日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2016年11月3日(木) 緑茶カウント:0杯

筋肉少女帯とカラオケDAMがコラボして生まれた楽曲「人から箱男」。ストレスを溜め込んだサラリーマンが一人でカラオケに行き絶唱する、漂う悲哀と勢いと得も言われぬ力強さが味わい深い曲である。

この曲のタイトルは様々な要素が組み合わさって出来ている。安部公房の「箱男」と、一人カラオケの略称「ヒトカラ」に、娯楽施設のカラオケボックス。現実世界で溜め込んだ不条理と愛情とストレスを抱えた人間が、カラオケボックスという一人きりの世界に逃避し、箱男となって思う存分叫び発散することを表している。

MVではカラオケボックスで絶唱するサラリーマンに扮したオーケンと、ステージで歌い演奏するメンバーの映像が交互に映し出される。印象的なのはステージの背景に映る積み上げられたマーシャルアンプ。そして「謎の箱積み上げられた聖地」という歌詞。「謎の箱」は即ちカラオケボックスの個室であるが、これをマーシャルアンプと解釈すると、湧き出る叫びを好きなだけ発散できる場所はライブハウスとも捉えられる。そこは言うまでもなく筋肉少女帯が戦う場であり、ファンにとっての聖地である。すると思い出されるのは、ライブハウスの別称も「箱」ということだ。無論この曲はカラオケを表現したものに他ならないが、カラオケ以上に筋肉少女帯によって日常を生きる力を与えられている者にとっては、ライブハウスという解釈も捨て難い。あのライブの空間で、歌い吠えることによって同化する快感と清清しさは他に無い。

日常の中で、思いのたけを好きなだけ叫び歌える機会は滅多にない。それが出来るのは現実と切り離された小さな非日常の空間で、その非日常の空間こそがカラオケボックスであり、ライブハウスでもある。その限られた時間と空間で好きなだけ発散し、軽やかな気分で日常に戻る力を得る。そうすることで、安部公房の描く「箱男」にならずに日々を生きていける、と考えると面白い。

そうして己は三時間、カラオケボックスで一人、絶唱し続けたのであった。我こそは人から箱男。枕投げ営業を三回歌った。ムツオさんを二回歌った。ビールを二杯呑んだ。楽しかった。



日記録0杯, 日常

2016年10月30日(日) 緑茶カウント:0杯

筋少の新譜をようやく入手した。シングル「人から箱男」と、ベストアルバム「再結成10周年パーフェクトベスト+2」。本当ならば発売日に買いに走りたかったが、忙しさゆえにままならず、日曜の夜、ようやく聴ける準備が整って、ほうと一息ついている。

あー幸せだ。再結成十周年。再結成をきっかけにライブに通い始めたということは、もう十年通っているということだ。ライブに行くことを俗に参戦と言うならば、己は十年戦い続けていると言えるだろう。ここが戦場であればもうすっかり歴戦の猛者である。

しかし実際に戦っているのはステージに立つ演者であり、己はそれを観ているだけだ。新曲「めでてえな?」で歌われる照れくさくも喜ばしい感情と、続けていこうという前向きな思い。「仲直りのテーマ」からここまで来たのだと思うと感慨深い。再結成当初は、活動は一時的なものかもしれない、続くかどうかはわからない、と言われていただけに。

「10年続いたものなんてあるかい?」と問いかける歌詞。思い返してみればいったい何があるだろう。自分の場合はこのサイト、そして日記。毎日は書いていないもののほそぼそと続いている。他に何かあるだろうか。

思いを馳せる楽しい夜。思い返す十年間。あぁ、めでてえな。ふふふ。



日記録2杯, 日常

2016年10月22日(土) 緑茶カウント:2杯

ドーナツのように手づかみで気軽に食べるつもりで注文したら、皿に乗って出されて、ナイフとフォークまで用意された。そうして、井の字がいくつも連なるデコボコした菓子を目にして、己は緊張を強いられたのである。

ワッフル。……ワッフル。これはどうやって切るのが適切なんだ?

目の前の友人はチョコレートソースがかかったワッフルに対し何の緊張も抱いていないようで、ごく当たり前のようにナイフとフォークで食べている。ワッフル。この既に井の字に区画された食べ物。井の字の線に沿って切れば細切れになりすぎるし、さりとて井の字を四つほど集めたブロックに切り分けたら大きすぎて口に入らないかもしれない。口に入れようとして失敗し、わたわたするのは非常に恥ずかしい。すると井の字の線を無視して切り分けるのがちょうど良いように思えるが、それはそれで美しくないし切りにくい気がする。

何だよ! どうすりゃいいんだよ! この食べ物!!

