日記録0杯, 日常

2017年10月10日(火) 緑茶カウント:0杯

友人以外の人間からたまに、「独身は気楽で良いよね。呑み会に行くのも自由だし、趣味に金を使うのも自由で、配偶者や子供に気を遣うこともなく、全て自分の思うままだろう」といったことを言われることがある。そういったとき、つい「その代わり、家族を持つ喜びは得ていないですよ」と言ってしまいそうになるが、つい言いたくなるがそれは正しいことではない。その返答はきっと相手方を満足させるもの、あるいは納得させるものであろうが、己は独身の気楽さや趣味を楽しむ代償として、家族を持つ喜びを手放しているわけではないのである。

たまたま自分は新しく家族を築き上げたいとは思わなかった。子供を欲しいとも思わない。むしろ配偶者を持ち、子供を作る道を選べば自分の性質上間違いなく不幸になることが見えている。故にその道を選んでいないだけで、その道に進みたいと切望したことなぞ無いのである。

よって正しい返答は、「そうですね。まぁそれなりに苦労もありますが、日々なかなか楽しいですよ」で、そこに気後れをする必要はない。好きなことをして、好きな生き方をできている。自分はなかなか幸福で、そこに負い目を感じる必要はない。

ただ、どなたかが今の幸福と引換えに失うものがあるのなら、それに対して慮ることは致しましょう。その方と己は別の生き方をしているが、別に敵でも何でもない。別の道を歩みつつ、たまに道が交差するとよろしいね。その際にはどうぞ仲良くしましょう。たったそれだけのことなのである。

しかししつこい人間に関しては交差した瞬間に言葉でぶん殴る。君の満足のために卑屈になる気はないのだよ。ははは、と腹に抱えて。腹に抱えて。



未分類0杯, 平沢進, 非日常

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その日空に上がった花火は、まるで九万音符の調べの降臨を祝福しているかのように見えたのさ。

楽しかった。全ての言葉がこの一言に凝縮されてしまう。そんな素晴らしいライブであった。

「Archetype Engine」から始まり、「サイボーグ」へと繋がる容赦のない展開により一曲目から打数カウントの回ること回ること。第9曼荼羅最終日の当日は開演前から人でいっぱいで、前へ詰めるように詰めるようにとスタッフに促され、1800番台の己もそこそこ前方に進むことができた。今回は下手側の中央寄りに立ち位置を決め、会人の二人をじっくり観ようと意気込んだのであった。

そんな己の出で立ちとしては、首にはポケットマフラータオル、上半身はロングスリーブカットソー、下半身はMANDALA-MINOなるオリジナルラップパンツ、そして黒のパンツに黒のブーツという完全なる様相。ラップパンツなど履いたのは生まれて初めてで、恐らく今後履くことも二度となかろうと思ったが、せっかくの機会だと意気込んで買ってみた結果、あれ意外と似合うじゃん、と新たなトビラが開いたのであった。そうでなくとも今日この日、全身をヒラサワで包み込んでの参戦、後悔など一つもなく、ただただ馬鹿になって良かった、満喫して良かった、と心から大いに満足した。

楽しかった。とんでもなく楽しかった。一曲目から「Archetype Engine」と「サイボーグ」、そして「灰よ」へ続く出し惜しみのない構成。「灰よ」で真っ赤に染まったステージが、ヒラサワが「灰舞え」と叫んだ途端真っ白に色が変わる。それはまるでステージから客席まで真っ白な灰が舞ったようで、その演出効果に息を呑んだのであった。

かと思えば、「確率の丘」では入りを間違えるチャーミングな場面も。こういったところを観ると、ヒラサワも人間なのだなぁと安心してしまう。そして次の「アヴァター・アローン」では打数モジュールが増設され、上領さんのドラムソロが炸裂する。先日の公演でムービーの前に打数モジュールが増設されたことに違和感を抱いたが、どうやらこれはこれで問題ないようだ。

打数モジュール増設は「アヴァター・アローン」と「アディオス」の二曲で行われた。どちらも上領さんを応援すべく手拍子が湧き起こり、めっちゃ盛り上がって良いなーと思いつつ、いや何か手拍子でドラムソロ聞こえづらいな、ドラムソロの迫力のわりに手拍子が牧歌的だな……と違和感を抱きもした。

