日記録2杯, 日常,

亜鉛のサプリメントを摂取するようになってからしばらく経つ、と言っても一ヶ月程度だが、気付けば口中に苦味を感じることが無くなったので、やはり不足していたのかなぁと思いつつ、そりゃ不足するよなと納得する。

家計簿をつけるようになってから自分の体が何で構成されているのか明示化されるようになった。そして、ほとんど同じものばかりもんばっかり喰い続けていることがよくよくわかったのである。

■レギュラー陣
玉ねぎ
もやし
大根
人参
ごぼう
白菜
鶏肉
豚肉
ベーコン
鶏卵
チーズ
ヨーグルト
バナナ
デコポン

パン
冷凍うどん
緑茶
ミンティア

■準レギュラー
きゃべつ
長ネギ
ナス
きゅうり
レタス
生姜
じゃがいも
舞茸
しいたけ
サッポロ一番味噌ラーメン
スパゲティ
ツナ缶
雑穀
カレールゥ
ビスコ

■ベンチ入り
加工トマト類(トマトペースト、トマト缶など)
にんにく

魚類がツナ缶くらいしか無い。そして貝類が全く無い。そもそも家計簿をつけるまでも無く、貝類を購入したことなど一人暮らしを始めてからただの一度も無いのだが。亜鉛云々は置いておいて果たしてこの食生活はどうなのだろうか。あまりにも同じものばかり食べている気がするが、自炊するだけマシなのか。

まぁ、せめてもうちょっと魚を食べるようにしようかな。

日記録2杯, 日常

消費期限の切れたものは絶対に食べられない。
車も人も全く通らない田舎道でも、赤信号が点いていたら横断してはいけない。
困っている人がいなくても、健康な人間は優先席に座ってはいけない。
ゴミ出しの指定時刻を過ぎた後には、例えゴミ収集車が来ていなくてもゴミを出してはいけない。

これらは自分の中に「当たり前のこと」として存在している決まりだが、もしかしたらもう少し、柔軟になっても良いかもしれないと思い始めている。

トーストを食べた。焼いてみた。齧ってみた。変な味はしなかった。それは消費期限が二日過ぎていて、表示に気付いた瞬間、慌てて冷凍庫に放り込んでしまった挙句、対処に困り途方に暮れたものである。もったいないと思ってつい冷凍してしまったが、冷凍したところで時が逆行するわけでは無い。食べられないものは食べられないのだ。いったいどうしてくれようか。

しかしある人が助言をしてくれたのだ。消費期限はメーカーが勝手に決めた期限だから、それが絶対では無いんだよ、と。自分の目と舌で確かめてみれば良いんだよ、と。

目から鱗だった。消費期限を疑うなんて考えたことも無かったのだ。これを過ぎたら即ち毒、絶対に食べられないと思っていた。味見をしてみるなんて発想は一つも持っていなかった。

そして食べられたのだ。問題無く。美味しくトーストをいただくことが出来たのだ。

消費期限に限らず、他にも薄々、実はこれは絶対的な決まりというわけでは無いんじゃないか? と思っていたものがある。だがそれを思うのは思うことすら悪い気がしていたのだが、もしかして、もしかしなくても、もっと適当なのか? 世の中って。実は建前だったりするのか? そこまで行かなくても、時と場合で判断する、というのもアリだったりするんじゃないか? 罪悪感を抱かなくても良い場合もあるんじゃないのか?

今更と言われるかもしれないが、ちょっとドキドキしている。

日記録2杯, 日常

意気込みはわかったから何を喰わせるか明確にしてくれ、と思わず口に出したくなったのは、近所に新しく出来た飲食店の壁に書かれた長文がつい目に入ってしまったから。以前はイタリア料理の店だったはずだがいつの間にやら閉店し、あっという間に外装を変えて新しい店が入ったらしいが、看板が出ているのに何の店だがさっぱりわからない。

店の壁にはでかでかと店の名前と思われるものが書いてあるが飲食店というよりも玩具屋にふさわしい名称で料理のジャンルは読み取れず、その横にはあまりリアルでは無い爬虫類のイラスト、これを喰わせてくれるのか、店の看板キャラクターなのか、単なる飾りなのかわからない。そして特筆すべきは壁の余ったスペースを余すことなく活用して書かれた長文である。

何がすごいってこの長文、最後まで読んでもここが何屋であるのかすらさっぱりわからないのである。わかるのは店主がやる気に満ち溢れていることと、気楽に遊びに来て欲しいこと、町の人達の憩いの場になりたいこと、料理に対して強いこだわりを持っていること、夜遅くまで営業したいなぁと思っていること、月に二、三日は休みたいこと。これらをてきと~な口語体でだらだら書いている。

