日記録0杯, 日常

2017年5月2日(火) 緑茶カウント:0杯

食べられんくなったなぁ。しかしそれもまた良し。

己は小柄である。残念ながら。百八十センチの身長を望むも望むべくもなし、地に這うようにほそぼそ生きて、たまに宙を見上げる、そんな有様で楽しく過ごしている。受け入れてしまえばそれはそれで良い。もとより背の順で並べば必ず前の方に陣取り、奇跡のように中盤に陣取った学年では、他のクラスに比べ随分と背が低い学級であるとそのアンバランスさを問題視された記憶がある。どうやら他の関係性、成績や人間関係を考慮した結果我がクラスはミニマムが集結したそうで、体育祭では不利を強いられつつも、それはそれで愉快であった。

食べられなくなった。過去に比べて。以前はチビのわりによく食べると言われていたが、ついにその図体に等しい食欲になってしまった。それはどうにも寂しく悲しいが、胃の腑の容量は広がらない。特に愛好するビールは腹に溜まりやすく、すぐに胃の腑を膨張させ、隙間を少なくさせてしまう。寂しいなぁ。と思いつつも、そんなもんかなと思っている。ちまちまと時間をかけながら箸を動かす陽気。食べられんくなったなぁ、と笑いながら。あぁ。



日記録0杯, 14周年企画, 日常

2017年4月30日(日) 緑茶カウント:0杯

子供の頃は夕飯の時間にアニメが流れていた。あれは五歳の頃だっただろうか。「今日から新しいアニメがあるから観てみない?」と母に言われ、視聴を始めたのが「クレヨンしんちゃん」。当時の自分はしんのすけと同い年。いつからかしんちゃんのアニメを観なくなったものの、たまにしんちゃんのイラストを見ると当時と変わらぬ姿で駆ける彼の姿に、時の流れをしみじみと感じる。

クレヨンしんちゃん、セーラームーン、ドラえもん、チンプイ、キテレツ大百科。ちびまる子ちゃん、サザエさん、ツヨシしっかりしなさい、とんでぶーりん、忍たま乱太郎、平成イヌ物語バウ。学級王ヤマザキ、ポケットモンスター、スラムダンク、るろうに剣心。七つの海のティコ、ロミオの青い空。ブラックジャック、犬夜叉、名探偵コナン。魔法陣グルグル、ぼのぼの、クマのプー太郎、ONE PIECE。これらを親と一緒に食卓を囲みながら観た記憶がある。アニメに夢中になって箸が止まるたびに母に叱られたものだ。

我が家はわりと自由にアニメを観せてもらえる家で、チャンネル権を譲ってもらえることも多かった。十九時には大抵アニメが流れていて、毎週毎週わくわくしたものだ。そんな中で特に好きだったのは「クレヨンしんちゃん」「七つの海のティコ」「ONE PIECE」。

「クレヨンしんちゃん」をどうして自分は好んでいたのだろう。あえて理由を考えてみるとわからないが、尻を出したり局部を出したり、自由闊達に生きている様が爽快だったのかもしれない。それでいて決して下品なだけでなく、しんちゃんと本屋のやりとり、しんちゃんと不良のやりとりが面白くて仕方なかったのだ。

「七つの海のティコ」はシャチと少女の関係性に憧れを持った。海を自由に泳ぎ、シャチと会話をする少女。物語の詳細を覚えてはいないが、あの海の描写がとても好きで、ティコが死んでしまったときはとても悲しく寂しかった記憶がある。

「ONE PIECE」を初めて観たのはクリスマススペシャルか何か。アーロン編のクライマックスで、ルフィがナミの部屋をぶっ壊すシーン。それまで「ONE PIECE」を読んだことはなく、タイトルから服飾をテーマとした少女漫画と勝手に想像していたのだが、全く違う内容であったことを思い知った日であった。それから単行本を買い集め、ジャンプを買うようになったのだ。それまではコロコロを読んでいた。

あぁ、忘れてはいけないアニメがあった。「ゲゲゲの鬼太郎」である。小学生の頃、レンタルショップで「ゲゲゲの鬼太郎」の第三期を借りてもらい、それから鬼太郎と妖怪の魅力に夢中になった。家にあった鬼太郎の文庫本や妖怪図鑑にのめりこみ、べとべとさんの存在を身近に感じて夜道に恐怖を覚えたものだ。そうして妖怪の苗床を育み、大学生の頃に発売された「ゲゲゲの鬼太郎」第四期のDVDボックスを、アルバイト代を貯めて買ったのだ。確か四万か五万か。当時で一番高い買い物だった。