「人体夜行」はアルバムと全く違った印象だ。ヴァイオリンとチェロの重い響きが愛おしい。そしてこの曲の後にステージが真っ暗になり、ヒラサワ、上領さん、会人の二人松と鶴が退場し、打数カウントが表示されていたモニターに映像が映し出される。内容は昨日と同じで、ヒラサワならではの難解な言い回しをしていたが、「ヒラサワがTwitterをやる前の世界には戻れなくなった善男善女善LGBTX」と呼ばれ、沼扱いされたことは理解できた。このように男女だけでなく。LGBTXを言葉に挙げてくれるヒラサワの何とありがたいことか。彼の視界には男女以外も映っている。それは希望以外でありよすがである。ありがたい。

打数モジュール増設の許可が下ろされるもしばらく増設はされずに進む。「トビラ島」では真っ赤に照らされたステージでヒラサワがアコギを爪弾き、定位置に戻ったかと思えばステージは青に照らされ、上空には七つの赤い月が浮かぶ。そして力強く叩かれるドラムの迫力! 先日の感想にも書いたが、トビラ島一曲で一つの映画を観たかのような満足感があり、たまらない。

「聖馬蹄形惑星の大詐欺師」では例の箇所で例の如くオーディエンスによる合唱が起こったが、面白いことに昨日のは違う発声が聴こえた。この箇所には歌詞がない、ゆえに皆それぞれの解釈がなされ、それぞれの解釈で発声しているのだろう。故にそんな違いが起こるのだ。面白いなぁ。

次の「アディオス」で打数モジュールが増設された。「アヴァター・アローン」では細かく刻まれ、音が小さくなるも途切れることなくひたすら続くドラムの丁寧さが印象的で、「アディオス」はより力強く感じた。

「ホログラムを登る男」でだっただろうか? 気付けば、会人の鶴が弾くヴァイオリンの弓の弦が切れて、ふぁっさーとたなびいていた。しかし鶴は演奏を中止することなく壊れた弓で弾き続ける! いつの間にそんなことになった……!! 驚きながら彼を見つめた。

そして最後の曲「オーロラ」へ。この時点で打数は85000あたりだっただろうか。とても90000には届かない。しかし、何と言うことだろう! アウトロでちょちょいと指先を操り煽るヒラサワ、終わらないドラムソロ、熱狂するオーディエンス!! ドラムソロが始まるや否やオーディエンスはドッと飛び跳ね、興奮し前へ詰めかけ、大声で「ワタルー!! ワタルー!!」と叫びながら、9万打へと駆け上るドラムソロが展開されたのである!!

まさかこのオーロラという曲で。この、美しく、駆け上がるような多幸感がある曲で、こんなに格好良いドラムソロが延々と繰り広げられることになろうとは! 曲の雰囲気も何もかもぶっ飛ばして、我々はひたすら飛び跳ね、拳を振り上げながら「ワタルー!! ワタルー!!!!」と応援した。それはもう、先日ヒラサワに指示されたとおりの呼び名で忠実に。ワタルこと上領さんはリズミカルにひたすらにドラムを叩き続け、しかし鬼気迫る様相は全くなく、最後まで涼しげで、美しくも完璧に、九万打ぴったりを叩ききったのであった。

美しかった。

彼の人が男性であることは知っている。当初、確かに見間違えたが男性であることは知っている。しかしここまで来て、美しいお姉さんにしか見えず、それでいてこのパワフルで涼しげなドラム捌きが鮮烈で、己は息を呑むしかなかった。

かくして九万音符の調べは降りた。楽曲はリアルタイムで配信され、無人のステージに新曲が流された。それに聴き入りながら、待望の一曲を耳にしながら、好きなミュージシャンのライブに行って無人のステージを目の前にしながら新曲を聴くって妙な状況だな、と思った。

アンコールは「現象の花の秘密」と「鉄切り歌(鉄山を登る男)」。MCでヒラサワが上領さんを指して「流石元P-MODEL」と言ってくれたのが嬉しかった。

年々、ステージに演奏陣が増えている。それはDVDを観るファンを飽きさせないようにというヒラサワの工夫であり、サービスだと思う。その中でついに、生ドラム。するとどうしても、P-MODELの再結成を期待してしまう自分もいる。

だが同時に思う。きっと今が一番良いバランスなのだと。P-MODELのヒラサワと、ソロのヒラサワが綺麗に両立している今。長い月日を経てやっと、ちょうど良いバランスに行き着いたのではないか、と短いファンながらに思う。

