日記録0杯, 日常

2016年5月7日(土) 緑茶カウント:0杯

ここ数日の天気と言ったらまるで夏のようである。まだこたつは仕舞えていないが電源はずっと切ったままでコンセントはとうに外してしまった。日中は半袖で過ごすのが常で春よりもむしろ夏の装いに近い。すると飲み物も必然冷たいものを欲するわけで、じゃあそろそろ冷たい緑茶でも淹れようかなと棚の奥からガラス瓶を取り出し、茶葉まで用意は出来たが良いが、茶葉を包む紙パックが無いことに気付きがっかりした、そんな夜。

じゃあ緑茶の代わりに何か、ティーバッグのお茶はなかったかなと探してみるといつぞやお土産にいただいたフレーバーティーが一つ。まだ開封されていないそれの配合物を確認してみると、ジャスミンやら何やら華やかな植物がたっぷりで、我が家の台所においては異質な存在だ。じゃ、これを水出しにするかなとティーバッグをガラス瓶にポンと入れて水を注ぎ、ある程度エキスが抽出されるまでしばらく台所に置いて己は隣の部屋に移った。

そうして三十分後に台所に入ったら、台所全体がにおいで満たされていた。
華やかさとは程遠い、痒み止めの塗り薬・キンカンのにおいで。

……さっき己は台所でキンカンをブチ撒けただろか。いや、ブチ撒けていない。何だこれ? いやにおいの発生源と言えば目の前のガラス瓶しか心当たりがないが、何故? ジャスミンやら何やらの華やかな植物やドライフルーツが詰まったティーバッグからどうしてこんなにおいが発せられているのか皆目見当がつかない。疑問符を浮かべつつガラス瓶の蓋を開き鼻を近づける。もしかしたら原因は他にあるかもしれないと思って。

原因はここにしかなく、においはやはりキンカンだった。キンカンの原液だった。とりあえず冷蔵庫に入れた。問題を先送りした。

台所にはまだキンカンのにおいが満ちていた。

明日の朝、キンキンに冷えたキンカンの原液を己は飲むのだろうか。すごく目が覚めそうである。
明日は紙パックを必ず買おう。何だあれ。



日記録0杯, 日常

2016年5月5日(木) 緑茶カウント:0杯

最近酔いやすくなったなぁ、数年前よりも呑めなくなった気がするぞ、と思っていたのだが、連日五百ミリのビールを五、六本呑んでも二日酔いにならないという事実が判明したので、意外とまだまだ呑めるのかもしれない。問題はペースなんだろうなぁ。ゆったり呑めば大丈夫なのである。

相変わらず「おそ松さん」にはまっている。先日、小学校の友人の家に伺い、お茶を飲みながら話す機会があった。もともとは昼食を食べに出かけようと話をしていたのだが、友人が出かけられなくなったため友人の家でお茶会をすることになったのだ。茶菓子を持って友人を訪ねると「ごめんね、急なお葬式があって家族が出払っちゃって」とのこと。友人の家はお寺であり、友人はお坊さんなのである。「夏休みはお盆、シルバーウィークはお彼岸があるから、忙しくない連休って行事のないゴールデンウィークくらいなんだけどごめんねー」と言いながらアールグレイを淹れてくれた。

友人は仏教で、自分は神道。互いの宗教観について話をする機会はなかなかないので、友人との会話はちょっとだけ特別だ。お坊さんの年間行事の話や檀家さんとのお付き合いについて聴くのは楽しい。

友人に「おそ松さんに滅茶苦茶はまっている」と言うと、「ウヲもなんだ! すごく流行ってるよね、周りにもはまってる人いっぱいいるよ」と話してくれた。そしていつだったか偶然テレビで「おそ松さん」を観たとき驚いたという話も。友人曰く、すごく早口に聴こえたそうだ。登場人物がすごく早口で喋り、言葉に言葉を被せていくスピード感に面食らったという。なるほど確かに。言われてみれば早口だ。

ちょうど前日十年ぶりくらいに家で「サザエさん」を観たが、彼らの言葉は非常にゆっくりだ。誰かが喋った後に、間を置いてから他の誰かが喋りだし、老若男女が聴き取りやすいように作られている。家族皆で観ることが前提に作られた「サザエさん」と、アニメに慣れた大人が観ることを前提に作られた「おそ松さん」。その違いが言葉のスピード感にも表れているのかもしれない。

酒が入らなくても話は弾むもので、四時間喋り通しだった。素面でもこんなに喋れるもんなんだねと笑いあいつつお寺を出て家に帰り、その日もビールを五本呑んだ。そんな連休を楽しんだのである。



