2025年9月9日(火) 緑茶カウント:0杯
三年ぶりであることに非常に驚いている。いろいろ環境が変わったがひとまず自分は元気である。そして重陽の節句を愛でる気持ちもある。
重陽の節句である。菊の花の節句である。五節句の中で何故か存在感が薄い重陽の節句の日である。皆さん、重陽の節句をどうぞよろしく。
うずわみだまし
2025年9月9日(火) 緑茶カウント:0杯
三年ぶりであることに非常に驚いている。いろいろ環境が変わったがひとまず自分は元気である。そして重陽の節句を愛でる気持ちもある。
重陽の節句である。菊の花の節句である。五節句の中で何故か存在感が薄い重陽の節句の日である。皆さん、重陽の節句をどうぞよろしく。
2022年11月20日(日) 緑茶カウント:0杯
ほんの二週間前に会ったばかりの人が、次の約束が年明けであることを残念に思ってくれているのがどうにも不思議だった。だって今、二週間ぶりに我々は顔を合わせているのだから。
約一年ぶりの再会を経てからの二週間後。スケジュール帳をめくりながら次に会えるのは早くて一月だと告げたとき、その人は寂しそうな顔をした。念のために断っておくと我々は恋人同士ではなく、その友人は最近結婚したばかりで、己に邪な感情もない。異性か同性かについては意味のないことなので置いておこう。とにかく、我々はただの友人関係なのだ。
ぶんぶんに手を振ってくれる友人に別れを告げ、帰路につきながら噛みしめる。己はなかなか、幸せな人生を歩んでいるのだなと。別れを惜しみ、次に会うことを願ってくれる人がいるなんてどれだけありがたいことだろう。いつか、どうして自分を好いてくれているのかと勇気があれば聞いてみたいものだ。傲慢な質問かもしれないが、その人ならきっと許してくれるだろうから。
2022年11月8日(火) 緑茶カウント:0杯
生の音楽を全身に浴びた今、多幸感にとろけている。余韻を噛みしめて動けなくなっている。明日のことなど考えられなくなっている。
それほどに幸福だったのだ。刺激的だったのだ。細胞がどよめいたのだ。濁流のように押し寄せる音が心地よく、情報過多で、くらくらした。何せ約一年ぶりなのだ。
基本的には健康なのだが、コロナとはどうにも相性が悪い。咳喘息を発症しやすく、一度発症すれば咳が四ヶ月続き治療は二年に及ぶ。コロナのリスクも高く、深刻化しやすいと主治医から忠告を受けている。よって注意深く生活をしているのだが、それでもある日咳喘息を再発してしまった。息をするだけで咳が止まらず、こうなればこのご時世無暗に人前にも出られない。ライブに行けるはずもなく、購入したチケットをそのままに見送ったこともある。
故に、当たり前を奇跡に感じた。かつての、たった数年前の自分が当たり前に享受していた生の筋少。筋少だけでなく、メンバーのライブにも足繁く通い、参戦数は年に二十本以上。あの頃に戻れるかと言えば、それはわからないけれども。
生まれてからこれまで、思えば半分以上を筋少と共に生きている。筋少の音楽は血肉以上に染み渡り、むしろ骨格とも言えるだろう。その音楽を約一年ぶりに浴びて、待ちわびた音楽を全身に浴びて、咀嚼し、噛みしめて。
幸せでないはずがない。
あの日足繁く通えた幸福を喜びつつ、今の幸福に感謝する次第である。
あぁ、今日は夜が明けるまで寝たくない。いつまでも今日が続けばいい、と願いながら。
2022年9月21日(水) 緑茶カウント:0杯
それは偶然だったのだ。他愛もない動画を流していたら、AIが平沢進を選択した。
およそ半年ぶりだろうか。確認していないからわからない。彼に失望してファンクラブを退会して距離をとろうと思い、寂しさを募らせながら過去を振り返り。
……で、だ。やっぱり良い曲なんだ。美しい歌声なんだ。涙が出てくるんだ。
AIは何事もなかったかのように、一曲ヒラサワを流して全く違う動画を流す。己を試しているのかい? わからないが、プレイリストを再構築してみたいと、思った。今すぐではないけれども。もっと時間がいるけれども。
ただ、ただ。やはり彼の歌は美しい。
それだけは己の中の、ひとつの事実だと思う。あぁ、しんどい。
2022年9月9日(金) 緑茶カウント:0杯
あー重陽の節句だなーと三日くらい前から思いながら過ごしていたのに、ここ二年ほど季節感が死滅しているため今が夏なのか冬なのかもよくわかっていない。服装も悪いのだろう。ニットを重ねるか否かを除けばほぼ一年中同じ装いをしているのだから。
最近の話と言えば、イカゲームをスプラトゥーンの愛称だと思っていたらそうじゃないことを知ったり、とはいえイカゲームが何なのかは結局知らなかったり、人気の少ない神社で夏祭りの雰囲気を楽しんだり、ゴールデンカムイを読んだりしていた。今は肩こりと腰痛を感じながらビールを呑んでいる。つまみは冷ややっこの予定だがまだ風呂に入っていないので本格的な晩酌はこれからだ。菊の花はどこにも飾られていない。ただぼんやりと菊を意識しながら過ごしている。
というわけで今日は重陽の節句である。菊の花の節句である。五節句の中で何故か存在感が薄い重陽の節句の日である。皆さん、重陽の節句をどうぞよろしく。