日記録0杯, 日常,

2017年1月12日(木) 緑茶カウント:0杯

美味しいなー、と思いながら毎日飲んでいる。

ぐらぐら沸いた鍋にビンを入れ、煮込んでいる間にレモンをよく洗う。サクサクッと輪切りにしたら爪楊枝で種を穿り出し、煮沸消毒を終えたビンの中に輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。ビンが蜂蜜で満たされたらキュッと蓋をし冷蔵庫へ。

そうして数日置いたらレモンの果汁が蜂蜜に溶け出して、トロトロとした液体はサラサラになり、それをコップにたらりと注ぐ。そこに輪切りのレモンを一枚落とし、ポッカレモンを一センチ。最後に水をなみなみ注いで、ストローでレモンの果実を潰しながらかき混ぜたら出来上がり。一日を終える前にこれを飲んでふうとため息をつくのが最近の楽しみである。

ポッカレモンを入れるのは酸味を追加するためだ。レモンの蜂蜜漬けだけで味をつけようとすると一度に大量に消費してしまい、すぐになくなってしまい具合が悪いのである。ではポッカレモンだけでも良かろうという意見もあろうが、レモンの果実の爽やかな香りと蜂蜜のほんのりした甘さはポッカレモンにはないもので、やはりレモンは欠かせない。だから己はいそいそと、休みの日にビンを茹でてレモンを切る。サクリとレモンが二つに割れた瞬間に弾ける香りは何度嗅いでも素敵なものだ。

さて。この飲み物を己は名もないものとして日々飲んでいたのだが、最近やっと気がついた。あぁ、これはいわゆるレモネードというものなのだな。調べてみればその通りで、しかし名称を知ると急に遠くなった気分もあり。名もないままでも良いかなと思った。



日記録8杯, 日常

2017年1月9日(月) 緑茶カウント:8杯

一時に寝ようが四時に寝ようが起きる時間が同じならば、夜更かしした方が得かもしれない。

睡眠とは何と心地良いのだろう。放っておかれれば十時間十二時間は寝てしまうし、一人暮らしゆえ誰も起こす人がいないため十時間十二時間寝てしまう。せっかく今日は早めに寝て、明日はいつもよりも早く起きて活動しようと思って床に入るのに、結局いつもと同じ時間に起きてしまうから意味がない。しかし早めに活動したいという欲求がある。だから早めに寝ることを試みる。だが! 結果寝てしまう! だって寝たいから! 眠るのが気持ちいいから!

というわけで、ここ数日は非常によく寝た。気持ち良かった。あぁ、憧れの早起き。夢は近く、夢は遠い。



日記録0杯, 日常

2017年1月7日(土) 緑茶カウント:0杯

運動不足の自覚もあるしちょいと散歩をしてみるか。さて、それではどこへ向かいましょうと思案して、ひたすら道なりに直進することを決める。とにかくここから行けるところまで行こうじゃないかと一心不乱にすたすた歩き、おやびっくり。辿り着いたのは普段全く違う道を通って行き着く図書館。己の頭の中の地図ではこの図書館の位置はここではなく、己が選んだ道の向かって九十度の方角にあるはずなのに何故ここに辿り着いてしまったのか。まさかこの図書館が我が家から直線距離にあろうとは全く予想だにしなかった。不思議なもんだなぁ。

顎を撫で首を傾げつつ先へ行く。ここまで約二十分。

そうしてさらに歩を進め、一心不乱に進んで行って驚いた。一時間歩いて辿り着いたのは大学時代に通った弓道場で、当時は弓道場を中心に、今の自宅とは反対方向に住んでいた。今の家から当時の家まで行くには乗り換えが数回必要で、弓道場も同様だ。故にもっとずっと遠くにあるものと思っていたが、まさかこの弓道場が今の我が家と一本道で繋がっていたとは。

卒業以来弓には触れておらず、弓道着も弓懸も押入れの奥。もしかしたら腐っているかもしれない。しかし一時間かけて歩けばまたここに通うことが出来るのか。そう思うと少し楽しい。

