2017年4月30日(日) 緑茶カウント:0杯
子供の頃は夕飯の時間にアニメが流れていた。あれは五歳の頃だっただろうか。「今日から新しいアニメがあるから観てみない?」と母に言われ、視聴を始めたのが「クレヨンしんちゃん」。当時の自分はしんのすけと同い年。いつからかしんちゃんのアニメを観なくなったものの、たまにしんちゃんのイラストを見ると当時と変わらぬ姿で駆ける彼の姿に、時の流れをしみじみと感じる。
クレヨンしんちゃん、セーラームーン、ドラえもん、チンプイ、キテレツ大百科。ちびまる子ちゃん、サザエさん、ツヨシしっかりしなさい、とんでぶーりん、忍たま乱太郎、平成イヌ物語バウ。学級王ヤマザキ、ポケットモンスター、スラムダンク、るろうに剣心。七つの海のティコ、ロミオの青い空。ブラックジャック、犬夜叉、名探偵コナン。魔法陣グルグル、ぼのぼの、クマのプー太郎、ONE PIECE。これらを親と一緒に食卓を囲みながら観た記憶がある。アニメに夢中になって箸が止まるたびに母に叱られたものだ。
我が家はわりと自由にアニメを観せてもらえる家で、チャンネル権を譲ってもらえることも多かった。十九時には大抵アニメが流れていて、毎週毎週わくわくしたものだ。そんな中で特に好きだったのは「クレヨンしんちゃん」「七つの海のティコ」「ONE PIECE」。
「クレヨンしんちゃん」をどうして自分は好んでいたのだろう。あえて理由を考えてみるとわからないが、尻を出したり局部を出したり、自由闊達に生きている様が爽快だったのかもしれない。それでいて決して下品なだけでなく、しんちゃんと本屋のやりとり、しんちゃんと不良のやりとりが面白くて仕方なかったのだ。
「七つの海のティコ」はシャチと少女の関係性に憧れを持った。海を自由に泳ぎ、シャチと会話をする少女。物語の詳細を覚えてはいないが、あの海の描写がとても好きで、ティコが死んでしまったときはとても悲しく寂しかった記憶がある。
「ONE PIECE」を初めて観たのはクリスマススペシャルか何か。アーロン編のクライマックスで、ルフィがナミの部屋をぶっ壊すシーン。それまで「ONE PIECE」を読んだことはなく、タイトルから服飾をテーマとした少女漫画と勝手に想像していたのだが、全く違う内容であったことを思い知った日であった。それから単行本を買い集め、ジャンプを買うようになったのだ。それまではコロコロを読んでいた。
あぁ、忘れてはいけないアニメがあった。「ゲゲゲの鬼太郎」である。小学生の頃、レンタルショップで「ゲゲゲの鬼太郎」の第三期を借りてもらい、それから鬼太郎と妖怪の魅力に夢中になった。家にあった鬼太郎の文庫本や妖怪図鑑にのめりこみ、べとべとさんの存在を身近に感じて夜道に恐怖を覚えたものだ。そうして妖怪の苗床を育み、大学生の頃に発売された「ゲゲゲの鬼太郎」第四期のDVDボックスを、アルバイト代を貯めて買ったのだ。確か四万か五万か。当時で一番高い買い物だった。
さらに同時期に深夜アニメで「墓場鬼太郎」がスタートし、そのクオリティに毎週毎週大喜びしつつ、下宿先の部屋の本棚をゲゲゲの鬼太郎と水木しげる関連の書籍で埋めていったのだ。
水木しげるが亡くなったときの喪失感は計り知れなかった。同じ水木しげるファンの母とともに、仮に彼があの世に旅立つことがあっても、きっと彼は妖怪になるだけさと笑いあったものだが、実際にその場面に遭遇すると声の一つも出てこない。寂しかった。
成人してから夢中になったアニメと言えば、その筆頭は「おそ松さん」だろう。Twitterで「銀魂っぽいよ」と聴いて視聴を始めた第三話。そこから週を重ねるごとに夢中になり、気付けばブルーレイまで買っていた。「おそ松さん」の魅力についてはこれまでにも語っているが、やはりあの「異常な日常」を垣間見る気持ち悪さとほのかな違和感が魅力だろう。月曜日の深夜、「えっ……何だこれ……?」と動揺しながら布団に潜るあの感覚。あれをまた味わいたい。
あとOVAでは「HELLSING」も素晴らしかった。単行本を読んで心をつかまれ、レンタルショップで少しずつ借りて観ては興奮した。あの作品をよくアニメに出来たものだと感嘆する。あの台詞回しを耳で楽しむことが出来て実に嬉しかった。
そうそう忘れてはならないジブリ作品。「もののけ姫」が最高に好きで、それはきっと思うに、ゲーム「サムライスピリッツ」のナコルルに惚れた小学一年生のあの日から地続きになっているのだろう。アニメではなく漫画だが、「乙嫁語り」のアミルさんへの愛も地続きであるように感じる。しばらく「もののけ姫」のポスターを部屋に貼っていたなぁ。
そして今願っているのが、いつか「魔人探偵脳噛ネウロ」の完全版アニメを観てみたいということ。あぁ、いつか。願うならいつか。テレビ版? ……ははははは。ははははは。いつか観てみたいものである。