日記録0杯, 日常

2017年1月21日(土) 緑茶カウント:0杯

文法を勉強したい、特に敬語文法を。そう思ったのは己の知識が半端であり、さらに文法に至っては、現代文文法よりも古文文法に親しんでいたからである。ありをりはべりいまそかり。

頼まれて文章の添削をした。「おっしゃられる」「ご覧になられる」「やられている」「拝見させていただく」などを修正し理由を説明した。しかし納得してもらえなかった。曰く、こちらの方が丁寧さが伝わるとのことで、己は何度も説明を重ねたが、結局匙を投げたのであった。彼の人は言う。「何か失礼な感じがする」と。つまり言葉の正誤は問題ではなく、心情が問題なのである。それでは手の打ちようはない。

最終的には好きにしなされと伝えつつ、君は安心できるかもしれないが、君が「読んでもらいたい」と思っている一番敬意を伝えたい人には「読みにくい」としか伝えられないかもしれないぜ、とは念のため話しておいた。 その後彼の人がどうしたかは知らないが、ほんの少し頭の片隅で、「だったら添削なんざ頼むなよばーか」とは思った。思った。

しかし考え方を変えてみると、「おっしゃるられる」でないと失礼と感じる人からすれば、敬意を込めて「おっしゃる」「ご覧になる」と話す人の言葉を聞いて「失礼だなぁ」と思っている場合もあるかもしれないということで。そういえば己が「見られる」と言ったことに対して、自身に対する尊敬語と受け取った人もいたなぁ。そしてその使い方をおかしいと指摘してきたのである。

そんなあれこれを抱きつつ大きめの本屋に行ったものの、敬語文法に特化した書籍・参考書・問題集を探すも目当ての品はなくすごすご帰り、あぁ、知りたいなぁ、と思ったのであった。

良い本をご存知の方、良かったらご一報を。



日記録0杯, 日常,

2017年1月12日(木) 緑茶カウント:0杯

美味しいなー、と思いながら毎日飲んでいる。

ぐらぐら沸いた鍋にビンを入れ、煮込んでいる間にレモンをよく洗う。サクサクッと輪切りにしたら爪楊枝で種を穿り出し、煮沸消毒を終えたビンの中に輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。ビンが蜂蜜で満たされたらキュッと蓋をし冷蔵庫へ。

そうして数日置いたらレモンの果汁が蜂蜜に溶け出して、トロトロとした液体はサラサラになり、それをコップにたらりと注ぐ。そこに輪切りのレモンを一枚落とし、ポッカレモンを一センチ。最後に水をなみなみ注いで、ストローでレモンの果実を潰しながらかき混ぜたら出来上がり。一日を終える前にこれを飲んでふうとため息をつくのが最近の楽しみである。

ポッカレモンを入れるのは酸味を追加するためだ。レモンの蜂蜜漬けだけで味をつけようとすると一度に大量に消費してしまい、すぐになくなってしまい具合が悪いのである。ではポッカレモンだけでも良かろうという意見もあろうが、レモンの果実の爽やかな香りと蜂蜜のほんのりした甘さはポッカレモンにはないもので、やはりレモンは欠かせない。だから己はいそいそと、休みの日にビンを茹でてレモンを切る。サクリとレモンが二つに割れた瞬間に弾ける香りは何度嗅いでも素敵なものだ。

さて。この飲み物を己は名もないものとして日々飲んでいたのだが、最近やっと気がついた。あぁ、これはいわゆるレモネードというものなのだな。調べてみればその通りで、しかし名称を知ると急に遠くなった気分もあり。名もないままでも良いかなと思った。



日記録0杯, 日常

2017年1月7日(土) 緑茶カウント:0杯

運動不足の自覚もあるしちょいと散歩をしてみるか。さて、それではどこへ向かいましょうと思案して、ひたすら道なりに直進することを決める。とにかくここから行けるところまで行こうじゃないかと一心不乱にすたすた歩き、おやびっくり。辿り着いたのは普段全く違う道を通って行き着く図書館。己の頭の中の地図ではこの図書館の位置はここではなく、己が選んだ道の向かって九十度の方角にあるはずなのに何故ここに辿り着いてしまったのか。まさかこの図書館が我が家から直線距離にあろうとは全く予想だにしなかった。不思議なもんだなぁ。