しかもよく読むと「夜遅くまで営業したい」「月に二、三日は休みたい」はあくまでも希望。希望は希望であるので、営業時間も定休日も定かでは無いのである。つい気になって探してしまったが、実際どこにも明記されていなかった。

無論メニューなどという親切な代物が貼ってあることも無い。当然価格帯もわからない。疑問ばかりが募るが全然中に入りたくならないのが腹が立つ。近所に出来た不可解な店。いつか謎が解けることを祈る。

日記録2杯, 中華料理屋, 日常,

重い重い気分で食欲もすっかり失せていたが、食べたい意欲なんぞ全く持っていなかったが、今自分はここに行った方が良いのだろうと判断し、月に一度か二度顔を出す中華料理屋の暖簾をくぐったのであった。

まず二年前。己はあることに全く納得出来ずにいた。その人が良いというものを全く良いとは思えず、むしろ愚の骨頂とまで思っていた。だが自分はその道に関して無知であり未熟だったので、その人の言葉に従った。常識的に考えればありえないと思われるが、それは単に自分が固定観念に囚われているだけかもしれない。挑戦は大切だ。まずやってみることだ。

そして欺瞞の一年間が過ぎ、その人がいなくなった後に現れた新たな人が、一年の間に積み上げられた様々なそれぞれを一つずつ破壊していった。そしてこのときようやく、「あぁ、やっぱりあれはありえなかったんだ」と知ることが出来てほっとしたのである。

くだらない、馬鹿みたい、阿呆らしい、ありえないと思っていたものが一つ一つ潰されるたびに自分の価値観が回復されていくように感じた。嬉しかった。清清しく思った。その解放感はしばらく続いたが、今日になって揺り戻しが来た。その過去の一年間にも不満を抱えていたものの、飲み込むことは出来ていたが、今の自分の立ち位置から当時を思い返してみると、あれは本当に嫌な一年間だった、と過去の自分が封じ込めようとしていた苦しさに気付いてしまったのだ。

そして。破壊されることで自分の正当性が認められた思いはしたが、それでもその破壊されたそれぞれは、積み重ねてきたそれぞれは、押し付けられた無理難題に応えるべく必死になって努力して自分が積み重ねたものだったので、あれはいったい何だったんだろうと、ひどく虚しくなったのだ。

あぁ、やっぱりあのとき反論出来れば良かったな、こんな無意味なことに労力を費やして何になるのかと言えれば良かったな、皆あんたの自己満足だろと指摘してやれれば良かったな、助け舟が欲しかったな、辛かったな、と溢れ出す悲しさ、滅入っていく心。多分きっと、このまま家に帰ったらドツボにはまってしまうだろう。それはそれで被虐的な気分に浸れて気持ちが良いかもしれないが、でも、ここはやはり人のいるところに行くべきじゃないかな。

その中華料理屋には主がいる。おかみさんの友人か常連か両方か、その正体はよくわからない。聞こえてくる会話から察するに毎日のように入り浸っているらしい。主は客であるにも関わらず、他の客の食べた後の皿を片付け、布巾で卓を清め、醤油を取ろうと身を乗り出した客のために醤油とラー油と酢の瓶を寄越してやりながら、お湯で薄めた焼酎を呑んでいる。

おかみさんは主の相手をしながら他の客にも声をかけ、お茶が少なくなれば注ぎに行きつつ料理をし、呑みすぎた酔っ払いに注意をしてやりつつ、月に一度か二度しか顔を出さない自分のことも覚えてくれ、「いっしょの?」と聞いて味噌ラーメンと餃子を用意してくれる。料理が来るまでは暇になるが退屈はしない。おかみさんの人柄によって作られた空間に身を置くことがひたすら心地良いのである。そしてまた美味いのだ、味噌ラーメンと餃子が。だから自分はずっと同じものばかり注文してしまうのである。

今日も店は繁盛している。おかみさんは主と会話をしているが、同時進行で他の客とも会話をし、「ご馳走様!」「美味しかったよ!」「寒くなってきたけど風邪引かないでくれよ!」と食べ終わった人は小銭とともに言葉を置いて店を出て行く。自分は注文と会計のときのみおかみさんと言葉を交わすが、その他はだいたい放っておいてもらえている。あぁ、楽。

店を出る頃には嫌な気持ちは薄らいでいた。やりきれない思いはあるが、乗り越えるしかない。と、少しだけ前向きな気持ちになって。