2014年9月30日(火) 緑茶カウント:4杯
何だかんだで踏み台昇降を継続している。しかし継続しつつも飽きている。単純作業にも程があるので流石にこれは続けられない気がするが、良い感じに汗をかき、今までとは違う箇所に筋肉痛を感じるのが心地良いため続けているが飽きている。
もうちょっと続けてみようと思う。
うずわみだまし
2014年9月30日(火) 緑茶カウント:4杯
何だかんだで踏み台昇降を継続している。しかし継続しつつも飽きている。単純作業にも程があるので流石にこれは続けられない気がするが、良い感じに汗をかき、今までとは違う箇所に筋肉痛を感じるのが心地良いため続けているが飽きている。
もうちょっと続けてみようと思う。
2014年9月1日(月) 緑茶カウント:4杯
長ズボンしか選択肢が無いのに外は大雨。しかも濃い色のズボンは洗濯に出して現在吊り下げられており、残るは白のズボン、もしくは寝巻き。いや、七分丈のズボンもあるにはある。だが目的の外出先にはふさわしくない。そう、己は外に出なければならないのである。目的のために。大雨の中。しかも長靴も無い。無い無い尽くしの無い尽くし。
出るのか。白い長ズボンを穿いて。この地上全部が水溜りになっているかのような雨の中。歩くのか。この足で。スニーカーなんぞ五秒で浸水するだろう。靴の中で皮膚と爪はふやけるだろう。鞄もどうせ濡れるだろう。うわあ、憂鬱。
いっそ寝巻きとサンダルで歩いてしまいたいと思いつつ外に出て、帰宅後服を脱ぎ散らかして白ズボンの裾を検分し、奇跡的に泥汚れがついていないことを確認し、意外となかなか器用に歩けるのだなと思うも、待ちかねたるはさらなる悲劇。洗濯物は今だ生乾きで、白のズボンもすっかり濡れて。明日は何を着れば良いのだろうか。途方に暮れる夜。靴も濡れてるぜ。ははは。
2014年7月28日(月) 緑茶カウント:4杯
最近になってふと気付いたのだが、昔に比べ、下ネタに対する抵抗感が薄まっているようだ。昔は下ネタを聞かされると冗談ではなく具合が悪くなって気力が目減りし、嫌な気分のまま床に倒れて鬱々としては、この程度のことでここまでダメージを受ける自分は何てダメ人間なんだと自己嫌悪に陥っていたのだが、わりと大丈夫になった。
例えば。昔はそれこそ「誰と誰が付き合っている」という話を聞くのもだめだった。苦手だった。色恋の話題から完全に隔離されることを願い、優しい友人達は自分の前ではそういった話題を避けてくれた。よって学校を卒業してから、近しい間柄の中で誰と誰が付き合ったり別れたり断られたりした、という話を聞いてびっくりしたものである。お前ら狭い範囲でそんなにややこしいことになってたのかよ、と。
全く自分は蚊帳の外だったのである。無論自ら望んでのことだ。そしてまた、蚊帳の外にしてくれていたことを本当に有難いと思う。今になって思えば優しい人達である。本当に。
大学卒業後も、友人達が好きなアダルトビデオの女優は誰か、という話で盛り上がっていたとき、自分はどのように振舞えば良いのかわからず、それを公言することは恥ずかしいことでは無いのか!? 公にして良い類のことなのか!? とハテナマークが脳内に溢れる中、女友達がノリノリで話題に喰いついていて何とも言えない孤独を感じたものだ。
まぁアダルトビデオの女優について語ることに抵抗を抱くのはまだわかってもらえるだろう。自分は「好きな人は誰か」公言することさえ理解が出来なかった。子供の頃はそれこそ、好きな人の名前を口に出すことはあんなに恥ずかしかったはずなのに、皆その共通意識を持っていたはずなのに、いつの間に脱出したのだろう、と心の底から不思議に思った。ちょっと前まで。
ついでに言うと、結局婚前交渉はありなのか無しなのかが少し前までわからなかった。「できちゃった結婚は恥ずかしい」という価値観があることを考えるに、婚前交渉は無しなのだろうが、どうもそれを世間の皆様が守っているようには感じられないというか、どこまで本気の建前なのかがさっぱり理解出来なかった。しかしこれについては自分の中で答えが出た。ありである。無しだったら結婚制度の枠組みから外れる同性愛者は永遠に性交渉が出来ないじゃないか、とはたと気付いて納得した。これ、論理的に滅茶苦茶だと自分でも気付いているが、腑に落ちたのでそれで良いということにしている。
