日記録0杯, 日常

2013年7月24日(水) 緑茶カウント:0杯

とりあえず不安は解消された。ほっとした。ようやく食欲が戻ってきた。脱力した。疲れた。気が抜けた。でもまだわからない。

楽しみを前に不安になりたくないんだ。「もしかしたら来ないかもしれない」「直前でキャンセルの連絡が入るかもしれない」と憂鬱になりたくないんだ。心から迷い無く楽しみたいんだ。憂鬱になることを避けるあまりに予定を入れることを恐れるようになりたくないんだ。でも悲しいことになりつつあるんだ。

何も期待をしなければ期待を裏切られることも無い、期待をする方が間違いなんだ、なんて思いたくないじゃないか。思いたくないのだよ。本当は。だけどそう思わなければやってられなくなっているんだ。

「大丈夫」と思いたいが、出来ないのが悲しい。自分は信頼したいんだ。



日記録5杯, 日常

2013年7月23日(火) 緑茶カウント:5杯

待てども待てども。よっぽど侮られてるのか、それとも甘えられているのか、全く関心を持たれてないのか、心底どうでも良いと無下にされているのか。誰にでもそうするのか。自分にだけそうなのか。わからない。

遅刻しないで欲しい、ドタキャンしないで欲しい、約束をすっぽかさないで欲しい、せめて連絡して欲しいという願いがそこまで分不相応なものなのだろうか。まるで虫けらのような扱いだ。それでいて意図が読めない。

悲しい。



日記録6杯, 日常

2013年7月22日(月) 緑茶カウント:6杯

人を待つとき自分は心の中で呪文のように町田康町田康と唱えるのだが、それはいつからの習慣だろう。待ちながら連想するのが町田康が外道な目に合わされた話で、毎度毎度それを思い出すうちに気付いたら「あー暑い暑い」とでも言うように「あー町田康町田康」と唱えるようになっていたが、唱えたところでそれは決して改善の呪文ではなく、単なる傷の舐め合いというか、いや一方的に舐めているだけであるので、深く深く共感することで自分を慰めながら悲しくなるというか、あー町田康町田康。町田康もまさかそんな場面で自分の名前が唱えられているとは思うまい。

流石に悲しくて今日はちょっと泣きたくなったのだよ。



日記録6杯, 日常

2013年7月21日(日) 緑茶カウント:6杯

あれはいったいどういう夢だったのだろう。起床してから数時間後に夢の内容を思い出して首を傾げた。一度も遊んだことが無いというのに、夢の中で自分はパチンコにはまっていて、日々通い続けていたのである。

使う金額は千円かそこらで、パチンコで遊ぶなんざ褒められたものではないと思いつつ、いやまだ千円しか使ってないし、と言い訳しながら毎日毎日通うのだ。今日は昨日出た玉の残りを使うからお金はかからないし、という言い訳もしていた、自分に対して。パチンコのシステムに詳しくないためそういったことが可能であるかはさっぱりわからないものの、夢の中では出来たのだ。

自分はパチンコにだけは手を出さないと決めている。子供の頃、ゲームセンターに設置されている、飴玉やラムネなどのお菓子をクレーンですくうゲームにはまり、何千円も散財した記憶があるからである。また、祭りのくじ引きで何千円も消費したこともある。次こそは出るかもしれない、次こそは当たるかもしれないと思うと止められなくなってしまうのだ。ここで当てなければ今まで使ったお金が全て無駄になると思うと引き返せなくなるのである。既に無駄になっているというのに、それがわからないのだ。

以来、絶対自分はギャンブルには手を出してはいけないことを痛感し、実際全くパチンコその他の遊びには手を出していないのだが、何で今になってこんな夢を見たのかわからない。ただ、やたらと後味が悪く、パチンコにはまりつつ言い訳をして遊んでいる自分に対し言いようの無い薄気味悪さを感じたのは事実だった。

もしかしたら念押しの警告かもしれない。あのクレーンゲームやくじ引きにはまった時代は十年以上前だから、そろそろ忘れているんじゃないかと脳が働いた結果なのかもしれない。よし、やるものかと改めて思う。あれは自分には不要のものだ。



日記録4杯, 日常

2013年7月20日(土) 緑茶カウント:4杯

この土日はゆっくりするぞと思っていたが、いつの間にやら予定が一杯になってしまった。有難いことである。

明日は今月三度目のヤキトリだ。食べるぞ!