日記録0杯, 日常

2014年2月22日(土) 緑茶カウント:0杯

「へ~妹さんがいらっしゃるんですか。おいくつなんですか?」

整体師に背中を揉み解されてるときのことだ。会話の流れで兄弟の話になり、妹がいることを伝えると年齢を聞かれた。この整骨院には週に一度通っており、通い始めてから一年以上は経過しているが、そういえば妹の話はしていなかったかもしれない。

「えーと、確か今年で二十五歳ですね」
「えっ。意外とお若いんですね!!」

驚く整体師の声にかすかな違和感を抱く。意外と若い、のだろうか? とはいえ、自分と妹はそう歳が離れていない。三歳差。よくある年齢差である。

「そうですか? まー自分と三つ違いなんで、そんなもんですよ」
「えっ。ウヲさん二十代でしたっけ?」

なるほどな。違和感の正体に気付き、納得する。そういうことか。だから「意外と若い」ということなのか。つまりこれはこういうことである。整体師は、己を三十代だと思っていたのである。

まずいことを言った、と気付いたらしい。整体師は「いや~、ほら、ここって六十代や七十代の患者さんばっかりで、二十代の人は全然来ないから、頭になかったんですよ!」とフォローを入れていたが、毎週毎週一年以上に渡り、首からふくらはぎまで触りぬき、よくよく知っている整体師が三十代と信じ込んでいた事実を前にすれば、ちょっとそのフォローは無理がある、と思わざるを得ない。整体師に保証された肉体年齢三十代。せめて前半でありたい思った。



日記録0杯, 日常

2014年2月21日(金) 緑茶カウント:0杯

黒い鞄の一面どころか全面に、等間隔で配置された銀の鋲。それを持つ人はパンクスでは無く、非常にラフな格好をした、三十代前半あたりの成人男性だった。髪型も特筆すべきところは無く、耳が隠れる程度の長さの黒。体型は中肉中背の「肉」が若干標準を越えたあたり。ピアス穴は無く、指出しグローブもしておらず、靴はスニーカー。鞄だけがトゲトゲに光っているのである。

最初にその人、いや、その鞄を見たのは階段を上っているときだった。自分の前を歩くその人が手に提げる鞄がちょうど目の前にあり、まず、変わったデザインの鞄だなと思い、踏んだら痛そうだと思い、次にどういう経緯でこの鞄を購入したのだろうと疑問を抱き、それからたびたびその鞄、いや、鞄を提げて歩く人と遭遇し、心の中でひっそりと「鋲付き鞄の君」と呼ぶようになった。

鋲付き鞄の君はいつも自分の前方を歩いているので、きっと己の存在には気付いていない。それがまた、ひそかに楽しい。最近は鞄を見ると嬉しさすら感じる。一方的な愛着を抱いている。いつまでも鞄を買い換えないで欲しいと願っている。



日記録0杯, 日常

2014年2月10日(月) 緑茶カウント:0杯

好きなミュージシャン、影響を受けた人々はたくさんいるが、それぞれその種類は若干違う。筋肉少女帯と大槻ケンヂは自分にとっては既に血肉であり、水戸さんはマイヒーローであり、平沢進は興味深い人であり、石川さんは憧れの人だ。

そして町田康については、ひそかに、もし生まれ変わりなるものが存在し、次回も人間になれるなら、町田康のような容姿に生まれたい、と思うくらい、格好良いと思っている。実は。とても。

いつだったか。「どんな顔が格好良いと思うか」と友人達と話をしたことがあり、そのときに考えてみたのだが、自分にとって一番格好良いと思う顔は町田康の顔だった。ぎょろっとした力のある目が最高に格好良い。とても素敵だ。あんな風になりたいものだ。特に、ちょっと若いときの。

無論、容姿ばかり好いているわけではなく、特に学生時代に至っては、常に彼の詩集を持ち歩くほど愛読し、文章においては深く影響を受けているが、あえて他とは別に特筆するとなると、容姿の要素は外せないのである。

我ながら面白いと思うのは、平沢進が未だに「興味深い人」であることで、これは数年前に平沢進を知ってからずっと変わらぬ捉え方である。知った当初と変わらず、今も「何て興味深い人なんだ!」と感嘆させられるところがたまらない。あと、彼について言うならば、SP-2関連の話がたまらなく好きなんだな。ここにとても惹かれるのである。

水戸さんはヒーローとしか言い表せない。また、筋少もヒラサワも石川さんも町田康も、好きではあるがヒーローではない。では、ヒーローとはいったい何だろう? ピンチのときにサッと現れて助けてくれる人だろうか。あぁ、なるほど。水戸さんの歌う視点の先に答えがあるのかもしれない。水戸さんの視点はいつだって弱者の立ち位置にあるのである。そこに目を向けられていることに喜びを感じ、勇気を抱くのかもしれない。

石川さんはとても真っ当な大人である。真っ当な大人であると同時に狂気と遊び心が見え隠れし、それらを操りながら生き切っているところに憧れる。何て格好良いのだろう。あんな大人になりたい、と常々思う。

大槻ケンヂと筋肉少女帯については、あまりにも深く身の内に浸透し、影響を受けすぎてすっかり血肉と化してしまった。出会わなければ今の自分はいないし、奪い取られたら死ぬだろう。それでいて、あるのが当たり前。そんな代物に成り果てている。

以上。自分にとっての、あれこれである。



日記録0杯, 日常

2014年2月7日(金) 緑茶カウント:0杯


ピンク・トライアングル

子供のときより違和感があり、十代後半で思い込みによる自身に対する認識の間違いに気付き、二十歳になってようやく自分の方向性が見え、しかし人間なんて変化するのが当たり前。やすやすと自分で自分に対し断定が出来ず、様子を見ながら生きてきたが、三十も目前に迫る今、そろそろ自分を「これだ」と言い切って良いのではないか、と思いながら生きている。

先日の日記の通り、オリンピック自体には興味も関心も無いが、一つここで意思表示をしておこう。

そしてまた、この先自分が、一転して愛に目覚めたり性欲に目覚めたり男を好きになったり女を好きになったりしても、女になりたくなったり男になりたくなったりしても、どちらにもなれなかったとしても、現状維持のままだとしても、それを「自然」なものとして受け止めようと思う。

同時に、そんな自分に付き合ってくれる、放っておいてくれる友人と生きていけることを願いつつ、世の中のセクシャルマイノリティ達が、安寧に過ごせることを願いたい。



日記録0杯, 日常

2014年2月5日(水) 緑茶カウント:0杯

メールを三通送受信するだけで電源が落ち、カメラ機能を起動させるだけで電源が落ち、ウェブページにアクセスしようとするだけで電源が落ちるこの携帯電話は、恐らく今年で三年程度の使用となる。機能には満足しているものの流石にこうもたやすく電源が落ちてしまうのは不便であり、常に携帯式の充電器を持ち歩くのも面倒くさく、よく考えたら一年前からこの不調が続いていて、いい加減どうにかしようと思い立ち、やっと手に入れたのだ、新しい電池パックを。

電池パックには「購入時の電池パックは充分に充電されていないので、使用の際にはきちんと充電するように」なる注意書きが記されていたが、不十分な充電でも充分満足と思えるくらいで、あぁ、そういや買ったばかりの頃はこのくらい動いたんだったなぁ、としみじみ思った。

携帯型充電器も不要になり、携帯しやすくなった携帯電話はすこぶる便利である。満足感がたまらない。あぁ、嬉しい。