日記録0杯, 日常

2016年4月29日(金) 緑茶カウント:0杯

おはよう!! と、勢いよく挨拶する現在の時刻は三時半である。早朝というよりも深夜の。では、何故このような時間に「おはよう!」と言っているのかと言うと、起きてしまったからである。では何故こんな時間に起きてしまったのかと言うと、変な時間に寝てしまったからである。

まず昨日の朝六時に寝た。
そして十四時半に起きた。
その後十九時半に眠くなったので眠り、日付が変わって二時半に起きた。

八時間半睡眠をとった後、五時間後に寝て、五時間経って起きたということである。何だこの睡眠。何だこの生活。金曜日に起きていた時間が五時間しかないというのもすごい。すごいと言うかひどい。己は何のために生きているのだろう。

そして今はすっかり眼が冴えてしまったのでこうして日記を書いている。明日は朝から活動したいのだがいったいどうしたものだろうか。とりあえず寝てみようと考えている。



日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2016年4月24日(日) 緑茶カウント:2杯

筋肉少女帯の新曲「週替わりの奇跡の神話」。発売されてからここ数日、何度も何度も延々と繰り返し聴いている。アニメ「うしおととら」のために作られた主題歌であるこの曲は、潮ととらの二人の関係性を歌うと同時に、「だけど変わらないあいつらいると言う ああ 時を超え生きてるからさ」と、物語が完結した二十年後にアニメとなって現代に蘇った「うしおととら」という作品そのものについても歌っているのが実ににくい。

そして特筆すべき点は、筋少にしては珍しく「永遠がある」と歌っていること。これは今までの筋少の歌詞にはなかったことだと思う。

「愛など存在はしない、この恋もどうせ終わるさ だが二人の出会えたきらめき」と歌う「きらめき」。

「いつか恋も終わりがくるのだから、一人ででも生きてけるように君の頭をよくしてあげよう」と歌う「香菜、頭をよくしてあげよう」。

「たった一つの輝きを失くしたとしても大丈夫、形が変わっていくだけさ」と歌う「ワインライダー・フォーエバー」。

永遠と思っていたものも、愛も恋もいつかは終わる。でも大丈夫だよ、と終わりがあることを受け入れさせ、声をかけてきたのが今までの筋少である。そんな中で、「永遠なんだと信じていたものもいつかは終わる、だけど変わらない絆がある」と歌う「週替わりの奇跡の神話」は異端な歌詞だ。永遠がないという前提を覆し、「ある」に転じる歌詞。「うしおととら」のための曲だからこそなのか、それともオーケンの考え方が変わったのか。

しかし。「永遠がある」と希望的なことを歌っているように聴こえるが、結局「奇跡の神話」の中にしか「変わらないもの」はないのであった。もっと言えば、物語の中にしか「永遠」はない。つまり、神話の外の世界である我々の世界は移ろい行くのが常であり、永遠など存在しない。ないはずの永遠があるからこそそれは「奇跡の神話」なのである。ギリギリを生きて、命を賭けてつるむほどのことをしなければ永遠なんぞ手に入らないのである。

オーケンは何も変わっていなかった。表現方法を変えただけで、今までと同じように「永遠なんて滅多にない」と歌っていた。ただ、表現方法が変わっただけで、「あるかもしれない」と錯覚しそうになるのである。その点で「週替わりの奇跡の神話」は、「ない」と言い切る他の歌詞よりも残酷であり、そして切ない。

だが、だからこそ物語の中の永遠が輝きを放つのだ。そうしてそれが、移ろい行く現実を生きるうえでの糧となる……が、輝きに目が疲れることもある。そんなときに己は「ワインライダー・フォーエバー」を聴いて足元を確かめ、コトコトコトコト歩き出すのである。

永遠は、神話の中にしかないのだ。



日記録3杯, 筋肉少女帯, 非日常

2016年4月23日(土) 緑茶カウント:3杯

実に濃い一日であった。

今日は幼馴染の結婚式と、筋肉少女帯のライブがあり、その後大学の友人が急遽開催を決定した呑み会に参加した。恵比寿から大宮に移動して結婚式に参列し、恵比寿に戻ってライブを観て、上野に行って呑み会に参加するという大移動もさることながら、そのそれぞれの内容の濃さったら。三日分くらい生きた気分である。

結婚式の開場はレストラン。親族での式は済ませており、今回は友人のみを呼んでの式である。平服で、とのことだったので、スーツを選びつつ、若干ラフな装いで会場に向かった。

