日記録1杯, 日常,

2013年11月18日(月) 緑茶カウント:1杯

三日前から朝食に蜂蜜を食べている。三日前まで蜂蜜を食べる習慣は無かった。いつか、口にしたことがあったかもしれないが、記憶する限り、蜂蜜を蜂蜜の状態で食べたことは無い。しかし何故蜂蜜を食べる習慣が無いかといえば、あの独特の味が苦手だったから、と記憶しているので、やはりどこかで食べたことがあるのかもしれないが、既によくわからない。

我が家の食卓に蜂蜜が上らなかったのは母があまり蜂蜜を好いていなかったことと、メープルシロップの方を愛用していたためである。そして自分もメープルシロップが好きだった。トーストにかけたりパンケーキにかけたり。一時期は家族の間でメープルシロップがブームになっていて、毎日食べていたことさえあった。

ずっと縁が無かった蜂蜜だが、数年前から我が家にあった。人から蜂蜜の小瓶をもらい、しかし食べるあても無く、とりあえずずっと持っていたのである。それをついに三日前開けた。温かいヨーグルトを食べるために。

一人暮らしを始めてから今日まで、朝食にヨーグルトとバナナを食べ続けているのだが、バナナはともかく冬場は冷たいヨーグルトを食べるのが辛く、しかも今年はエアコンをつけると咳が出るため朝に部屋を温めることが出来ず、ヨーグルトを食べるのが苦痛になっていたのだ。冷たいものが咽喉を通るのが辛い。でも、ヨーグルトは食べたい。そこで検索してみたのだ。「ヨーグルト」「温かい」で。

すると出てきた出てきた。ホットヨーグルトなるもの。何やら美容やらダイエットやらに良いらしく、一部で話題になっているようだ。いくつかのサイトを見たところ、ヨーグルトと何か甘いものを混ぜてレンジでチンする、という認識で良さそうだ。ふむ、甘いものか。

このとき時刻は深夜の一時あたりだっただろうか。早速翌朝試してみたいが普段砂糖も何も入れず食べているため混ぜるのに適したものが用意されていない。だが、そのまま温めるだけでは不味そうだ。何か無いだろうか、と探す中で見つけたのだ。数年前の小瓶を。

一口食べたときは蜂蜜独特の味に若干苦手意識を抱いたが、二日目には慣れていた。こうして蜂蜜とのお付き合いが開始させられた。ちなみに百花蜜なる種類の蜂蜜らしい。一日ティースプーン一杯しか使わないためまだまだ無くなることは無さそうだが、これを食べ終えたらまた別の種類を探すのも面白いかもしれない。

それにしても、蜂蜜を入れたホットヨーグルト、チーズを溶かしたジャガイモのポタージュ、クロワッサン、バナナというメニューは一見すると何やらナニだね。はは。



日記録3杯, 日常

2013年11月17日(日) 緑茶カウント:3杯

手にとったタオルが畳鰯のように平たく、固くごわついた手触りになっていた。そういえば、これまであまりタオルに気を配ったことが無い。一人暮らしをしてからというもの、自らタオルを買い足したことなど数えるほどしか無い。たまに母が送ってくれる支援物資の中に、緩衝材の代わりとしてタオルが詰まっていることが多々あり、それを収納ケースの中に足すことこそあったが。

よし。それではこれを機に、畳鰯のようなタオルは全て雑巾にしてしまおうと収納ケースを開き、チェックを開始。中身を全て外に出し、一枚一枚確認していく。

結果、我が家のフェイスタオルは全て畳鰯であるという事実が目の前に突き出された。

ふんわりしているのは使用頻度の低いバスタオルのみ。残りは全てどれもこれもごっわごっわごっさがさの畳鰯である。こんなものを今まで使用していたのか。今まで。何の疑問も持たずに。

あまりのことに呆れ返り、タオルハンカチも確認したところ、こちらも見事な畳鰯だった。愕然とする。ハンカチというよりもタワシの同族になりかけていやがる。こんなもので汗を拭いてよく吸収されたものだよ。

ちょうど結婚式の引き出物のギフトカタログが三冊溜まっていたので、これらを全てタオルに変換することに決めた。新しい年は柔らかなタオルと共に迎えると、胸に誓って。



日記録0杯, 日常,

2013年11月14日(木) 緑茶カウント:0杯

冬場は食事量を増やさなければ寒くて体がやりきれない、ということに気付いたのが先日のこと。気温が低いため寒いのは当たり前なのだが、体の内側から冷える感覚がするのである。

よって最近は積極的に物を食べるようにしている。パンの数を増やし、おかずを一品増やし、間食をし、エネルギーを摂取するよう心がけている。すると面白いことに、違うんだなぁ。単純なものだと思うが、体が温かいのだ。

朝、冷え切った部屋で温かいクロワッサンを食べながら、チーズを溶かしたポタージュスープを飲むのが小さな幸せだ。温かいもので胃の中の隙間を埋め尽くしたい。



日記録3杯, 日常

2013年11月13日(水) 緑茶カウント:3杯

寒さに耐え切れずエアコンを稼動させ、心地良い暖かさに包まれ幸せを感じた。あぁ、すっかり冬だなぁ。こたつだけではやりきれない寒さだ。そろそろ毛布を出す準備をしなければなぁ。

しかし翌日、ひどい咳に襲われ呼吸も苦しく息も絶え絶えの絶望的なありさま、と書くと大げさだが、本当に苦しかった。まるで咽喉がふさがってしまったかのようだった。無論、エアコンの使用は中止した。寒いのも辛いが、寒い方がずっとマシだ。

今週末こそ、本当に、今度こそ空気清浄機を買おうと思う。置き場所が見つからないなんて言っている場合じゃなくなってきた。切実だ。



日記録2杯, 日常

2013年11月12日(火) 緑茶カウント:2杯

なるほど、絵を描く人にとってはごく当たり前のことであっても、そうでない人から見ると困っているように見えるのか。

「こういった絵を描いてくれ」と頼まれて、若干時間はかかるがすぐに描けるものだったので、紙とペンを取り出してその場で黙々と描き始めたのだが、ややあってから自分にそれを頼んだ人から、「ごめん、そんな大変だとは思わなかった」「さっきから随分試行錯誤しているよね?」と言われ、いったいどういうことだろう? と首を傾げた。試行錯誤? 特に迷うことなく、淡々と描き続けているのに?

疑問を抱きつつも「いや、試行錯誤とかは特に。ちょっと時間はかかりますがもう少しで出来ますよ……?」と答え、何と無く腑に落ちない顔をしているその人の隣で作業を再開したのだが、後になってわかった。そのとき自分はテーブルの上で紙をくるくると回転させながら描いていた。きっと絵を描き慣れた人であれば誰しも自然に行う動作だろう。だが、絵を描く習慣の無いその人には紙を回転する動作の意味が掴めず、「えーとえーと」と困っているように、もしくは悩んでいるように見えたのだ。

いちいち紙を回転させるのは、その都度描きやすい位置から線を引くためであるが、描かない人には思いも寄らないかもしれない。そうして自分はその人の目の中で、迷いに迷って絵を描き上げた結果、やたらと恐縮されてしまったのであった。

自分自身、この動作が人に与える印象など考えたことも無かった。全く別個の視点から見た印象を教えてもらうのは興味深いものである。そして自分も同じように、他者の未知の動作の意味を誤解しているかもしれないと思うと愉快になる。

ちなみにその人は回転の意味をまだ知らない。いつか種明かしするか迷うところだ。