日記録0杯, 日常

2018年8月10日(金) 緑茶カウント:0杯

「大丈夫ですよ、まだ蓋を開けていません。安全な水ですよ」

そう言って差し出した水を素直に受け取り咽喉へと運ぶのは必ず男性で、同じ数くらい女性に水を差し出したことはあっても、一度としてまっすぐに受け取ってもらうことはできなかった。「いいです」「ありがとう」「持ってるので大丈夫です」と断られてばかりで、故に己は駅員もしくは警察官を呼ぶか、彼女達が蹲る隣に座って新しく電車が来るのを待ち、それに乗せることしか出来なかった。

そうして思うのは、彼ら彼女らが生きる世界の違いである。同じように酔っ払っていたとしても、見知らぬ人間から水を受け取れるのは男性ばかりで、女性は決して受け取らない。それはきっと、過去に数々の教育と教訓を得たからであろう。その水に毒が仕込まれているかもしれない可能性を彼女達は考えながら生きているのだ。

ところが酔っ払って地面にひれ伏しぐーすかと眠る男性は、体をつついて起こしてペットボトルを差し出せば、蓋の開閉も気にせず素直に中身を飲み干す。差し出した己さえ、そんなに信用して良いのかと不安に思うほどに安易に。そして水を飲み干して、「ありがとー」と礼を言うとぐーすかと駅のベンチに横たわって眠ってしまう。そんなことがありなのかと思うほどに、あっていいのかと思うほどに容易く、気楽に寝てしまうのだ。

同じように眠れる女性がどれほどいるだろう。あぁ、生きる世界が違うのだなぁ、と思いながらほてほてと歩きつつ、きっと見えている世界も違うのだろうなぁと思うと何とも言えない気分になるのである。



日記録6杯, 日常,

2018年7月30日(月) 緑茶カウント:6杯

二日前に開けて以来口をつけていない牛乳があったとしよう。さて、この牛乳は己にとって毒か否か。

毒か否か、と考えた時点でそれは毒に変貌する。例え傷んでいないとしても。

どうにも食品に対しての不安に己は弱いらしく、「大丈夫だろうか」と思った時点で必ず腹を壊す。大丈夫に違いないと思い直しても壊す。そして不思議なことに、同じ二日前に開けた牛乳であっても二日前と一日前に口をつけて安心して飲めていれば同じ日数が経っていても腹を壊さない。何故なら、そこに不安が無いからだ。

どうやら、目を離している間に何かが作用しているに違いないと信じてしまうらしい。目を見張ってさえすれば安心だが、一度範囲の外に出てしまうとそれはもう毒と成り果てるのだ。

いったいどこでどの信仰を抱くに至ったかは不明だが、抱いているからには上手に付き合うしか道がなく、なるべく毎日口をつけようと努力する次第である。あぁ、不思議な習性だ。



日記録0杯, 日常

2018年7月29日(日) 緑茶カウント:0杯

何とか引っ越し先も決まり、着々と準備を進めている。いやぁ、なかなか面倒ですなぁ。身近に引越しが趣味で契約更新のたびに引っ越しをする人がいるが、金もかかるし手間もかかるし己にはとても真似出来ないと思う。僕にはとても出来ない。

その中で楽しいと思うこともある。物の値段がわかることだ。普段、筋少やヒラサワ、言ってしまえばチケットかブルーレイボックスにしか金を払わない人間にとって、家財のあれこれの値段を知る機会は少なく、購入しようと思って初めてその価格を知るのである。なるほど。これはこういう値段がするのだなぁ。で、己はどれを買うべきかなぁ。

そのように考えるのは、楽しい。

今の部屋に越した当時は人生で一番余裕の無い頃で、故に住んだ後に様々な不具合に見舞われたのだが、今は多少の余裕がある故家財を選ぶ自由もある。と言っても大したことは無いけどね。当時があまりに余裕が無かっただけだけどね。だって入居して鍵を渡された後に「実はトイレが壊れている」って不動産屋に告白されたんだぜ。まぁ壊れているって言っても流れないのではなく、水が異常に流れるだけなので生活は出来るのだが。出来るけど水道代がやべーよ。入居する前に教えてくれよ。まぁ教えてもらえない程度の家賃と言ったら仕方が無いのだがね。

閑話休題。ということで快適な生活をすべく家財を探す昨今。どうにか、己は快適な住まいに移ることができるようだ。それにしても手続くの多さったら。つくづく、引っ越しを趣味にする人のバイタリティに感服する。すごいなぁ。



日記録6杯, 日常,

2018年7月26日(木) 緑茶カウント:6杯

うなぎが食べたい。うなぎが食べたい。すごく食べたい。
すごく食べたいが我慢している。絶滅危惧種に指定されたが故に。

うなぎが食べたい。うなぎが食べたい。とても食べたい。誕生日が土用の丑の日に近いため、誕生日にうなぎを食べることを楽しみにしていた。うなぎは美味しい。あの甘辛いタレの染みたご飯に乗ったホロッとした身を口に運ぶ楽しさ。思い切ってお重を持ってかっこむ喜び。でも我慢している。食べないようにしている。食べないようにしているけど食べたい。

うなぎ、食べたいなぁ。

まぁ、自ら求めないというマイルールを課しているだけなので、コース料理の小鉢に混ざっていた場合などは食べるのだが。出てきた場合にまで残すのはもったいないので食べるのだが。でもなるべく食べないようにしている。このご時勢なので食べないようにしている。

うなぎ、うなぎ。
うなぎ、食べたいなぁ。
食べたいなぁ。



日記録8杯, 日常

2018年7月19日(木) 緑茶カウント:8杯

夜に爪を切ってはいけないのはどうしてか。背を丸めパチンパチンと仕事に集中しているとき、背中に立った妖が手元を覗き込むからだ。

だから、夜に爪を切ってはいけない。

これは北関東に伝わる民間伝承だが文献にはほとんど残っておらず、電気が通っていなかった時代に暗いところで爪を切るのは危ないから戒められていた、という話が通説であるともっともらしく話を進めたいところだが背中に妖が立つ話は完全に己の作り話なので誰も信じていないのは当たり前なのである。ごめんね嘘を言いました。

爪を切っているときは手元に神経を集中させるから背中が無防備になるよなぁ、と思ったときにイメージしたこと。そして今夜己が持つのは爪切りではなく銀磨きの布。これももう、だいぶ長く使っているものだ。

外出時には必ずつけているお守りのような指輪をゆったりと磨きながら、あぁ、今も妖が手元を覗き込んでいるかもしれないな、と思う。作り話ではあるが、爪を切るたびに、銀を磨くたびに己の背後に立つ名もない妖。彼との付き合いもそろそろ十年になるだろうか。十年経つのに、未だ彼がどのような姿をしているか知らない。ただ、気配だけはあるように思う。

こうして何もない夜に、静かに愛用品を磨く夜はなかなか贅沢だなぁ、と思いながら背後に思いを馳せる。
こんばんは。また会ったね。