日記録0杯, 日常

2014年5月17日(土) 緑茶カウント:0杯

目が覚めたら十四時だったが、気にせず二度寝をして、次に目が覚めたときには十六時だった。まぁ良かろう。今週は心身ともにすごく疲れたのだから。もともと今日は回復の日と決めていたのだ。

しかし若干体調は良くないようで、熱さを感じて体温を測ったら微熱があった。今週、体調の悪いときなどは、逆に体温が下がっていて普段ほとんど見ることのないような体温を記録していたことを考えるとおかしなものだ。とはいえせいぜい、六度二分程度のものだが。己の平熱はだいたい六度後半ゆえ、二分にはちょっと驚いたのだ。

明日は整体に行き、もうちょっと活動的に過ごす予定である。寝るだけでなくあれこれと楽しいことをしよう。寝るのも楽しいが、寝てばかりじゃつまらない。



日記録0杯, 日常, 町田康

2014年5月16日(金) 緑茶カウント:0杯

町田康が好きだ。

作家としての町田康も、パンク歌手としての町田康も好きだ。そして自分は、あぁ、パンク歌手としての町田康も、もっと世に広まれば良いのに! 町田康の著作物を読んだ人が、彼の音楽も聴いてくれれば良いのに! と強く願う人間である。

カラオケで町田康の曲を歌いたいのに歌えないジレンマに悲しむ人間である。

メジャーとまではいかずとも、もっと知られれば良いのになぁ、と思いながら「犬とチャーハンのすきま」収録の「頭が腐る」を楽しく歌う。家の中で、汚れた皿を洗いながら。

彼の歌はとても良いよ。



日記録0杯, 日常

2014年5月15日(木) 緑茶カウント:0杯

あぁ、疲れた。

ここ数日激動の時間を過ごしたおかげで非常に疲れた。しかしようやく落ち着いて平静を取り戻したのでほっとした。あー疲れた。

週末は美味いものでも食べて、ゆっくり過ごしたいね。



日記録0杯, 日常

2014年5月14日(水) 緑茶カウント:0杯

頭がくらくらした。二日前の日記で思考を整理し切った結果、ようやくわからなかったものがわかってスッキリしたは良いが、この二十八年間、ずっと路傍の石のように感じていたものが意味を持って存在するようになり、世界がひっくり返るような衝撃を受けた。無意味が意味に転じたその反動たるや凄まじく、一日経って怒涛のように思考の波に襲われて、ぐるぐると考えこまずにはいられなくなり、考えすぎて気持ち悪くなった果てに嘔吐した。せっかく作った煮物がもったいない。

いきなり違う価値観の世界に放り込まれたようだ。実際は、自分の思考が変わっただけであるのだが、脳に体が付いていかないのである。中学生か、と思った。それこそ昔は、とにかく考えて考えて、気持ち悪くなってどうしようもなくなることがあったが、ここ数年はその感覚も忘れかけていたというのに。

この数日は食欲も失せ、寝不足だ。眠りたくても眠れないのが苦しい。とはいえ救いがあるのは、いかに苦しく感じようとも、今までの人生、自分はほとんど死にたいという欲求を抱いたことは無く、今だってしんどいが長生きしたい。八十くらいまで健康に生きたい。健康に幸せに楽しく生き抜きたい。

だから何だかんだで大丈夫なのだと思う。なぁに、何があっても何とかなるさ。なるようになるものだよ。世の中はね。



日記録2杯, 日常

2014年5月13日(火) 緑茶カウント:2杯

昨日の日記で、思考を整理しきった結果、自分は途方も無く寂しい道を歩いているんじゃないか、ということに気付き、気付かなければ良かったと若干暗い気持ちになっている。「会えない」が常である日常を歩くのは、なかなか寂しい。

そしてまた、今までずっと理解出来なかった結婚の「めでたさ」を理解し、あぁ、今までいくつもの結婚式に出席したのに、自分は祝いの言葉を述べつつも、どうして結婚がめでたいのか、自分の頭で理解出来なかったため、常に不可解な気持ちを抱きながらそこにいて、申し訳なかったなぁと後悔している。結婚がおめでたいことは知っているが、どうしておめでたいのかわからなかったのだ。

では、寂しさに気付き、結婚のめでたさを理解した自分は結婚することを望むのか? という問いに対しては相変わらず答えは変わらない。「会える」日常を求めて結婚したところで無理が生じるのは目に見えている。何故なら自分は性別を脱却したいからだ。根底の願いがそこにあるゆえ、独身に比べカテゴライズされる機会の増える結婚は苦しみ以外の何ものでも無い。想像するだけで恐ろしい。

学校を卒業してからの方が人生は長い。大人になってからの方が人生は長い。「会えない」日常を過ごす時間の方がはるかに長い。気付いたからには自分はそれを受け入れ、その長い道のりを楽しく過ごせる方法を見つけるべきである。多分これが、己の人生の課題なのだろうなぁ。