日記録2杯, 日常

2014年10月15日(水) 緑茶カウント:2杯

わりと髪が短いため散髪のサイクルも比例して短く、己の場合は月に一度、もしくは一ヶ月半に一度の頻度で出向いている。長髪であれば一センチ二センチ伸びたところでさして目立たないだろうが、短いと途端に鬱陶しくなるゆえ仕方が無い。まぁ、それは毛量が多く髪が太く固いせいでもある。放置すればすぐに草ぼうぼうの荒地のようになるのだから困ったものだ。

その荒地を制御するため、ではないのだが、自分は常にハードジェルで髪を固めて少し立てている。ちなみに散髪直後もジェルを使わないと髪がまとまらないので、切ろうがどうしようが結局ジェルは必需品である。

そんなわけで毎日使っているジェルだが、散髪の直後はその使用量を間違えることが多々ある。たかだか一センチ二センチの違いが意外と大きく、伸びるにつれ徐々に使用量が増えているのだが、毎朝のことなのでいちいち気付かず、切った翌日に出しすぎて「しまった!」と声が出るのだ。

そして面倒くさいからと言って出しすぎたジェルをそのまま全部つけると頭がべっとべとになり、なかなか乾かず、やっと乾いたと思えばガッチガチになるのだが、だいたい月に一度はそのような状態で外を歩いていて、我ながら改めろと思いつつそのまま生きている。



日記録0杯, 日常

2014年10月10日(金) 緑茶カウント:0杯

殺せない。

さて。夏の残り香がついに消えてきた今日この頃。秋の冷たい風に己の咽喉は不調をきたす。あぁ、全く難儀なものだが仕方無い! かかりつけの医院で処方された薬を服用し、少しでも悪化を防ぐことに努めよう。

そんなわけで朝晩一錠ずつ薬を飲んでいるのだが。この薬の困ったところは睡魔を呼び寄せる点で、昼間の活動に支障が出るのだ。つまりは、眠い。ものすごく。非常に。珈琲を飲んでもミントタブレットを齧ってもガムを噛んでも眠い。ひたすら眠い。

他に無いか、睡魔を殺す方法は、と模索するも眠い。恐らく薬に慣れれば軽減されるだろうが、しばらくは睡魔と闘い続けざるを得ないことが予測される。

あぁ、早く夏が来て欲しい!



日記録0杯, 日常

2014年10月9日(木) 緑茶カウント:0杯

菓子を二つ買った。ちょっとしたプレゼントに焼き菓子を二つ。配送はせず手渡しゆえ、別にむき出しのまま渡しても良い。しかし何か飾り気があった方が良い気もして、部屋の中を歩いて気の利いたものを探す。こう、リボンか、愛らしいテープのようなものがあればベストだ。

そうして見つかったのはあれだ。真っ白な、肌に優しい、指でちぎれる、湿布や包帯を止めるときに使うあれ。あの紙テープ。あれオンリー。

さぁ。これで綺麗にリボンを作って菓子に貼っつけるのと、プラスチックケースに入った焼き菓子を何の包装もせずむき出しのまま渡すの、果たしてどちらの方が良かろうか?

考えつつ、まだ答えは出ない。悩んでいる。



日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2014年10月8日(水) 緑茶カウント:2杯

筋肉少女帯の「THE SHOW MUST GO ON」を聴いている。まだ聴きこんでいないものの、繰り返し聴く中で一つ発見があった。

一周目に聴いてすんなりとツボにはまったのは「労働讃歌」「ゾロ目」「霊媒少女キャリー」「恋の蜜蜂飛行」。オーケンの歌い方で言うと、「労働讃歌」「ゾロ目」あたりの、耳慣れた歌声と叫ぶ調子がとても好きで、それでいて暑苦しいコーラスが入り、スピード感があり、ギターとピアノが激しい鍔迫り合いを演じる曲が好きなのだ。

しかし、二周目で己の心を掴んだのは「月に一度の天使(前編)(後編)」で、三周目に心が落ち着かなくなったのは「気もそぞろ」なのである。

「月に一度の天使(前編)」は、最初「香菜みたいだな」という感想を抱き、サラッと聴いただけだった。オーケンの妄想愛娘ブーム結構長いなー、程度にしか感じなかった。ところが「愛の讃歌」を経て「後編」を聴き、またぐるりと周って「前編」に戻ったとき、何とも言えない切なさに見舞われたのである。

成長した愛娘が身勝手な父親に愛想を尽かし、もう会わないと伝える。そこで「おこづかいあげるから」と引きとめようとするも叶わない。あぁ、引き止める台詞、そんなものしかないのかよ! という寂しさが! またきつい。それでいてリアルに感じるのだ。

前編の最後、「陽がくれたら」の後にあるのは「ラララ」で、もう「また来月」は無い。ガラケーを見つめる後姿が目に浮かぶ。そしてしょんぼりと曲は終わってしまうのだ。

ここから愛の讃歌を経るのが良い。時が経ち、後編に移行し、娘に会えなくなった父親は変わらず小さなライブハウスで歌う日々を続けているが、そこに奇跡のような変化が訪れるのだ。言ってしまえば都合が良い。かつて一方的に別れを告げた愛娘が父親の前に現れる。それも父親が教えた音楽や本を吸収して「また教えて」とやってくるのだ。頭の片隅で思う。こんなものは親父の妄想だと。ドリームだと。ファンタジーだと。しかし、この都合の良い展開が生じてくれて良かったと心から思うのだ! 奇跡をありがとう神様と、神に感謝を捧げたくなるのだ。

後編で特徴的なのはアコースティックギターの美しい調べだろう。シャンシャンと鈴のような音が降ってくるようで、暗いライブハウスで生きる父親の頭上に温かな光が降り注ぐのを表現しているようだ。

歌詞カードを見ていて先を知っているのに、愛娘がゆっくりと一言一言告白するごとに喜びが溢れ、泣きそうになる。前編だけでも物語として成立するが、後編に救いがあるからこそ前編が輝き、前編があるからこそ後編が響くのだ。現実ではこんなことはなかなか無いかもしれない。前編だけで物語が終わることなどいくらでもあるだろう。それを感じられるからこそ、後編の再会が嬉しいのだ。

そして「1234」からの親父の浮かれっぷりが微笑ましい。前編と後編で「ラララ」の意味が全く違う。前編は別れを、後半は溢れる喜び。この対比がたまらない。

「月に一度の天使」は前編後編が一曲にまとまっていたらまた印象が違っただろう。前後編に分かれた結果時間の経過と余韻が生じていて、前編の切なさも際立つのだ。

さて、もう一つ気になる「気もそぞろ」。こちらはまだきちんと聴きこめていないが、どうやらこちらもセンチメンタルな気分に陥ってしまうようで。明日またよくよく聴いてみよう。

ちなみに歌詞カードをじっくり見ても全然意味がわからんのは「吉原炎上」である。まず裏の意味があるのかただの言葉遊びなのかもよくわからないので、吉原について勉強しないといけないかもしれないと感じている。



日記録3杯, 日常

2014年10月7日(火) 緑茶カウント:3杯

筋少の新譜「THE SHOW MUST GO ON」を一足早く手に入れまして。聴いておりまして。聴いておりまして。聴いておりまして。既に就寝時間を過ぎておりまして。

今日はとりあえずただ一言。嬉しいなぁ!!!!