に見え、心安らぐ思いがした。

かと思えば「魔法少女育成計画」では凄惨極まる世界が描かれ、「3月のライオン」は胸が締め付けられる思いに苦しめられ、「舟を編む」にわくわくし、「ドリフターズ」でハハハと笑い、「ジョジョの奇妙な冒険」は……もう終わって欲しくなくて終わって欲しくなくて。大好きなジョジョ。中でも一番大好きな第四部。この物語を永遠に味わいたいのにそれが許されないジレンマ。あぁ、来週終わってしまうなんて!!

そんなこんなで、毎日を楽しんでいる。味わっている。愉快に。



日記録3杯, 日常

2016年12月10日(土) 緑茶カウント:3杯

我が家の近所にあるこじんまりとした焼き鳥屋は、規制後もこっそりと生レバーを出してくれる。そう教えてくれたのは週に一度通っている整骨院の整体師。背中の筋肉をほぐされながらおしゃべりな彼の言葉に耳を傾けた。

「でも、焼き鳥も生焼けだったりするんだって」
「だめじゃあないですか、それ」
「うん、だからお腹壊すから行かない方が良いよ」

もとより生肉・生魚の類を苦手としており、肉と魚は火の通ったものしか美味しく感じられない性分なので生レバーに心誘われることはなかったが、あの店には以前から興味があった。アパートの階段を下りて角を曲がってすぐそこ、たった百歩も歩かない位置にある店。夜にはいつも木製のテーブルが一つ店の前に出され、いつも同じおじさん達が楽しげに酒を呑んでいた。入り口の明かりを覗くと店内は椅子がようやく三つ並べられる広さのカウンター。その奥で焼き鳥を焼く店主は恐らく還暦過ぎだろう。

常連客も店主と同年代で、店主と客という関係よりも、気安い仲間達の間柄に見えた。さっきまで酒を呑んでいた客が汚れた皿を片付け、時には奥に入って冷蔵庫を開ける様子も見えれば、「おーいこれ火が通ってないよ!」と笑う声も聞こえた。それは子供の頃の幼馴染達がそのまま歳を取り、同じたまり場で遊び続けている光景として目に映り、一つの理想郷のようだった。

もう半年になるだろうか。店の前にテーブルが出されることが無くなり、あの賑やかな明かりが灯らなくなった。黒ずんだガラス戸は締め切られ、ずっと黙り続けている。いつ通っても誰もそこにいない日々が続いた。

そしてある日の昼間、店の前に久しぶりに人気が蘇った。ちょうどテーブルが出されていた位置に止められたトラックと、汚れた家具を運ぶ人達。あの見慣れたテーブルと椅子に、煤汚れたステンレスのガス台が荷台の上に座っていた。

以後、ガラス戸が開けられることはなく、もちろん明かりが灯ることもない。しかしそれでも通るたびにあのガラス戸を見てしまい、今日も誰もいないことを寂しく確認するのであった。