また思う。白髪のヒラサワの美しさを。それは髪の色だけではなく、スタイルも、そして顔の皺も込みでの美しさだ。齢六十三歳の彼は、紛うことなく美しい。

しかし過去を顧みると、歳を重ねた人の美しくあろうとする努力を己は笑ったことがあった。それは十五年ほど前で、今では本当に恥じているが、確かにそれは事実であった。五十を手前にダイエットを志し、ダンベルを振った亡き母が「おばちゃんなのにダイエットなんておかしいよね」と言ったとき、口にこそ出さなかったものの「そんなに頑張らなくても」と思ったのだ。

だがあのとき、本当は「そんなことないよ」と言うべきであり、そう言われることを母も望んでいたはずなのである。

美しくあろうとすることはいくつになろうとも何もおかしいことではない。自分に手をかけることは抗うことではなく、自分自身を大事にすることだ。それに何故当時気付かなかったのだろう。背筋を伸ばし、レーザーハープを操るヒラサワ。にこにこ笑いながら涼やかにスティックを振る上領さん。二人とも美しく、二人とも違うように美しい。彼らがそれを目指していたかはわからないものの、結果として美しいことは確かである。

あのように生きたいものだ、と思った。帰り道の橋の上には人だかりがあり、彼らの視線の先にはまんまるに光る白い月と、ドーンと上がる花火があった。まるで九万音符の調べの降臨を祝福しているかのような夜空。ほうと眺めつつ、魅せられつつ、まっすぐに進もう、と思った。



未分類0杯, 平沢進, 非日常

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第9曼荼羅が開く時、9万音符の調べが降りる!

「9万打」と「曼荼羅」をかけた駄洒落のようなライブタイトルは、ヒラサワのツイッターのフォロワーが九万人に到達したことを記念した企画である。大阪・東京の全五公演を通してスネアドラムの打数が九万打に達すれば、九万音符により構成される楽曲が配信される。故に、我々オーディエンスはドラマーを精一杯応援するミッションが課せられている。

そしてまぁ、ステージの豪華なことと言ったら!

上手には曼荼羅が描かれたバスドラムの存在感が際立つドラムセット、中央にはヒラサワのギターとレーザーハープ、下手には会人の奏でるサイレントチェロ、エレキヴァイオリン、シンセサイザーにボタン類。ステージの奥には高々と曼荼羅が掲げられ、その下には打数をリアルタイムでカウントする巨大なモニター。いったいどこを見れば良いのやら。たった二つの目玉ではとてもじゃないが足りえない。

開場から開演まで、場内に流れる音楽を聴きながらゆるゆると待っていると、スタッフが機材のチェックのためにステージに現れてついそわそわしてしまう。よし、そろそろかそろそろか。時を経てスモークがもくもくと焚かれ出し、開演直前のアナウンスが流れる。そしてついに照明が落とされ、あぁ、待ちに待ったライブの時だ!

そうしてステージをぐっと見つめていると、下手側から髪のサラリとした真っ黒い衣装の美しい女性が現れ、中央を横切っていく。誰だろう、スタッフ……には見えないが、妙だなぁ……と思っていたら、その女性はドラムセットの前で体の向きを変え、着席した。

仰天した。女性ではなかった。元P-MODELのメンバーであり、本日ドラマーを務める上領亘さんだった。

P-MODELは聴いていたが、美しいとは耳にしていたが、己は彼の外見を知らなかった。故に驚いた。非常に驚いた。さらに、ライブが終わった後上領さんについて調べ、年齢を知って驚いた。五十三歳とな。見えない。全く見えない。

はーー……とびっくりしつつ暗闇の中でステージを見つめる。そういえば暗くなったがオーディエンスに動きがない。前に詰めないのだろうか……と思っていると、銀髪のヒラサワがステージに登場。瞬間、歓声とともにドッと人々が前へと詰めかけ、なるほどこのタイミングか! と納得しつつ足場を確保。前から五列目あたりの見晴らしの良い位置に立つことができた。

出囃子とともに始まったのは「オーロラ」。初っ端からヒラサワのデストロイギターが炸裂し、ギターへの膝蹴りが放たれる。二曲目は「確率の丘」、そして三曲目のイントロが始まった瞬間、ゾクゾクと喜びがこみ上げた。大好きな「CODE-COSTARICA」! この曲からヒラサワの咽喉が開き、ぐっと声量が増したように感じた。あぁ、何て美しいのか!