顎を撫で首を傾げつつ先へ行く。ここまで約二十分。

そうしてさらに歩を進め、一心不乱に進んで行って驚いた。一時間歩いて辿り着いたのは大学時代に通った弓道場で、当時は弓道場を中心に、今の自宅とは反対方向に住んでいた。今の家から当時の家まで行くには乗り換えが数回必要で、弓道場も同様だ。故にもっとずっと遠くにあるものと思っていたが、まさかこの弓道場が今の我が家と一本道で繋がっていたとは。

卒業以来弓には触れておらず、弓道着も弓懸も押入れの奥。もしかしたら腐っているかもしれない。しかし一時間かけて歩けばまたここに通うことが出来るのか。そう思うと少し楽しい。

弓道場の看板をつくづく眺め、くるりと踵を返しUターン。元来た道を足早に歩き、灯りを落とした図書館の脇を通り過ぎ、家に帰ったのは十八時。およそ二時間、十キロの散歩はなかなか愉快で、気付かぬ繋がりには温かい気持ちにさせられた。今度図書館に行くときにはこのまま真っ直ぐ進んで行こう。弓をとることはないだろうが、またあの看板を見に行くのも楽しいかろう。思い出の場所も意外と近くにあるもんだ。



日記録0杯, 日常

2016年12月31日(土) 緑茶カウント:0杯

にゃあ、と鳴いて猫が膝の上に乗る。レースのカーテンから差し込む日光が背中を暖めるも冷え切った部屋。しかし猫はお構いなく椅子に座った己の膝の上でゴロゴロと咽喉を鳴らし、左腕と脇腹の隙間に鼻先をぐいぐいと差し込んで、空間の全てを埋めようとする。

ぴっちりと閉じられた腕と体の間に猫の寝息が差し込み、ぷう、ぷうと熱がこもる。膝と腹と腕だけが温かく、床に接した爪先は冷え切っているが動かせない。自由な右手で猫の背を撫でると心地良さそうにゴロゴロと咽喉を鳴らし、寝ながら鼻先をぐいぐい押し付けてくる。

これが幸福なのかしら、と凍えた爪先をすり合わせながら思った。十一歳の飼い猫はぐんぐんと全ての隙間を埋めてしまった。己は本を読みたかったが手を伸ばせず、代わりに彼女の背を撫でていた。外からは車の走る音が聞こえていた。



日記録0杯, 日常

2016年12月18日(日) 緑茶カウント:0杯

昨日の日記を読み返すと、あたかも喧嘩に明け暮れ荒れた中学時代を過ごしていたかのようである。これは誤解を招くかもしれない。実際のところはと言うと、制服はきっちり校則どおりに着て、ヘルメットをしっかり被って自転車に乗って登下校しつつ、特定のクラスメイトと放課後にやたらと取っ組み合いをし、二人の喧嘩の多さを心配したクラスメイトによって二人そろって学級委員に推薦され、協力し合うことを余儀なくされつつも、別にお互い憎み合ってはおらず、卒業後も平和に年賀状を交換し合ったりmixiで交流したりしていた。

そういえばいつかの大晦日。年が明けたばかりの深夜に突然メールが届き、呼び出されてお焚き上げを見に行ったことがあった。年賀状の交換こそしていたものの頻繁に会うことは無かっただけに、どうしたんだ急に、と思ったが、もちろん殴り合いの再戦は起こらず、暗闇の中で赤く燃える炎に顔を照らされ、パチパチと爆ぜる音を静かに聴いていたのであった。

思えば何であんなに喧嘩をしていたのか。気が合ったのか合わなかったのか、はたまた両方か。最近は年賀状の交流も途絶え、mixiは廃墟と化している。しかしまた、いつか再会するときが来るだろう。そのときにはまた取っ組み合いをしているかもしれない、と考えると楽しい。その日を楽しみに待とうじゃないか。