弓道場の看板をつくづく眺め、くるりと踵を返しUターン。元来た道を足早に歩き、灯りを落とした図書館の脇を通り過ぎ、家に帰ったのは十八時。およそ二時間、十キロの散歩はなかなか愉快で、気付かぬ繋がりには温かい気持ちにさせられた。今度図書館に行くときにはこのまま真っ直ぐ進んで行こう。弓をとることはないだろうが、またあの看板を見に行くのも楽しいかろう。思い出の場所も意外と近くにあるもんだ。



日記録6杯, 日常

2017年1月3日(火) 緑茶カウント:6杯

小学校からの友人が迷いながら「お年賀に」と渡してくれたお線香。友人の家はお寺であり、生粋のお坊さんである。対する我が家は神道の家系で、ずっと神主のお世話になっている。我が家のお墓にはお線香をあげるスペースはない。榊の枝を振り、お米とお塩を供える祭壇と神様を祭る神棚だけ。しかし迷いながら、「調べたけれどもわからなかったんだ」と言いながら我が家のためにと渡してくれたお線香。こんなにありがたいものはないだろう。友人に礼を言いお線香を受け取った。外箱からもかすかに良い香りが漂っていた。

友人は今度結婚し地元を離れる。自然会う機会は減るだろう。友人は離れた土地に住む。そしてこの土地には空き家空き部屋空き店舗が少しずつ少しずつ増えていく。寂しいと思うが己はこの土地から十年も前に離れており、感傷を抱くのは年に二回だ。誠に勝手な話である。だってこの土地に己は何も責任を持たないから。たまに帰って寂しさを感じるだけだから。よって身勝手と知っている。しかし寂しい。友人は語ってくれる。3月のライオンのアニメ、今も主人公はつらい境遇にいるが、これからさらにしんどい展開が待っていると。さらにその辛さを襲うのは作中の数少ない癒しである貴重な三姉妹の家であると。マジかよマジかよマジかよ!!!

「マジ勘弁してくれ」「しかしそうなんだ」と言葉を交わし帰路に着く。友人は今度結婚する。次回会うのは式場だろう。小学校一年生、六歳からの友人はすっかり大きく育った。お線香の香りを嗅ぎながら駆け回った時代を思う。あぁ。会えて良かった。

その後も続けよう。交流を。必ずや。



日記録6杯, 日常

2017年1月2日(月) 緑茶カウント:6杯

笑え笑え笑え。ここで笑えば一生楽に生きられる、言わばここが己の登竜門だ、と思うものの笑えず居間に気まずい空気が流れる三十歳。笑いたい。笑いたいのに笑えない。

家族と観る正月番組。流れるお笑いの方々。コント、漫才、自虐ネタ多種多様。その中でどうしても笑えないのは下ネタと、三十歳を超えて一人で生きている女性の言わされているような自虐ネタに、セクハラにあったと思われる人を自意識過剰と断定し、笑いに転ずるネタ。特に最後の一つ。決してそんなことはないのだが、「不細工」と世間から認定され、自らその立場を狙っている芸人が、男性に色目を使われ傷つき、傍らの女友達が庇うことで滑稽さを演出するネタ。これを己は笑えるだろうか。これを笑ってしまった途端、容姿に自信がないながらも、本当に困っている女性を窮地に追いやることになるまいか。これは本当に笑ってしまって良いネタなのか? まるで、美人以外は自意識過剰で、救われる必然がないと語っているようだぜ。

笑うとは難しい。年配のキャリアを積んだ芸人による若い女性タレントへのセクハラめいた芸。起こる笑い。彼女達は何を思ってここに座っているのか己にはわからない。仕事とわりきっているのか、芸人をリスペクトして楽しみながら混ざっているのか、嫌々やっているのかわからない。しかし彼女達はきっと大人と称され愛されるだろう。だが自分は困惑し、笑えず画面を睨むのである。

笑え笑え笑え。あけっぴろげな下ネタも、性器の話も何もかも笑え。その瞬間きっと自分は楽になれるのだ。その瞬間周囲の人々にほっとしながら招き入れられるのだ。わかっている。きちんとわかっている。しかし未だ笑えない。だって、楽しくないから。

笑え笑え笑え。念じつつ笑えない画面により感じる距離。これが世間との距離なのか。苦さと共に味わう正月の悲しさである。笑え。