ずっと、いつかヒラサワのライブで生ドラムを聴いてみたいと思っていたが、まさか叶う日が来ようとは。ビリビリと地を這うリズムの衝撃が足の裏から背骨に響き、実に気持ちが良い。音が体にぶつかってくる圧力がたまらない。また、前に立つ人がちょうど体格の良い人で、その方がぴょんぴょんと飛び跳ねるたびに間近の振動が伝わって、その迫力も心地良かった。

「アディオス」では「空、空」と歌うところで会人の松と鶴がチェロとヴァイオリンの弓を高々と掲げ空を指差し、ステージいっぱいに真っ白な光が降り注ぐ。美しい光景だった。「罵詈喝采罵詈喝采」の箇所はレーザーハープにより奏でられていて、曲の終わりにヒラサワがひょいっと光線に触れ、「罵詈っ」をサービスしたのが実にライブらしくてわくわくした。

「灰よ」は流石の迫力で、そのままの勢いに乗って「聖馬蹄形惑星の大詐欺師」へ。驚いたのがまさかの! 「ハーイッハイッ! エハライェエッ!! ハーアハッハー フゥウウ~?」がオーディエンスによる合唱パートになったこと! ちなみにこの箇所の発声は歌詞カードに載っていないので耳で聴いたものをなるべく忠実に文字に起こしているが、人により違いがあるはずである。そのわりに声が揃っているのが何というか、不思議であった。

そういえばこの曲が発表されてからのライブでこの曲は必ずセットリストに入っているように思う。ヒラサワのお気に入りなのだろうか。

「人体夜行」で六万打寸前までいき、ふとステージから人がいなくなる。すると打数がカウントされていたモニターに映像が映し出され、ヒラサワとヒラサワの会話が展開される。何を言っているのかわからないかもしれないが、画面のヒラサワが画面外のヒラサワと会話しているのである。つまりヒラサワがヒラサワと会話しているのである。ご理解いただきたい。

平均して一日一万五千打で、このままでは九万打に到達しない。そこで打数モジュールを増設する許可をヒラサワがヒラサワに求め、予算がかからないという理由により許可が下ろされた。端的に言えばタイミングが訪れたときにドラムソロパートが追加されるとのこと。おおー!

と盛り上がりつつも気になることが。ん? あれ? この映像が流れる前に、どっかで「打数M増設」とモニターに映し出されたような……良かったのだろうかそれは。

「トビラ島」では下手側にヒラサワが座ってアコギを弾いて歌っていたのだが、残念ながら己の立ち位置からはよく見えなかった。レーザーハープと上領さんはよく見えるのだが、会人は見えづらいのである。明日はもっと会人も観たい。

とはいえ何と言っても「トビラ島」は後半の展開の迫力だ。ちょうどこのとき六万カウントを記録していたことにより、曼荼羅には六つの明かりが点灯していて、まるで闇夜の空に赤い月が六つ浮かんでいるようだった。重々しいドラムとヒラサワの歌声の迫力と相まって、怪しく恐ろしく、美しかった。

このときドラムと同じリズムで松と鶴がボタン類を押して演奏していた。正方形の方眼ノートのようなモニターがあり、一つ一つの四角のマスには赤や青や黄色や緑の色がついていて、タッチすると色のつく場所が移動し、またタッチすると移動する。あのボタン類が何の音を担当しているのかはわからなかったが、とにかくデフラグ中の画面にそっくりだった。

「トビラ島」は一曲で一つの映画を観たかのようなボリュームがあるが、もちろんここで終わらず息つく間もなく曲は展開していく。このスピード感が贅沢で、もったいなくて、心地良い。

「Archetype Engine」が始まった瞬間、脳が爆発するかと思った。ヒラサワの響く声の伸びやかさの美しさったら。そして「サイボーグ」! これ! これを生ドラムで聴きたかったんだよおおおおおお!! 今日演奏された中で一番期待していたものかもしれない。もともとオリジナルが生ドラムなこともあり、このタイプを聴いてみたいと思っていたんだよなぁ。念願叶って嬉しい。

