「好き嫌い」と「良い悪い」

2017年6月5日(月) 緑茶カウント:0杯

筋肉少女帯が好きだ。水戸華之介が好きだ。平沢進が好きだ。
町田康が好きだ。江戸川乱歩が好きだ。太宰治が好きだ。
昆虫が好きだ。寄生虫が好きだ。微生物が好きだ。両生類が好きだ。爬虫類が好きだ。
ジョジョが好きだ。ネウロが好きだ。ミスフルが好きだ。

たくさんある好きなもの。これらについて「嫌い」と言う人がいたら、人はどう思うだろう。己はどう思うか? 聞きたいと思う。知りたいと思う。わくわくする。

しかし中には「悲しい」と思う人もいるだろう。それを知っている。だから、感想を語るのは難しい。

思い返せば高校生の頃。「Mr.FULLSWING」というギャグ野球漫画が好きだったあのときに確かに己は鍛えられた。当時の自分は感想を語り合える仲間を多く持っておらず、とにかく感想に飢えていて、ジャンプ感想サイトを五十個百個、いくつもいくつも巡っていた。しかしそれらのサイトでミスフルの評価は軒並み辛口、いや、言ってしまえばアンチ的意見を書くのが流行っている風潮もあっただろう。たった一言「作者死ね」と切って捨てるサイトも少なくなく、まともな感想を読める機会は少なかった。だからこそ、例え辛辣な意見でも、きちんとした感想を書いてくれるサイトを見つけたときは嬉しい思いがこみ上げた。

ミスフルのおかげで己は別の視点を持てたと思う。ミスフルに感謝したい。

「好き嫌い」は単なる好みの問題で、「好き嫌い」を語れるのはその対象を知った人間だけである。よって、「好き」の中にも「嫌い」の中にも一つの要素があって、ある人が「嫌い」と感ずる理由が己の「好き」な要素かもしれない。はたまた、全く納得できない内容かもしれない。だが、好きな理由も嫌いな理由も等しく興味深い感想だ。だから知りたいと思う、聞きたいと思う。好きな理由も嫌いな理由も。

しかし難しいのは、万人がそのように思っているとは限らないということである。「好き嫌い」は好みの問題だが、それを「良い悪い」と捉える人もいる。したがって、安易に好き嫌いを話すと人を傷つけてしまう場合もあり、注意が必要だと痛感している。特にその傾向は、万人に愛される作品のファンに対して顕著であり、気をつけたい。きっと、慣れていないこともあるのだろう。

そう。例え自分が「好きな作品の嫌いな理由」を知りたいと思っていても、他者もそうとは限らないのだ。だが、そのうえで伝えたい。あくまで好みの問題だ。他の誰かがその対象を作品を嫌いだと言っていたところで、自分自身が好きならば何の問題があるだろうか。所詮、あくまで好悪の問題であり、好みに由来するだけである。他者の嫌いな理由の中にこそ好きな要素があるかもしれない。そこに感じる魅力は、誰が何と言おうと関係ない。

好きなものは好きと自信を持って胸に刻み、語ろう。それこそが、対象の力になるかもしれないから。



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