待ち人は常に来ない
2013年7月22日(月) 緑茶カウント:6杯
人を待つとき自分は心の中で呪文のように町田康町田康と唱えるのだが、それはいつからの習慣だろう。待ちながら連想するのが町田康が外道な目に合わされた話で、毎度毎度それを思い出すうちに気付いたら「あー暑い暑い」とでも言うように「あー町田康町田康」と唱えるようになっていたが、唱えたところでそれは決して改善の呪文ではなく、単なる傷の舐め合いというか、いや一方的に舐めているだけであるので、深く深く共感することで自分を慰めながら悲しくなるというか、あー町田康町田康。町田康もまさかそんな場面で自分の名前が唱えられているとは思うまい。
流石に悲しくて今日はちょっと泣きたくなったのだよ。