日記録2杯, 日常,

2016年9月13日(火) 緑茶カウント:2杯

串カツって良いなぁ、としみじみ思ったのは串カツを食べているその時ではなく、一人居酒屋のカウンターで串物を食べているときであった。

串カツの魅力。それは多人数で食べてもバラさなくて良いところにある、と己は考える。

串に刺さったハラミを歯で挟み、口の中に運び込んで咀嚼し、ビールを呑む。美味い。一つの塊に閉じ込められた肉汁が余すことなく口中に迸る。その全てを味わいながら、先日人と食べた串カツを思い出し、あのときにも無意識のうちに味わった、串から外さずに齧り付ける幸福を噛み締めたのであった。

わかる。それは親切だ。皆が色々な種類の肉をちょっとずつ食べられるようという配慮である。故に人々は焼き鳥の盛り合わせが出ると我先にと串を持ち、箸で押して皿の上にバラバラに崩すのである。そうして己は無残なそれを眺めつつ、残念な思いを口の中に押し込めながら、小さな肉の塊をちょいちょいと箸で摘んで黙って噛む。醍醐味の失われた焼き鳥を。あぁ、焼き鳥とは何だったのだろうと思いながら。

ところがどっこい。対して串カツはバラされない。必ず一人一串があてがわれ、各々好きなだけソースに漬けてそれを貪る。焼き鳥と串焼き。その違いはいったいどこにあるのか。ソースに浸すか浸さないか、故に運命が決まるのか。詳細は不明である。不明ながらも嬉しさを噛み締める。あぁ、良いなぁ。やはり串物の醍醐味はこれだよ、と味わいながら。噛み締めながら。



日記録0杯, 日常

2016年9月11日(日) 緑茶カウント:0杯

クレジットカードを持ち始めたのはおよそ十年前だろうか。そして今日に至るまで、己はずっと自身の暗証番号を把握せずに過ごしていた。それは己の生活に大きな影響はもたらさなかったものの、時に不便であり、時に不自由であった。

問題はクレジットカードを自由に扱えないことではない。自身が所有しているクレジットカードの暗証番号すら知らないことへの何とも言えない心もとなさがどうにも引っかかるのである。その引っかかりは日常でこそ顔を出さないものの、ふとしたときにじくじくと苛まれた。良い大人が、自分の所有している自分名義のカードの暗証番号すらわからないなんて! と。

今でもあのときのことを覚えている。銀行で生まれて初めて口座開設の手続きをする最中、キャッシュカードをクレジットカード機能もあるものにするか銀行員に尋ねられ、返答をし、暗証番号を決めてくれと言われたあの日。何でも良いのでわかりにくい番号にするべきこと、誕生日などは避けることを伝えられ、適当な数字の羅列を己は銀行員に伝えた。己はそれを控えなかった。何らかの形で通達されるものと思っていたからである。しかししばらくして、その考えは甘かったことを思い知るはめになるのであった。

以来。縁もゆかりも無い四桁の数字は本当に縁もゆかりも持ち得ない数字になってしまった。そして先日。ついに思い立って暗証番号再発行の手続きを行い、暗証番号と十年ぶりの再会をした。あぁ、やっぱり。その数字は何一つ、自分にとって関係の無い、セキュリティ対策バッチリのものだった。それはもう、本人ですら十年間その暗証番号を突破出来なかったほどに。当時の自分は本当に出鱈目に、適当な四桁を伝えていたことをまざまざと思い知らされた。

ごきげんよう、お帰りなさい暗証番号。十年ぶりだね暗証番号。こうして暗証番号を手にしてみると、ずっと抱えていた引っ掛かりが解けて消え、晴れやかな気持ちになって実に清清しい。意外と自分はこのことを気にしていたんだなぁ。気にしてはいたものの、どうにか対策の取れる程度の不便だったのでここまで再会が遅くなってしまったんだなぁ。ははははは。これからはもう、気をつけよう。



日記録2杯, 日常, 重陽の節句

2016年9月9日(金) 緑茶カウント:2杯

どうしたら重陽の節句を祝日に出来るだろう、と日がな一日考えていた。

今日は一年に一度の重陽の節句だ。五節句のうちの一つ菊の花の節句である。七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、子供の日として祝われる五月五日端午の節句、そして短冊を揺らす七月七日、七夕の節句。それらに比べて一段と地味で、一段と知名度の低い重陽の節句。だから己は重陽の節句を贔屓する。何か可哀想だから。

そうして贔屓を続けて早八年の歳月が流れたが、特に重陽の節句が盛り上がった実感はなく、己の力不足を痛感する、と言いつつ実際そこまで気にしてはいない。だって毎年身近な人に重陽の節句重陽の節句と騒ぐだけだから。それ以外に何もせず、ただ騒いでいるだけだから。

とはいえ。来年も再来年も十年後も二十年後もひそかに叫び続けよう。今日は重陽の節句だよ。



日記録0杯, 日常

2016年9月6日(火) 緑茶カウント:0杯

あぁ! ついに彼は干からびてしまった!!

「彼」と称するのは正確ではない。何故なら彼は雌雄同体だからである。彼の姿を初めて確認したのは果たしていつだっただろうか。梅雨入り前か、その後か。とにかく二ヶ月近く前。小指の先ほどの薄茶色の巻貝が我が家の玄関ドアーにぴったりとくっついていた。そうしてそれから出入りのたびに己は彼の姿を目にしつつ、こんなところにいて耐えられるのだろうか、と気になっていた。

天井があるため、雨が降っても彼に水は届かない。しかし耐えるようにじっと彼はへばりついている。己は毎日ドアーを開け閉めするたび、「まだいる」「まだいる」「生きてる?」と気にしながらも一滴の水さえ彼に運ぶことはしなかった。特に深い意味は無い。彼の存在は確かに気にはなっていたが、それ以上にはなりえなかったのである。

ある夜帰宅するといつもの定位置に彼はおず、視点を下にずらせばカラリと床の上に転がっていた。

殻の中を覗き込む。カサカサだった。ついにここに来て己は水を与えた。彼の体は縮んだままで、触覚が伸びることもなかった。この水はもっと早くやるべきだったよなぁ、と思いつつじっとりと重い色に染まる殻を眺めた。

今もつい、彼のへばりついていた定位置を確認してしまう。しかしそのうちその習慣も失われることを己は知っている。今はまだ見ている。そこには何も無い。今はまだ、ちょっと寂しい。



日記録2杯, 日常

2016年9月1日(木) 緑茶カウント:2杯

ごきげんよう! いかがお過ごしでしょうか。己は激烈に忙しく、何かやばいです。もう疲れすぎて吐き気がするレベルです。体温も何かいつもより高いです。そして今日に至ってはもう寝ない方がマシなんじゃないかという時刻に起きなくてはならないのでわりとやばいです。そんなわけでさっさと寝るに限るのですが、栄養と萌えを摂取しないと心が爆発するので睡眠時間を削って取得している現在です。

二日くらい何もせず家でじっとしていたい。これが今の願望である。
あぁ!