さらに同時期に深夜アニメで「墓場鬼太郎」がスタートし、そのクオリティに毎週毎週大喜びしつつ、下宿先の部屋の本棚をゲゲゲの鬼太郎と水木しげる関連の書籍で埋めていったのだ。

水木しげるが亡くなったときの喪失感は計り知れなかった。同じ水木しげるファンの母とともに、仮に彼があの世に旅立つことがあっても、きっと彼は妖怪になるだけさと笑いあったものだが、実際にその場面に遭遇すると声の一つも出てこない。寂しかった。

成人してから夢中になったアニメと言えば、その筆頭は「おそ松さん」だろう。Twitterで「銀魂っぽいよ」と聴いて視聴を始めた第三話。そこから週を重ねるごとに夢中になり、気付けばブルーレイまで買っていた。「おそ松さん」の魅力についてはこれまでにも語っているが、やはりあの「異常な日常」を垣間見る気持ち悪さとほのかな違和感が魅力だろう。月曜日の深夜、「えっ……何だこれ……?」と動揺しながら布団に潜るあの感覚。あれをまた味わいたい。

あとOVAでは「HELLSING」も素晴らしかった。単行本を読んで心をつかまれ、レンタルショップで少しずつ借りて観ては興奮した。あの作品をよくアニメに出来たものだと感嘆する。あの台詞回しを耳で楽しむことが出来て実に嬉しかった。

そうそう忘れてはならないジブリ作品。「もののけ姫」が最高に好きで、それはきっと思うに、ゲーム「サムライスピリッツ」のナコルルに惚れた小学一年生のあの日から地続きになっているのだろう。アニメではなく漫画だが、「乙嫁語り」のアミルさんへの愛も地続きであるように感じる。しばらく「もののけ姫」のポスターを部屋に貼っていたなぁ。

そして今願っているのが、いつか「魔人探偵脳噛ネウロ」の完全版アニメを観てみたいということ。あぁ、いつか。願うならいつか。テレビ版? ……ははははは。ははははは。いつか観てみたいものである。



日記録0杯, 日常

2017年4月23日(日) 緑茶カウント:0杯

このところどうにも疲れていて、休みの日になると十五時十七時まで寝てしまうことが多く、よろしくないなぁと感じている。しかし今日は十二時に起きて布団を干し、洗濯をして整骨院に行き、体をほぐしてもらってから買い物に行ってあれこれと荷物を増やし、帰宅して保存食を作り、温かな布団を取り込んだ。

花粉症ゆえ、長らく布団を干せず布団乾燥機でしのいだ二ヶ月。ようやく冷たい布団を外に出した満足感。十時間十二時間十四時間布団の中に潜りこみつつも気になっていたのは二ヶ月の間に吸い込まれた疲労感。布団に吸い込まれたそれにさらに包み込まれることで、どうにも休息がとれていない心地がした。

手で押せば跳ね返す弾力。ふかふかとやわらかい布団に枕。あぁ、疲れた。何もしていないのに今日も疲れた。しかし今日は太陽の呼気に包まれて眠ることができるだろう。疲労をしみこませ、次の休日にはまた日の光に晒せる安心感。やっと春が終わるのだ。

春。疲労と眠気の季節である。



日記録0杯, 14周年企画, 日常

2017年4月16日(日) 緑茶カウント:0杯

14周年企画でお題をいただいてから、ずっと外に出るたびに探し物をしている。道端に咲くほがらかな花、目が合った野良猫との数秒間のひととき、いつも全身黒尽くめの女の人、桜並木の色合いの変化、良い匂いのするパン屋、ふっくらしたすずめ、日々やわらかくなる日差し、壊された家屋に、平らにされる土地に、新しく建てられる何かと、騒音を謝罪する看板。それらに感じる親しみや小さな喜びを舌の上で転がし、これかなこれかなと吟味する。まだ己は出会えていない。

「行き帰りでの『うれしい』できごと」というお題にふさわしい、何か嬉しく、素敵なこと。空気を嗅いで、イヤホンを外して、視線を泳がせながら歩く。お題をいただいたのはおよそ二ヶ月前。それからずっと、外に出るときにはこのお題が頭の隅にあった。二ヶ月間ずっとうれしいことを探しながら歩く道。大きな発見は何もない。しかしささやかな変化はあった。ただの行き帰りに小さな目的が出来たのである。

名前も知らない路傍の花に問いかける。君に出会えて己は嬉しいだろうか。嬉しくないってことはないんじゃないかい、と己は答える。そしてさくさく歩き出す。探し物は見つからない。見つからないけど探している。見つからなくても良い気もしている。