そもそも己はスパゲティも苦手なのだ。味は好きだが人前で食べるのが苦手なのだ。フォークに麺を巻きつけようとくるくる回しても端の方がいつまでも巻き取れずフォークを上げればぶらぶらするし、ようやく巻けたと思ったら巻きすぎて口に入れづらく途方に暮れる。その点米は良い。あれはとても掴みやすいし運びやすい。楽である。ビバ米。

夜の八時。ふと連絡を受けて待ち合わせをした先のカフェにて、友人は来年子供が生まれることを報告してくれた。また、それを機に転職活動をすることも。友人は小学校からの幼馴染である。今までに他の友人から奥さんの妊娠報告を受けたときもしみじみしたがより一層感慨深い。思い出されるのは小学校当時の姿である。あの少年がついにパパになるんだなぁ。

それほど長い付き合いにも関わらずワッフル如きで緊張するとは如何なものだろうか。自分でも思う。別に緊張する相手じゃないだろうがよ! と。しかし相手が誰であろうが緊張するものはどうしようもない。ワッフルめ。ワッフルめ!

最終的にワッフルは細かく切り刻まれて小さな四角いお菓子の集まりになった。一緒に頼んだカフェラテはごく普通にマグカップに入っていたので飲みやすかった。美味しかった。



日記録0杯, 日常

2016年10月20日(木) 緑茶カウント:0杯

お元気ですか? 己は激烈に忙しく、ゲロを吐きそうな塩梅です。
余暇が欲しい。本が読みたい。ゆっくりしたい。余暇が欲しい。

あぁ。



日記録0杯, 日常

2016年10月17日(月) 緑茶カウント:0杯

タイトルからお察しいただけるかと思うが、今回の日記は不快害虫と戦う話なので苦手な方は注意されたし。

さて。己はわりと耐性がある方である。何故なら昆虫という生き物が好きだからだ。あんなに小さいのに器用に動いて、きちんとパーツパーツに意味があるところがとても好きだ。そしてその造形。飛翔に特化したトンボのデザイン、むしろ邪魔に見えるほど長いカミキリムシの触覚。彼らの姿を眺める楽しみは時間を忘れるほどで、昆虫図鑑のページをめくるひとときは至福である。

よって虫が苦手な人に比べれば耐性はある方だ。小指の爪の切れっ端程度の小さな虫を見て、嫌な予感を抱きつつ「ゴキブリ 幼虫」で画像検索をしてその正体を突き止めることに迷いは無い程度に耐性はある。耐性はあるが嫌いである。ものすごく嫌いである。立ち向かえるが嫌いである。

そんな、大嫌いなあいつが発生した。大胆不敵にもわりと目立つところに発生した。それも二日連続。己はとても嫌な気分になった。すごく憂鬱になった。ちくしょうめ、と思いつつ退治をした。

まぁ仕方が無い。住居は古い木造アパートなのだ。取り壊すか否かという話が上がったほどの古い家屋だ。出ないはずが無い。出ない方が不自然だ。不自然であるが、何でもかんでもナチュラルな方が良いとは己は思わないのだ。よってもう不自然でも何でも構わないので己の前に姿を見せないで欲しいのだ。嫌いだから。

あーもう。あーもう。どうすっかなぁ。

つい、ヤフオクでアシダカグモを検索した。売っていた。売っているものなのかとびっくりした。心惹かれたが買わなかった。虫は買うものではない、捕るものだ。まぁつってもアシダカグモを捕まえるためによそ様の家にお邪魔して虫捕り網を振り回すわけにもいかんのだが。

そんなわけでより現実的な対応策としてホウ酸ダンゴを購入して家中に設置した。うん、わかっているのだ。このホウ酸ダンゴを取り替えるのをさぼったのがよろしくなかった。大事なバリアの効き目が切れるのをそのまま放置してしまった自分こそが悪い。しまったしまった、と反省しながら設置した。

どうやら効果はあったようで、設置からしばらくした後二匹の不法滞在者を発見したが、二匹とも弱ってへろへろになっていて難なく退治出来た。一匹は殺虫スプレーを振りかけた後、死に物狂いで逃げた先、その真横に平沢進のファンクラブ会報誌があり、スプレーを片手に構えつつどのように追撃すべきか迷ったが何とかなった。さぁ、あとはこれで全員出て行ってくれれば良いのだが。頼むよ。