日記録2杯, おそ松さん, 日常

2016年7月31日(日) 緑茶カウント:2杯

おそ松さんにはまっている、と言うと驚かれることが多いのは、人が想像するおそ松さんのターゲット層と己がずれているからだろうか。そうして驚いた人は「ものすごい人気だよね」「全員ニートって本当?」「人気の男性声優がたくさんキャスティングされているそうだね」「女性人気が高いんでしょう?」「pixivの投稿数がすごいらしいね」「グッズがすごく売れているらしいね」とその人が知っているおそ松さんの情報を己に与えてくれる。なるほど、そのように知られているのか、とわかるのは楽しい。

今日は「おそ松さんって腐人気が高いんでしょう?」と聞かれた。腐人気。やおい的な楽しみ方でも人気を博している、という意味である。それに己は頷いた。深く探ってはいないが人気があるのは知っているからだ。しかし知ってはいるが、何故やおい好きな方々からの人気が高いのか、まで聞かれるとわからない。わからないが質問を受けてしまった。受けたからには何かしら答えなければならない。顎に手を添え、思案してから口を開いた。

「男性が六人も出てきて、それぞれの関係性を読み解き想像しやすい……から、とか?」

答えつつ頭の端でもう一人の自分が自分自身に突っ込みを入れる。何故お前、真剣にそんなことを分析しようとしているんだよ、と。そして突っ込みを入れられている自分自身も気付く。いやちょっと待て、関係性も何もこいつら六つ子じゃん。兄弟じゃん。よく考えたらすげーな。と。

質問者は己の答えに納得してくれたらしく、今度は新たな質問を投げかけてきた。「おそ松さんの声優の人、すごく人気で、結婚していたことがバレてこの間大騒動になったんでしょう?」なるほど確かに最近そういった出来事があった。あれはチョロ松役の人だった。ありましたありました、と己は頷くと、さらに質問が投げかけられた。

「その大人気の人って、やっぱりすごいイケボなの?」

イケボ。イケメンボイス。イケメンが発するが如き格好良い声、という意味である。多分。ちゃんと調べてないけど多分。イケボか否か。己は脳内でチョロ松の声を再生した。脳内でチョロ松は大量の文字数を早口でまくし立てて突っ込みを入れまくり絶叫していた。イケボ……イケボ……イケボ……?

「イケボなのかもしれませんが、突っ込みと絶叫が多いキャラクターなのでようわからんかったです」
「へー」

その後話は「聖☆おにいさん」の話題に移り、作者の経歴という情報を己は新たに得て、なるほどなーと思いながら道をほてほて歩いたのであった。



日記録6杯, 日常

2016年7月24日(日) 緑茶カウント:6杯

たかだか一時間と少し歩いた程度で筋肉痛に見舞われるあたり、運動不足がたたっているなぁと思う。

と、言うと巷で流行りのポケモンGOを始めたのかと思う人もいるかもしれないが、ポケモンGOに関係なくただなんとなく散歩を始めた結果、見事に道に迷い彷徨うはめになったのが実際だ。己は天王洲アイル駅で潮の香りを嗅いでいた。何でこんなところに着いてしまったのだろうと思いながら。

散歩の最中、いくつかの川を渡ったが、あるときから川が川ではなくなり、海水のにおいを感じるに至って己が見当違いの方角を歩いていることに気付いたのである。己が住まう場所に海はない。ついでに言うと川もない。いったいここはどこなんだ、と若干不安を抱きつつあったが焦ってはいなかった。大丈夫。ここは東京である。どこに行ったって必ずどこかの駅に辿り着くのだ。安心して彷徨うことができる土地なのである。

そうして己はモノレールに乗って浜松町へと向かった。モノレールは好きだ。普段は用事があってモノレールに乗るが、今回は純粋にモノレールを楽しみながら乗ることが出来て少し嬉しかった。何と言ってもこの先に何の用事も目的もない。気楽だなぁ、と思う。

