2014年4月9日(水) 緑茶カウント:2杯
最初の頃こそ本とにらめっこしながら筋トレをしていたのだが、いつしか流れも覚え、型も覚え、本を見ずに行うようになり、そうしたらやはり、崩れていたんだなぁ。型が。
久しぶりに本をしっかり読んでやり直したら疲れること疲れること。いかに自分が意味の無い動きをしてしまっていたかを実感した。基本に立ち返ることは大切だ。改めて知った今日であった。
忙しさにかまけてすっかり鈍ってしまったし、やり直すぞ。これから。
うずわみだまし
2014年4月9日(水) 緑茶カウント:2杯
最初の頃こそ本とにらめっこしながら筋トレをしていたのだが、いつしか流れも覚え、型も覚え、本を見ずに行うようになり、そうしたらやはり、崩れていたんだなぁ。型が。
久しぶりに本をしっかり読んでやり直したら疲れること疲れること。いかに自分が意味の無い動きをしてしまっていたかを実感した。基本に立ち返ることは大切だ。改めて知った今日であった。
忙しさにかまけてすっかり鈍ってしまったし、やり直すぞ。これから。
2014年4月2日(水) 緑茶カウント:2杯
事象年齢不詳の平沢進が還暦を迎えたとのことで。実に感慨深い。そろそろだとは一年以上前から思っていたが、ついにこの日がやってきたのか。
だからと言って何をするわけでもないのだが。ついにか、すごいな、と思わざるを得ないのだった。
おめでとうございます。これからもどうぞ健やかに。
2014年3月28日(金) 緑茶カウント:2杯
学び始めにけっ躓いてそれっきり。以来苦手意識を拭えず、拭えぬまま開き直り、今となっては既に読む気すら無い。目の前にある英文字に対して、読解しようという心は生まれず、ただ模様、もしくは図形として形を捉えている。意味はおろか読みすら想像しようとしない。
故に自分は、海外のワインやビールを選ぶとき、ぼんやりと「ああいう形の文字のもの」と記憶しているらしく、それはレストランなどの様々な施設の名前、映画のタイトル、文房具にも及び、そのわりに特に不自由なく暮らしているのであるが、わりと皆さん、読める、もしくは読もうとする気持ちがあるようで、自分にとってはただの模様だったものに唐突に音と意味が発生し、そのたびにモノクロの世界に色彩が生まれるような、無音の世界に音が満ちるような感動を一瞬覚え、あーちゃんと読むんだなーと感心している。
それはつまり、全く意識を傾けていなかった道端の石ころが喋り出し、つい驚きのまま振り向いて、自分の世界にその石が存在感を持って入り込んでくるような異質感を英語に対して抱くほど、そこまで無関心になってしまうほど、読む必要が生じない日々の暮らしが何年も続いているということで、あれほど昔、英語がわからないと困る困ると言われたのは何だったのだろう、と大人気ないことを考えてしまう。無論、英語を知ることで選択肢が広がり、知らないがゆえに得られるはずの選択肢を失い、困る局面に至る危険性があることは十二分にわかっているのだが。その分世界が狭まると言われればそれまでなのだが。これから困るかもしれないのだが。
しれないのだが、きっと自分の中ではあれもこれも図形と模様に成り果ててしまうのだろう。これからもずっと。恐らく多分。
2014年3月25日(火) 緑茶カウント:2杯
空腹感を紛らわすため軽食を摂ることにした。冷蔵庫には大根、ゴボウ、人参、タマネギ、スモークチーズ、大根の味噌漬け、菜の花のお浸し、スナップエンドウのお浸し、デコポン、味噌、きゃらぶき、などなどがあるが、取り出したのはヨーグルトとバナナ。料理をするのが面倒くさかったのである。
そうして器にヨーグルトをよそい、皮を向いたバナナを入れてスプーンで潰し、バナナとヨーグルトが一体化するまで混ぜて、ほんの少し砂糖を加えてさらに混ぜてこれを食した。やさしい味がした。予想通りの味だが美味しい。美味しい………が、このドロドロに溶けたものを食べていると、まるで自分が固形物を噛めない力なき者か、噛めても飲み込めない力尽きた人か、飲み込めても消化出来ない力果てた人のような気分に陥る。爪先から脳天まで健康なのに、良くて病み上がりの気分である。
あぁ、流動食に似てるのか。と、その実物を見たことが無いのに思った。もしくは離乳食。赤子か病人の気分を味わえる軽食。必要も無いのに食後安静にしなければならない気分になる食べ物だった。妙なものだ。
2014年3月24日(月) 緑茶カウント:2杯
この季節はいつも何を着れば良いかわからなくなってしまって困る。そして結局冬の装いのまま外に出て、人々とのギャップに悩むのだ。とはいえ夜になれば冷え、春服を着て外に出たことを後悔することもしばしばで、かといって夜に備えて上着を持ち歩くのは面倒くさい。しかし冬服では暑苦しい。
悩む。悩むが四月も目前だ。今週末あたり、春物を買っておきたいものだなぁ。