「ホログラムを登る男」「白虎野」で本編は終了。大歓声によるアンコールを受けてステージに現れたヒラサワに「お足元の悪い中……」と言っていただきついどよめきそうになる。そんな風に言ってくださるとは……。

アンコールは「Wi-SiWi」と「鉄切り歌(鉄山を登る男)」。「鉄切り歌」では「鉄はだんだん切れ」がオーディエンスによる合唱パートになっていて楽しい。知らない人々と大勢で声を揃えて好きな歌を歌う多幸感に酔いしれた。

上領さんはどんなときもニコニコしていて、軽やかにドラムを叩いている姿がとても格好良かった。ヒラサワを観て、上領さんを観て、やはりとても目が足りない。明日は最終日。今日でやっと68,400に到達し、残り21,600打。さぁ、あともう少しだ! 九万打の達成をこの目で見届けるべく明日も新木場に向かおう。どうか9万音符の調べが降りますように。

ちなみに物販は小雨の降る中一時間並んで待った甲斐あって全種類購入することが出来た。はっはっはっ。ガラケーユーザーなのにスマートフォンケースまで買ってしまったぜ。ガラケーユーザーにまでスマートフォンケースを買わせてしまうヒラサワの魔力たるや何と恐ろしいことか。「唯じゃない」の一件で知って以来、ずっと魅せられ続けている。あれから八年か。早いような短いような。

無論これからも魅せられ続ける所存である。きっと予想だにせぬ世界を見せてくれるに違いないから。

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日記録0杯, 日常

2017年10月5日(木) 緑茶カウント:0杯

目の前が真っ暗になるとはまさにこのこと。それはもう、ギャグ漫画の如く、目の前が真っ黄色になったのさ。

真っ黄色。末期色。弾ける脳髄ならぬ弾けるチーズ。あぁ、シャララシャカシャカ。

ちょいとおつまみを追加したいと思ったのだ。そのとき、己はハイボールを呑んでいたのだ。そして賞味期限の近い調理用チーズの存在を思い出し、よっしゃこれをトースターで焼いてみるかと思い立ち、袋を左右に引っ張った直後。パン、と軽やかな音とともに、細切れのチーズが視界一杯に飛び散って、台所全体に降り注いだのさ。

チーズである。チーズである。チーズである。よりにもよって。

漫画やアニメでポテトチップスを破裂させる、そんな姿を何度か見たことはあるものの、まさか自分が調理用チーズでやってしまうとは、予想だにせぬ事態である。そして狭いとはいえ台所一面、真っ黄色ならぬ末期色のチーズの雨が降り注ぎ、まさに絶望的なありさま。これね、チーズだからね。滅茶苦茶美味しくて栄養価高いからね、一欠片でも放置したらそりゃあ、ゴキブリのご馳走でございますよ。

おつまみが欲しいと思ったのはいつだって? 二十四時さ。いろいろなミッションを終え、ふうと一息つきながら、ハイボールを呑んでいる、そんな時間帯さ。そんな時間帯の出来事である。

あぁ。

綺麗になった。綺麗になった。綺麗になったよ。しかしグラスの中に浮かんでいた氷は完全に溶け切って、わずかな氷の欠片が浮かぶそれを口に含めば意外に冷たく、とはいえ目当てのおつまみを手に入れることはできず、背後には美しく磨かれた台所があり、疲労困憊のままはぁとため息をつくのであった。

はぁ。あぁ。



日記録0杯, 日常

2017年10月2日(月) 緑茶カウント:0杯

「これは春の歌である。だって桜が咲いているのだから」

確かに桜は咲いている。しかしそれは狂い咲きの桜である。狂い咲きの桜が舞い散る季節は決して春ではなく、それは春の歌ではない。

受け取り方は自由だが、読み取る力も必要だ。通常桜は春に咲き、その中で秋や冬に咲くものもある。それをあえて指した場合、季節は必ず春以外を示している。では、何故あえて狂い咲きの桜を指したのか? そこに作者の意図がある。

ただし。「これは狂い咲きの桜を歌った曲だけれども、春の思い出に色濃く結びついているので、これは自分にとっては春の歌なのさ」と言う場合は、それは間違いなく春の歌であり、春の歌以外の何物でもない。作者の意図を理解したうえでの自分の思い入れであれば、思い入れが優先されて然るべきであろう。

だからね、そこに違いがあるのさ。たったそれだけの話なのである。