疲労した体を座席に埋め、車窓を眺めながらひそかに笑う。こんなに歩いて移動したのにポケモン一匹捕まえられないなんて、なんて愉快なんだろう。今まで散歩をしながらそこに損を感じたことなどなかったのに、ポケモンGOが配信されたとたん、ポケモンGOをプレイしていない自分まで、散歩の目的に「ポケモン」の存在を意識してしまうのだ。この意識の変化が楽しい。

ガラケーユーザーの自分には見えないが、きっと己が歩いた道々にもたくさんのポケモンが潜んでいたのだろう。小学生の頃夢中になり、必死に捕まえ育てたモンスターが潜んでいるかもしれない世界を三十手前の自分は歩いている。彼らの気配を感じながら歩いている。

見えないのに、いる。二十年の月日を経て、彼らは電子の世界を抜け出し、妖怪に近付いたのかもしれない。



日記録4杯, 日常

2016年7月20日(水) 緑茶カウント:4杯

遠目に見える人影は微動だにせず、パラパラと横一列に並んでいる。四人の人影は動かない。歩を進めるにつれ人影はだんだん大きくなり、一人二人と数を増やすが動かない。誰一人として動かない。

この光景を眺めるたびに己はいつも不思議に思う。何故だ。初めてこの道を通る人ならいざ知らず、何故毎日通っているであろう人々がいつもここで待ち続けるのか。立ち止まる人影はスマートフォンを見つめていたり、傍らの人とお喋りしていたり、ぼーっと中空を眺めていたりと思い思いの姿でそこにいるが、彼らの横まで来た己が、すぐそばにある押しボタンに指をつくや否や、弾かれたようにわらわらと動き出す。何故だ。

何故この人達は毎日この道を利用しているだろうに、押しボタン式の信号機の前で延々と信号を待ち続けるのか。ちなみにこの信号機は押しボタンさえ押せば三秒後には信号が青に変わるが、押しボタンを押さない限り永遠に赤のままである。待てども待てども信号が青になる日など来やしないのに、押しボタンは目につく場所に設置されているというのに、誰も押しボタンを押さずただひたすらその場に佇んでいるのである。夜中の十時や十一時に。延々と。

もしや己が知らないだけでこの押しボタンには何かしらのいわくでもついているのだろうか。そんなことがあるはずもなく。今日も己は道の先に滞留する人影を眺めるのである。



日記録2杯, 日常

2016年7月15日(金) 緑茶カウント:2杯

このところ毎週毎週、金曜日を迎えるたびに「今日はジョジョ四部のアニメが観られる」と喜び、アニメを観ては「毎週ジョジョ四部のアニメを観られるなんて、なんて幸せなことだろう」と幸福を噛み締めている。そうして今日も噛み締めた。幸福を。

ジョジョにはまったのはおよそ十年前。サークルの友人に生粋のジョジョファンがいて、彼がサークル中に布教し、見事サークル内で大流行したのである。すごかった。漫画といえば小学校の頃にりぼんを少々嗜んだ程度、というオタクでも何でもない快活な女子がブチャラティの格好良さを褒め称え惚れ抜いていた。我々は何かにつけてはサイゼリアに行き、トマトとモッツァレラチーズのサラダと生ハムを食べ、トニオさんとプロシュート兄貴について語った。そんな楽しい青春時代からおよそ十年。まさか今、己が一番大好きな、四部のアニメを観られるなんて。

まだまだしばらく幸福を噛み締められそうで、嬉しい。もしやこれが己の絶頂期ではなかろうか。それほどまでに幸せである。あぁ、嬉しい。



日記録2杯, 日常,

2016年7月10日(日) 緑茶カウント:2杯

友人の家で開催された梅雨の粉もん祭り。友人が作ったサブレ、スコーン、クレープをひたすら貪り食いながら豆から挽いた珈琲をいただくという素敵イベントである。そしてこのイベントの締めが「たこ焼きパーティー」、通称たこパであり、このたこパによって我々はたこ焼きのたこ焼きたる由縁を知ったのであった。

