日記録3杯, 日常

2014年9月20日(土) 緑茶カウント:3杯

仲の良い友人達と池袋に行き、猛毒展の特別展示を堪能した後、焼き鳥を食べてビールを呑んだ。毎回、会うたびに次の予定が一つ決まって繋がっていくのだが、今回は外呑み、宅呑み忘年会、年明けに一泊二日で箱根旅行と、新しい予定が三つも増えた。箱根は未体験の土地なので殊更楽しみである。レンタカーを借りて行く予定だが、自分は自動車免許を持っていないので何かしらでカバーする必要があるだろう。何で賄おうか、と今から考えつつ。楽しみだな。



日記録1杯, 日常,

2014年9月19日(金) 緑茶カウント:1杯

もしかして自分は酒に強くないのかもしれない、と思うときがあり、それは周囲の人々が焼酎や日本酒に移行してそれを楽しんで呑んでいるときである。自分は基本的にビールばかり呑む。日本酒を美味いと思うがあまり呑まない。焼酎はそもそもあまり美味いと思わない。よって、家でも外でも主にビールビールビールの、最初から最後までビールのエンドレスビール党。それだって延々と呑んでいれば結構な酒量のはずだが、同時に日本酒をカパカパ呑める人々に憧れるのである。

あぁ、がっつり呑めるようになりたいなぁ。と思いつつビールを三缶呑んで。もう充分じゃないかと思う自分もいるのである。



日記録3杯, 日常

2014年9月18日(木) 緑茶カウント:3杯

カサカサに乾いているから溶解することもない。かれこれ一ヶ月以上は経つだろうか。ずっとお隣さんの玄関ドアーの前に、つぶらな瞳のアブラゼミの死骸が転がっていて、出入りするたびに死骸の瞳と目が合う日々を過ごしている。

生前にも面識があった。とはいえ、ひどく弱っていたが。だが、まだ自ら動く力は残っているようで、じたばたともがきつつ匍匐前進の姿勢で移動しており、ただし飛ぶ元気は無いようで玄関前から移動することが出来ずにいた。彼が息を引き取ったのはそれから間もなくのことである。ピクリとも動かず、匍匐前進の姿勢のまま彼はお隣さんの玄関前にいた。暑い日だった。

その彼が死後一ヶ月以上経って、まだいるのである。お隣さんの玄関ドアーの前に。

何故片付けないのだろう。別れを惜しんでいるのだろうか。お隣さんも己と同じように、出入りのたびに死骸と挨拶をしていて、それを一日のリズムに組み込んでしまっているのだろうか。しかし。玄関ドアーの前である。出入りの頻繁な場所である。よく踏まないものである。片付けないが、踏まれもしない。一ヶ月以上彼が無事な姿でいることに己は驚きを禁じえない。

そして今日も、あぁまだ無事だ。元気に死んでらっしゃると、死骸の目と挨拶をして帰宅するのである。



日記録3杯, 日常

2014年9月17日(水) 緑茶カウント:3杯

引越しの予定は無いのに賃貸を検索しては、へー、ほー、と脳内で感想を漏らしつつウィンドウを閉じる。今の部屋は狭い。狭いが家賃のわりには広い。広いが狭いし物が多い。そもそも六畳間に本棚二つ、ブラウン管のテレビ、こたつ、机、椅子、ベッドを置くのが間違いだ。そのうえ床には本棚から溢れた本が積み重なって塔を作っている。間違いの積み重ねである。

いつか壁一面が本棚の部屋を持ちたいと思いつつ。取り急ぎ己は部屋よりも、このブラウン管のテレビをどうにかしなければならないはずで、来年デジアナ変換のサービスが終了し本格的にただのDVD再生機と成り果てるが、いっそこの空間を空けてしまうのも良いかもしれないと思い始めている。



日記録1杯, 日常

2014年9月16日(火) 緑茶カウント:1杯

昔々のお話です。あるとき筋肉少女帯のライブがございまして、その日もそれは素晴らしいライブでございました。Tシャツはべったりと体に貼りつき、髪はぐしゃぐしゃで咽喉はカラカラ。己は一人、興奮と余韻を噛み締めながらドリンクカウンターでハイネケンを渡してもらい、一口目を思い切り良く咽喉に流して一息ついたのでございます。

周囲も同じように余韻を味わっているようで、一人で携帯電話をいじっている人もいれば、集団で感想を語らいあっている方々もいらっしゃいます。自分は連れがおりませんので、ビールをちびちび呑みながら隅の方に突っ立っておりました。もう少しライブの余韻をこの場で味わっていたかったのでございます。

近くにはオフ会関連で知り合ったと思しき集団がございました。ハンドルネームらしきものを名乗りあって紹介し合っている様子です。見慣れた光景ですので何も思わず自分はただぼーっとしておりました。しかしどうしたことでしょう。そこに別の集団がやってきて、集団と集団が挨拶を始めたのです。両者ともネット上で懇意にしている間柄で、ハンドルネームは知っているものの実際に会うのは今日が初めて、という人々が多いようでございました。そして自分が、ただそこに突っ立っていただけの自分が巻き込まれたのでございます。

「この人が○○さんだよ」「初めまして、××です」というやりとりをする人々の近くに自分がいたものですから、仲間と思われたのでしょう。流れ作業のように「この人が○○さんだよ」と自分にも紹介されたのでございます。無論紹介した人と自分は顔見知りでも何でもなく、今が初対面でございます。当然○○さんのことも存じ上げず、○○さんも自分のことなど全く知らないのでございます。

しかし自分は驚きつつも、うっかり「は、初めましてどうも…」と挨拶してしまい、その後は続かなかったのですが、全然知らない人に全然知らない人を紹介され全然知らない自分が挨拶する、というよくわからない構図が出来上がったことが妙に面白く、その○○さん達の名前は既に忘却の彼方で欠片も覚えてございませんが、もしかしたら今、あのとき挨拶した全然知らない誰かとやりとりをしていることがあるのかもしれないと思うと、くすりと笑えるのでございます。