ただあまり自由奔放であると男も女もリスキーなので気をつけなされよ、というところだろう。ありと言えども節度は必要である。
耐性が出来たとはいえ未だNGワードは多く、特殊宿泊施設の名前を口に出して読むことが出来ない。ただ、連れ込み宿という名称に言い換えれば言える気がする。代替表現を見つければ多少は生きやすくなりそうだ。とはいえそんな話題を口に出すことなど、そもそも全く無いのだが。
このように変化が訪れたのは、結婚した友人とその配偶者と、交際中の友人とその恋人との付き合いが増えたり、周囲に交際中の人間が増えた影響かもしれない。慣れたのだ。そして、にこにこしながら脇腹の肉をつまみ合ったりする彼ら彼女らを見て、素直に微笑ましく感じられるようになり、受け入れられるようになったのだ。これはきっと進歩である。まだまだハードルも多いが、その輪の中にいられることが嬉しい。
2014年7月21日(月) 緑茶カウント:4杯
音楽が好きだ。音楽を聴くという行為が日常の一つに染み込んでいる。筋肉少女帯、平沢進、水戸華之介、町田康、たま、谷山浩子、ポルノグラフィティ、T.M.Revolution、レピッシュ、スターリン、中島みゆき、さだまさし、かぐや姫。範囲はさほど広くないが、狭い範囲で色々聴いている。その中にはもちろんラブソングも含まれる。
自分の知る数あるラブソングの中で一番好きなものが、水戸華之介の「私の好きな人」だ。
これは愛する人と一緒になることを願う歌では無い。好きな人が、幸せになれますように、優しい人達に出会えますように、悪い人達に流されませんように、そして微笑んでいられますようにとただひたすら願う歌である。
これを聴くと思うのだ。あぁ、この人の幸せを願う人は、どこかに存在してくれているのだろうか、と。
このたび、「私の好きな人」を含む十曲のライブ音源が公式より発売開始された。今後も曲数は増えていくということで、一曲二百十六円。バラ売りでの購入も可能だ。無論自分は十曲まとめて喜び勇んで購入した。しかしついつい「私の好きな人」ばかりを繰り返し聴いてしまってばかりでなかなか他に手を出せない。あぁ、好きだなぁ。
ちなみにそのライブ音源はこちらで購入が可能だ。
あと、オリジナル音源はこちらから。アルバム「星暮らし歌暮らし」に収録されているので、是非。どちらもアコースティックで、夏の夜に窓を開けながら聴くと良い感じに浸れるよ。
2014年7月15日(火) 緑茶カウント:4杯
この携帯電話もそろそろ使い始めてから二、三年になるだろうか、と思っていたが、よくよく調べてみれば買い換えたのは四年前の二月のこと。もう四年半使用している。その前の携帯電話は五年使っていて、それが一代目。これが二代目。携帯電話を持ったのはおよそ十年前。高校卒業と同時であった。
所有を禁止されていたわけでは無い。必要性を感じず、所有の欲求も無かっただけだ。家にパソコンがあったので不自由はしなかった。ただ、高校を卒業するともなると友人達とも距離が遠くなる。しかも自分は浪人生。これっきりになるかもしれない。それが所有を始めたきっかけだった。
そして今も自分はガラケーを使っている。考えてみれば高校時代からして携帯電話への欲求が少なかったのであるからして、そもそもさほど興味が無いのである。あったら便利で、今も充分便利。したがってそれ以上を必要としない。思えば今まで、携帯電話のアプリを使ったことさえほとんど無い。ゲームもしたことが無い。使うのはメールとインターネットとカメラ機能と時計とカレンダー。以上である。
でも、何かの拍子にスマートフォンに切り替えたら「うっひゃー便利!」とそれはそれで喜ぶのだろうなぁと思いつつ、今の機能に満足しているのである。
以上。もう四年半経っていた、と気付いてちょっと嬉しくなって書いた日記である。どうぞよろしく。これからも。