我々が食べたのは確かにたこ焼きだ。しかし明らかにたこ焼きではなかった。
このことを知っていただくために、まずは出来上がりから調理の過程を逆順でご覧頂きたい。


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オーケー? 状況は理解できたかな? そう、我々はたこ焼き作りに失敗したのである。明らかに。激烈に。すごいぜ。まずこのたこ焼き、たこはまるで入っていない。たこ要素は一切ない。何一つない。

いや、そもそもは入れる予定だったのである。しかしだ。とりあえず話を聞いていただこう。己と友人は駅で落ち合い、スーパーで必要な物品を買ってから友人の家に向かった。そこで買ったのはクレープに包むためのベーコン、きゅうり、バナナ、チョコ、切断済みの葉物野菜、たこ焼きの粉、たこ焼きソース、爽健美茶、ギンビスたべっこサラダである。そして友人宅に着いて気付いたのだ。肝腎のたこを買い忘れていたことに。

友人「我々はタコ以下の知能だ」
ウヲ「タコって五歳児くらいの知能はあるらしいぜ」
友人「瓶開けられるしね」

だが。リベンジのチャンスはあった。この後、我々はすっからかんの腹にサブレ、スコーン、クレープをしこたま詰め込んだ。友人の作った菓子はとても美味で、手巻き寿司のように食せるクレープも大変おもしろ美味しかった。食べながらジョジョと松とアニメと漫画ともう一人来る予定で来られなくなってしまった友人の話をする。喋った。めっちゃ楽しかった。高校からの付き合いの友人と話すのはとても楽しい。楽しいが、話すだけじゃあ腹はこなれないのである。

そうして我々は散歩に出かけ、ホームセンターでペット用品やらペンキやら収納ボックスやら工具を見て楽しみ、帰りに先ほどとは別のスーパーに立ち寄った。ここでたこを買えばたこ焼きを作れるのである。良かった! 我々はきちんとたこパが出来るのだ!!

ところがだ。たこが売り切れていたのだ。
売り切れていちゃあ買えないのだ。
まぁしかし。己はたこに執着はない。むしろチーズやトマトを入れたたこ焼きを食べたいと思っていた。だからまぁ良いよね、オーケーオーケーと友人と話しつつ、クレープ用に焼いて余ってしまったベーコンと、チーズ、トマトを流し込んだたこ焼き生地の中に放り込んだ。そうして、わざわざこのために買ったたこ焼き用の串で、くるんっとひっくり返そうとしたのである。

あとはまぁ。ご覧の通りである。
そうして努力の結果たこ焼きはただのお好み焼きになった。
「まぁ再生できて良かったね」と友人と語らいながら乾杯をした。

さて。一枚目の画像のとおり、我々が食べたのはお好み焼きだ。たこ焼き用の鉄板からほじくりだしたたこ焼き生地を整形し、たこ焼きソースを塗って、青海苔と鰹節とマヨネーズでデコレーションしたものだ。どう見てもお好み焼きである。そう思いながら我々は箸を口に運んだのに、たこも入っていないのに、具材はベーコンとトマトとチーズなのに、味は完全にたこ焼きだった。

ウヲ「たこ焼きだ」
友人「たこ焼きだ」

そう。たこ焼きの由縁はたこでもなければ形でもない。生地である。生地の味でたこ焼きか否かが決まるのである。こんなに、どう見てもお好み焼きにしか見えないものを食べたって、味はたこ焼き以外の何物でもないのだ。たこが入っていないのに!!

衝撃の事実にたじろぎつつ我々はリベンジを心に誓った。次こそは、たこが入っていてたこ焼きの形をしているたこ焼きを作ろうと。必ずや、と!