日記録3杯, 日常

2013年8月9日(金) 緑茶カウント:3杯

せっかくの金曜の夜だ、飲酒をしよう。そう思っていそいそとビールとチューハイとスナック菓子を買ってきたものの、食事を終えたらドッと疲労感がやってきて、多分今日は飲酒をするより布団に入る方がはるかに気持ち良いのだろうなぁ、と思いつつうとうとしかけている。

寝よう寝よう。今日はゆっくり寝て、明日は朝から皮膚科と眼科に行ってアレルギーの薬をもらって実家に帰省する準備をするんだ。愛する猫に会うために。早く会いたいものだよ。



日記録0杯, 日常

2013年8月8日(木) 緑茶カウント:0杯

捕り放題、という表現の方が正しいのだろうが、道のあちこちに転がるセミの死骸を見て頭に浮かんだのは「死に放題」という言葉だった。

死に転がったセミを取り囲むように、ジーワジーワミーンミンミンミンシャーシャーシャーシャーとセミ達が人の頭の上で喚きたてる。誰もセミ捕りをしないのだろう、油断しくさったセミゼミが街路樹の高いところ低いところ好き好きにとまりひたすら無心で自己主張を続けている。こいつらもあと数日経てば死に放題の仲間入りをするのだろう。こいつらが全部死ぬのか。と思うとなかなかの迫力を感じる。

一週間で死ぬセミを可哀想と言う人もいれば、そうでないと言う人もいる。何年も暗く冷たい土の中で過ごして、やっと地上に出てきたのに、たったの一週間で死んでしまうなんて可哀想。いやいや、ずっと温かい土の中で暮らすことができて、働くのはたったの一週間で良いなんて天国じゃないか、全然可哀想じゃない、という人。自分は可哀想と言う感情は持たないものの、だからと言って何年間も土の中にいられることをうらやましいとは思わず、ただ思うことと言えば、何年も土の中で暮らし、さて地上に出るかと外を目指すもアスファルトに阻まれて出られない、なんてことになったらさぞかし絶望するだろうなあ、と言うことだ。

死に放題のセミが転がる下の、土とアスファルトの境目で力尽きたセミが何匹も何匹もいるかもしれないと思うと、ちょっと怖い。



日記録0杯, 日常,

2013年8月7日(水) 緑茶カウント:0杯

良くない。

最近急がしさやら何やらを理由に食事を省略することが多く、まともに食べているのは一日に一食程度。大量の野菜と肉を食べ、ご飯もしっかり食べることを信条としていたはずが、どうにも最近冷蔵庫の中の野菜が減らない。いつも週末に大量の野菜を買い込むのに、一週間経ってもほとんど買出しの必要が無いというのはいかがなものだろう。玉ねぎなんぞ一日一個消費する勢いだったはずなのに、まるまる一袋残っているじゃあないか。

冷蔵庫に残っているということはつまりその分の栄養が吸収されていないということで、それは栄養が足りていないということで、体に悪いということで。良くない。これは良くない。一人暮らしならそんなもんかもしれないが自分がしたいのはそんな食生活ではない。しっかり食べてしっかり動く。

忙しいが、なるべくきちんと夜も料理するよう努めよう。この生活を続けていたらだめになりそうだ。



日記録0杯, 日常

2013年8月6日(火) 緑茶カウント:0杯

今日はどうしたことか、朝からすこぶる体調が悪く、立つのも辛い有様だったが、栄養ドリンクを充填して気合を入れたらだんだんと元気になって元気になって元気になりすぎてしまい、驚くことにまだその効果が切れておらず、反動の到来に恐怖しながら寝てしまおうかと思っている。

今週もまた忙しそうだ。



日記録0杯, 日常

2013年8月5日(月) 緑茶カウント:0杯

「○○と△△は来てくれるって! ××からはまだ返事が来てないの」

結婚式のお誘いのメールに書かれていたこの一文より読み取れるのは、このメールを送る以前に既に人々に打診をし、それからしばらく経っているということであり、つまり言うなればこのお誘いは人数合わせに近いもので、無論誰が来るかを事前に教えれば安心してくれるだろうという親切心ゆえのことだろうが、もっと! うまく! やれ!!

友人繋がりで付き合いはあるものの、という間柄。さて、これは。どのように返事をしようか悩みものである。