日記録2杯, 日常

2017年4月15日(土) 緑茶カウント:2杯

先日、ハチミツを与えられた乳児が死亡する痛ましい事件が起こった。それからあちらこちらで見かけたのは、ハチミツを乳児に与えたら危ないのは常識であるという言葉であった。実物を手にしたことはないが、母子手帳にも書いてあるらしい。そして我が家の台所に置かれているハチミツのパッケージにもきちんと注意書きがされていて、己は人の親ではないが、その知識は持っていた。ただ己の知識は大分曖昧で、乳児どころか小学校中学年あたりであってもハチミツを与えてはいけないと思っていた。そんな不確かな知識である。

知識はあるに越したことはない。しかしふと思った。ハチミツを乳児に与えてはいけない。己はそれを知っている。とはいえ、それをどこで知り得たか覚えていない。いったいどこから知ったのだろうか。思い返してみれば、己が持つ赤子や乳児に関する知識の多くは亡き母が所有していた育児エッセイ漫画が元であるように思う。育児エッセイ漫画に限らず、家には様々な本と漫画があり、己はそれを読んで育った。ハチミツもそれらの本から得た知識なのかもしれない。

そうであればきっと、更新された情報もあるだろう。己が信じる常識も、今では非常識と伝えられているかもしれない。己は人の親ではない。子を持つ予定もなければ、結婚の予定もなく、その気もない。しかし去年から今年にかけて、友人達に子供が生まれており、赤子を抱いた友人夫婦と席を共にする場面もあった。で、あれば。知識は更新するに越したことはない。

そこで手に取った育児本。小児科医森戸やすみさんの「小児科医ママの『育児の不安』解決BOOK‐間違った助言や迷信に悩まされないために」を読んで、さいたま市が無料配布している「祖父母手帳」と、小児科医森戸やすみさんの「孫育てでもう悩まない! 祖父母&親世代の常識ってこんなにちがう? 祖父母手帳を読んだ。

これらの本はそもそも、以前には常識と信じられていたが、研究の結果新たな事実がわかり、常識であったことが常識でなかったことが明らかにされる本である。よって本来であればこの本を読む前に、より基礎的な育児知識を得られる本を読むのが自然であろう。だが、これらの本を読むことでいくつかの思い込みが打破された。つまり、育児に関わったことのない人間にも思い込みは備わっているのである。

己の持っていた思い込みを紹介しよう。それは「授乳中に薬は飲めない」「授乳中のお母さんが油物やケーキを食べると乳腺炎になりやすくなるので控えた方が良い」「授乳中のお母さんは絶対に珈琲を飲んではいけない」「お母さんの食べたものが母乳の味に影響する」というものであった。これらはどれも、本の中で否定されている。

一般的な抗生剤、胃腸薬、風邪薬、抗ヒスタミン剤であれば我慢しないで使って良い。動物性脂肪が原因で乳腺炎になることは医学的に証明されていない。珈琲は一日五杯までなら問題ない。母乳には成分を維持する保障機能(恒常性)があるので、栄養が不足してもダイレクトに影響することはない。

特に最後は目から鱗であった。それは、母乳は血液から作られるという半端な知識があったからかもしれない。健康診断を受ける前には食事を摂る時間に気をつけ、アルコールを摂取しないよう心がけ、きちんと睡眠を摂ろうとする。そういった事前準備の必要性を理解していたからこそ、母乳にも同じことが求められると曲解していたのかもしれない。

かと思えば、誤解を抱くも何もなく、初めて知った知識もあった。ほうほう、昔は離乳食の前に果汁を与えていたのか。フォローアップミルクなんて初めて聞いたなぁ。離乳食として焼いた肉を与えろなんて話が流布していたのか。どれもこれも新鮮である。

繰り返すが己は人の親ではない。その予定もなく、その気もない。しかし親となった友人に接する機会はいくらでも考えられ、その交流の中でもしかしたら、口には出さないまでも、更新されない知識をもとに己は謝った認識を彼ら彼女らに抱いていたかもしれない。例えばそれは喫茶店で赤子を抱きながら、軽やかにカップを傾ける奥さんを見たときに。彼の人は何も悪くないのに。

明日は我が身と言ったら、思い過ごしにも程があると笑う人もあるかもしれない。だが、思った。知るに越したことはないと。そのうえで知らないこともあるはずだと。だから己は、他人の子供に無闇に触らず、食べ物も玩具も親に断りなく与えないようにしよう。そうした気遣いによって、足りない知識が補填される日も来るかもしれないだろうから。

知るに越したことはない。しかし知りえないこともあろう。それを意識し、心がけていきたい。あくまでも他者である故に。