2016年9月13日(火) 緑茶カウント:2杯
串カツって良いなぁ、としみじみ思ったのは串カツを食べているその時ではなく、一人居酒屋のカウンターで串物を食べているときであった。
串カツの魅力。それは多人数で食べてもバラさなくて良いところにある、と己は考える。
串に刺さったハラミを歯で挟み、口の中に運び込んで咀嚼し、ビールを呑む。美味い。一つの塊に閉じ込められた肉汁が余すことなく口中に迸る。その全てを味わいながら、先日人と食べた串カツを思い出し、あのときにも無意識のうちに味わった、串から外さずに齧り付ける幸福を噛み締めたのであった。
わかる。それは親切だ。皆が色々な種類の肉をちょっとずつ食べられるようという配慮である。故に人々は焼き鳥の盛り合わせが出ると我先にと串を持ち、箸で押して皿の上にバラバラに崩すのである。そうして己は無残なそれを眺めつつ、残念な思いを口の中に押し込めながら、小さな肉の塊をちょいちょいと箸で摘んで黙って噛む。醍醐味の失われた焼き鳥を。あぁ、焼き鳥とは何だったのだろうと思いながら。
ところがどっこい。対して串カツはバラされない。必ず一人一串があてがわれ、各々好きなだけソースに漬けてそれを貪る。焼き鳥と串焼き。その違いはいったいどこにあるのか。ソースに浸すか浸さないか、故に運命が決まるのか。詳細は不明である。不明ながらも嬉しさを噛み締める。あぁ、良いなぁ。やはり串物の醍醐味はこれだよ、と味わいながら。噛み締めながら。