日記録6杯, 日常,

2016年8月7日(日) 緑茶カウント:6杯

食べ過ぎてぼーっとしている。

昨日の昼からずっと冷麺を食べたかった。しかし冷麺を食べるのは難しい。ラーメンが食べたければラーメン屋に入れば良く、うどんを食べたければうどん屋に入れば良く、蕎麦を食べたければ蕎麦屋の暖簾をくぐれば良い。しかし冷麺を食べたくても冷麺のみを供してくれる店はなく、焼肉屋に入るか自分で拵えるかのどちらかしか選択肢がないのである。

暑かった。日差しがカンカン照りだった。
嫌だった。蒸し風呂のような台所で熱湯を沸かすのは。
そして焼肉屋は閉まっていた。時刻は午後の二時。半端な時間だったのである。

厳しい日差しの中をうろうろし、ようやく観念してつけ麺屋の暖簾をくぐった。味玉をトッピングしたつけ麺はうまかった。しかし、満たされなかった。

そうして満たされなかった昼。夜になるとさらに執着が増し、コンビニを回るも何故か冷麺は品切れ。いっそ焼肉屋に入ろうかと思うも焼肉屋に入ったら焼肉を食べたくなる。時刻は二十三時過ぎ。そこまでがっつり食べたいわけではない。

結局己はろくに夕飯を摂らずに寝て、昼過ぎに起きた。未だ冷麺への執着は消えなかった。こうなればもう自炊するしかない。どうせピクルスのストックも切れているのである。常備菜も作っておきたい。せっかく台所に立つのなら一気に作ってしまえば良い。

勢いに乗じてピクルス、ピーマンとツナの和え物、きゅうりの和え物、豚汁、おにぎりを作り、野菜を刻み、ゆで卵を切り、キムチをスタンバイさせて熱湯に麺をくぐらせた。勢いがあった。とにかく勢いがあった。勢いがあったから二人前の冷麺を作った。だって空腹だったのだ。昨日の昼から渇望していたのだ。いけると思ったのだ。だって勢いがあったから!

丼にこんもりと盛り付けられた冷麺は美しかった。ハム、きゅうり、トマト、キムチの彩が食欲をそそる。早速箸をつけた。食べた。食べている間に思った。一人前で良かったな、と。だってさ、冷麺って固いから。よく噛むから。噛んでいる間に満腹中枢が刺激されるんだよね。

とはいえ食べすぎに感じるのも一時的なものだろう、しばらくすれば落ち着くはずだ、と思ったものの、空きっ腹に詰め込んだ冷麺はなかなか重く、消化のために胃袋に多量の血液が集まっているのか、食後ずーっとぼーっとしていて、何だか眠くなってきて、あぁ、このまま布団に入って本を読みながらうつらうつらするのも悪くないかもしれない、と思い始めている。

そんな日曜の夜である。



日記録2杯, おそ松さん, 日常

2016年7月31日(日) 緑茶カウント:2杯

おそ松さんにはまっている、と言うと驚かれることが多いのは、人が想像するおそ松さんのターゲット層と己がずれているからだろうか。そうして驚いた人は「ものすごい人気だよね」「全員ニートって本当?」「人気の男性声優がたくさんキャスティングされているそうだね」「女性人気が高いんでしょう?」「pixivの投稿数がすごいらしいね」「グッズがすごく売れているらしいね」とその人が知っているおそ松さんの情報を己に与えてくれる。なるほど、そのように知られているのか、とわかるのは楽しい。

今日は「おそ松さんって腐人気が高いんでしょう?」と聞かれた。腐人気。やおい的な楽しみ方でも人気を博している、という意味である。それに己は頷いた。深く探ってはいないが人気があるのは知っているからだ。しかし知ってはいるが、何故やおい好きな方々からの人気が高いのか、まで聞かれるとわからない。わからないが質問を受けてしまった。受けたからには何かしら答えなければならない。顎に手を添え、思案してから口を開いた。

「男性が六人も出てきて、それぞれの関係性を読み解き想像しやすい……から、とか?」

答えつつ頭の端でもう一人の自分が自分自身に突っ込みを入れる。何故お前、真剣にそんなことを分析しようとしているんだよ、と。そして突っ込みを入れられている自分自身も気付く。いやちょっと待て、関係性も何もこいつら六つ子じゃん。兄弟じゃん。よく考えたらすげーな。と。

質問者は己の答えに納得してくれたらしく、今度は新たな質問を投げかけてきた。「おそ松さんの声優の人、すごく人気で、結婚していたことがバレてこの間大騒動になったんでしょう?」なるほど確かに最近そういった出来事があった。あれはチョロ松役の人だった。ありましたありました、と己は頷くと、さらに質問が投げかけられた。

「その大人気の人って、やっぱりすごいイケボなの?」

イケボ。イケメンボイス。イケメンが発するが如き格好良い声、という意味である。多分。ちゃんと調べてないけど多分。イケボか否か。己は脳内でチョロ松の声を再生した。脳内でチョロ松は大量の文字数を早口でまくし立てて突っ込みを入れまくり絶叫していた。イケボ……イケボ……イケボ……?

