2013年8月8日(木) 緑茶カウント:0杯
捕り放題、という表現の方が正しいのだろうが、道のあちこちに転がるセミの死骸を見て頭に浮かんだのは「死に放題」という言葉だった。
死に転がったセミを取り囲むように、ジーワジーワミーンミンミンミンシャーシャーシャーシャーとセミ達が人の頭の上で喚きたてる。誰もセミ捕りをしないのだろう、油断しくさったセミゼミが街路樹の高いところ低いところ好き好きにとまりひたすら無心で自己主張を続けている。こいつらもあと数日経てば死に放題の仲間入りをするのだろう。こいつらが全部死ぬのか。と思うとなかなかの迫力を感じる。
一週間で死ぬセミを可哀想と言う人もいれば、そうでないと言う人もいる。何年も暗く冷たい土の中で過ごして、やっと地上に出てきたのに、たったの一週間で死んでしまうなんて可哀想。いやいや、ずっと温かい土の中で暮らすことができて、働くのはたったの一週間で良いなんて天国じゃないか、全然可哀想じゃない、という人。自分は可哀想と言う感情は持たないものの、だからと言って何年間も土の中にいられることをうらやましいとは思わず、ただ思うことと言えば、何年も土の中で暮らし、さて地上に出るかと外を目指すもアスファルトに阻まれて出られない、なんてことになったらさぞかし絶望するだろうなあ、と言うことだ。
死に放題のセミが転がる下の、土とアスファルトの境目で力尽きたセミが何匹も何匹もいるかもしれないと思うと、ちょっと怖い。