新郎の幼馴染と自分は小学校からの間柄である。友人が結婚するまでは頻繁に遊びに出かけていたが、ここしばらくは全く会っていない。顔を合わすのはおよそ二年ぶりである。久しぶりだなぁ。そういや共通の友人がいないから会場で話す相手いないなぁ。おおーう緊張してきたぞどうやって間を持たせれば良いのだろう。と、ドキドキしたが、何とかなった。

前述の通り共通の知り合いは一人もいなかったのだが、その場で出会った新郎の友人と話をしてみると、知らないながらも互いに友人経由で聞いていた情報があり「もしやあの……」「ああ!」といったやりとりが発生したのである。己がいないところでも友人は己のことを話していたのだなぁと知るのは新鮮で、何だかちょっと嬉しかった。

結婚式が終わり二次会に参加した後大宮から恵比寿リキッドルームへ。三十分ほど遅刻したが、二曲目が終わった後のMCの場面で参加することが出来た。流石MCの長さに定評のある筋少である。助かった。

この日は行くかどうか迷ったライブだった。チケットを購入した後に結婚式の招待状をもらったのだ。招待状を受け取った時点ではライブはキャンセルしようと考えていた。だが、運の良いことに結婚式とライブの時間を照らし合わせてみると両方行けることが判明したのである。さらに。オーケンが咽喉のポリープの除去手術をするため、しばらく筋少のライブはもちろん、オーケンの声を聴く場面に出会えないことがわかったのだ。

優先するのは幼馴染の結婚式だ。だが、出来る限り両方行こう、と心に決めて駆け下りた恵比寿リキッドルームの地下は、いつもとほんのちょっと違う空間だった。

咽喉がつらそうなオーケンを配慮してフォローをするメンバーの温かさと、しんどい中でもファンを楽しませようとするオーケンのサービス精神。そして全力で盛り上げに来てくれた三人のゲストの存在。このゲストも意外性があって驚いたなー。まさか人間椅子のナカジマノブさん、声優の野水いおりさん、ラウドネスの二井原さんが来るなんて誰が予想出来るだろうか。そしてそのゲスト達が流しそうめんの如くサラーッと流れていくのがまたすごい。えーーーー!? もったいないなーーーーーー!? びっくりした。

今回、開演後に入ったことと、スーツ姿という理由もあって前方には行かず上手側の袖で大人しく観ていた。後ろから見下ろすとステージ前でうごめく人の群れが渾然一体となって拳を上げる様がよく見えて、それは普段ライブDVDなどで見慣れた光景であるはずなのに、一つの熱の塊がそこにあるかのようなパワーを感じ、圧倒された。いつもは自分もあの中の一つになっているのだなぁ。

新曲「週替わりの奇跡の神話」で、大好きなフレーズをオーケンが間違えずに歌ってくれたことがとても嬉しく、さらにアンコールのクライマックスでは、全く予想もしていなかった大好きな一曲「枕投げ営業」が聴けて、あまりに嬉しくて悲鳴を上げそうになってしまった。

「なんだかありがと! 頑張るねあたし!!」は今のオーケンの気持ちそのものなのではないか、と思ったり。

最後、ゲストを交えての「釈迦」を堪能して上野へ移動。そこには一年ぶりに会う友人もいて、再会を喜びつつ大いにふざけあった。友人はすぐに己の髪型をぐしゃぐしゃにしてくるので困る。ただ、困るけど嫌ってわけじゃあないんだな。

一年に一度と言わず、もうちょっと頻繁に会おうぜと声をかけ、日付が変わる直前に解散した。そうして大荷物を玄関に下ろし、窮屈なスーツを脱ぎ捨てて部屋に寝転びパソコンの電源を入れる。パソコンが立ち上がるのを待ちながら大荷物を部屋に運び入れ、フライヤーの束や物販の中に埋もれていた一つを取り出す。紺色の包みに赤いリボンのそれは、結婚式の最後に新郎から手渡されたものである。開けてみると中身は台所用品で、便利そうな代物だった。

我が家の食器と台所用品の半分は結婚式の引き出物で構成されている。自分の好みで買ったシンプルな皿の中で存在を主張する、カラフルな食器やキュートなコップ達。どれも絶対に自分では買わないものだ。絶対自分で買わないものが生活の中にあり、活用されている。他者の侵入を許しているなぁと思う。それは何だか、ちょっと愉快である。

あぁ、濃い一日であった。