「イケボなのかもしれませんが、突っ込みと絶叫が多いキャラクターなのでようわからんかったです」
「へー」

その後話は「聖☆おにいさん」の話題に移り、作者の経歴という情報を己は新たに得て、なるほどなーと思いながら道をほてほて歩いたのであった。



日記録6杯, 日常

2016年7月24日(日) 緑茶カウント:6杯

たかだか一時間と少し歩いた程度で筋肉痛に見舞われるあたり、運動不足がたたっているなぁと思う。

と、言うと巷で流行りのポケモンGOを始めたのかと思う人もいるかもしれないが、ポケモンGOに関係なくただなんとなく散歩を始めた結果、見事に道に迷い彷徨うはめになったのが実際だ。己は天王洲アイル駅で潮の香りを嗅いでいた。何でこんなところに着いてしまったのだろうと思いながら。

散歩の最中、いくつかの川を渡ったが、あるときから川が川ではなくなり、海水のにおいを感じるに至って己が見当違いの方角を歩いていることに気付いたのである。己が住まう場所に海はない。ついでに言うと川もない。いったいここはどこなんだ、と若干不安を抱きつつあったが焦ってはいなかった。大丈夫。ここは東京である。どこに行ったって必ずどこかの駅に辿り着くのだ。安心して彷徨うことができる土地なのである。

そうして己はモノレールに乗って浜松町へと向かった。モノレールは好きだ。普段は用事があってモノレールに乗るが、今回は純粋にモノレールを楽しみながら乗ることが出来て少し嬉しかった。何と言ってもこの先に何の用事も目的もない。気楽だなぁ、と思う。

疲労した体を座席に埋め、車窓を眺めながらひそかに笑う。こんなに歩いて移動したのにポケモン一匹捕まえられないなんて、なんて愉快なんだろう。今まで散歩をしながらそこに損を感じたことなどなかったのに、ポケモンGOが配信されたとたん、ポケモンGOをプレイしていない自分まで、散歩の目的に「ポケモン」の存在を意識してしまうのだ。この意識の変化が楽しい。

ガラケーユーザーの自分には見えないが、きっと己が歩いた道々にもたくさんのポケモンが潜んでいたのだろう。小学生の頃夢中になり、必死に捕まえ育てたモンスターが潜んでいるかもしれない世界を三十手前の自分は歩いている。彼らの気配を感じながら歩いている。

見えないのに、いる。二十年の月日を経て、彼らは電子の世界を抜け出し、妖怪に近付いたのかもしれない。



日記録4杯, 日常

2016年7月20日(水) 緑茶カウント:4杯

遠目に見える人影は微動だにせず、パラパラと横一列に並んでいる。四人の人影は動かない。歩を進めるにつれ人影はだんだん大きくなり、一人二人と数を増やすが動かない。誰一人として動かない。

この光景を眺めるたびに己はいつも不思議に思う。何故だ。初めてこの道を通る人ならいざ知らず、何故毎日通っているであろう人々がいつもここで待ち続けるのか。立ち止まる人影はスマートフォンを見つめていたり、傍らの人とお喋りしていたり、ぼーっと中空を眺めていたりと思い思いの姿でそこにいるが、彼らの横まで来た己が、すぐそばにある押しボタンに指をつくや否や、弾かれたようにわらわらと動き出す。何故だ。

何故この人達は毎日この道を利用しているだろうに、押しボタン式の信号機の前で延々と信号を待ち続けるのか。ちなみにこの信号機は押しボタンさえ押せば三秒後には信号が青に変わるが、押しボタンを押さない限り永遠に赤のままである。待てども待てども信号が青になる日など来やしないのに、押しボタンは目につく場所に設置されているというのに、誰も押しボタンを押さずただひたすらその場に佇んでいるのである。夜中の十時や十一時に。延々と。

もしや己が知らないだけでこの押しボタンには何かしらのいわくでもついているのだろうか。そんなことがあるはずもなく。今日も己は道の先に滞留する人影を眺めるのである。



日記録2杯, 日常

2016年7月15日(金) 緑茶カウント:2杯

このところ毎週毎週、金曜日を迎えるたびに「今日はジョジョ四部のアニメが観られる」と喜び、アニメを観ては「毎週ジョジョ四部のアニメを観られるなんて、なんて幸せなことだろう」と幸福を噛み締めている。そうして今日も噛み締めた。幸福を。

ジョジョにはまったのはおよそ十年前。サークルの友人に生粋のジョジョファンがいて、彼がサークル中に布教し、見事サークル内で大流行したのである。すごかった。漫画といえば小学校の頃にりぼんを少々嗜んだ程度、というオタクでも何でもない快活な女子がブチャラティの格好良さを褒め称え惚れ抜いていた。我々は何かにつけてはサイゼリアに行き、トマトとモッツァレラチーズのサラダと生ハムを食べ、トニオさんとプロシュート兄貴について語った。そんな楽しい青春時代からおよそ十年。まさか今、己が一番大好きな、四部のアニメを観られるなんて。

まだまだしばらく幸福を噛み締められそうで、嬉しい。もしやこれが己の絶頂期ではなかろうか。それほどまでに幸せである。あぁ、嬉しい。