日記録0杯, 日常

2017年10月2日(月) 緑茶カウント:0杯

「これは春の歌である。だって桜が咲いているのだから」

確かに桜は咲いている。しかしそれは狂い咲きの桜である。狂い咲きの桜が舞い散る季節は決して春ではなく、それは春の歌ではない。

受け取り方は自由だが、読み取る力も必要だ。通常桜は春に咲き、その中で秋や冬に咲くものもある。それをあえて指した場合、季節は必ず春以外を示している。では、何故あえて狂い咲きの桜を指したのか? そこに作者の意図がある。

ただし。「これは狂い咲きの桜を歌った曲だけれども、春の思い出に色濃く結びついているので、これは自分にとっては春の歌なのさ」と言う場合は、それは間違いなく春の歌であり、春の歌以外の何物でもない。作者の意図を理解したうえでの自分の思い入れであれば、思い入れが優先されて然るべきであろう。

だからね、そこに違いがあるのさ。たったそれだけの話なのである。



日記録0杯, 日常

2017年10月1日(日) 緑茶カウント:0杯

ここ数週間、ずっと気になっているものがある。それはアパートの軒先に二本吊り下げられたビニール傘。己は二階に住んでいて、真下に住む人の玄関先にあるものだ。階下の人は煙草を嗜むようで、玄関先の郵便受けの上には灰皿代わりの空き缶が備え付けられていて、そこにはいつも煙草の吸殻がたまっている。窓を開けているとたまに煙草の煙のにおいが入ってきて、あぁ下の人が喫んでいるのだな、と己はいつも窓を閉める。洗濯物は基本的に時間帯の問題で部屋干ししかしていないため、その点の害はない。

さて、その郵便受けの上の吸殻の隣に置かれた二本の透明なビニール傘。この内側に濁った黒い水がたまっている。これに気付いたのは数週間前で、あぁしばらく使っていないのだな、と思いつつ外階段を上り自室に入ったのであるが、以来そのビニール傘が気になって仕方がない。出入りの度につい見てしまうが、いつも透明な傘の内側には黒い水が溜まっていて、雨の日の翌日は嵩を増している。どす黒い汚い水が増えている。

この傘は使うものなのか。使う用途がないものの捨てるのが面倒くさくてただただ軒先に放置しているのか。そうしてついに、どす黒い泥水はたぷたぷになっていて、そろそろ溢れそうな有様。いつかあれが処分されるのか。それともそのまま溢れるのか。中から何かが発生するのか。興味深く眺めている。



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2017年9月30日(土) 緑茶カウント:0杯

嬉しいなぁ嬉しいなぁ。筋肉少女帯の新譜「Future!」のジャケットデザインと曲目が発表された。デザインは何と食虫植物のハエトリグサ! 過去に植物図鑑で食虫植物のページをわくわくしながら眺め、ハエトリグサの鉢植えを育てていた己にとっては何ともたまらないデザインである。虫好きなので虫要素があるのも嬉しい。食虫植物ならば虫が苦手な人でも抵抗感がなさそうだ。

最初に「Future!」というタイトルを聞いたとき、前作「おまけのいちにち(闘いの日々)」で過去と未練を描いた筋少が、五十歳を越える筋少が、今度は未来を描くのか! と大いに喜んだ。過去もあるが今もあり、未来もある。その先を示してくれるのが嬉しい。

もちろんタイトルから想像したのは前向きで明るい未来だ。それは今の筋肉少女帯の精力的で、楽しそうで、笑顔こぼれる姿からの連想である。

しかし流石筋少、一筋縄ではいかない。良い意味で予想を裏切ってくれた。「Future!」とポップな文字と共に描かれたのは真っ赤な口を開けた食虫植物。そしてこれは二曲目のタイトル「ディオネア・フューチャー」がモチーフになっているとのこと。ディオネアはハエトリグサのことである。ハエトリグサのある未来とは、いったいどんな未来だろうか。

だが、この真っ赤なジャケットデザインを見たときに抱いた印象は、毒々しさよりもパキッとした鮮やかさだった。色使いとフォントもあるが、描かれたハエトリグサが全て口をパカリと開ききっていることが大きいだろう。ハエトリグサは口を開いた姿より、トラバサミのような口をガッツリと閉じ、歯が互い違いに噛み合わさった姿の方がより禍々しさを増す。ジャケットのハエトリグサはトゲのような歯よりも真っ赤な口の中の方が印象的で、上を向いて大きく口を開ける様には開放感すら感じる。毒々しさはあまりない。

しかしパッカリと口が開かれているのはあくまでも「現在」である。この数秒後か数時間後、数日後の未来にはガッツリと閉ざし、獲物を消化液でトロトロと溶かす日が来るだろう。それはトリフィドに襲われた星の未来か否か。筋肉少女帯の示す未来とは何か。ますます、発売日が待ち遠しい。



日記録0杯, 日常

2017年9月24日(日) 緑茶カウント:0杯

一回目は慣れないあまり、何かやらかしてしまったらどうしようと恐れに恐れて最初から最後まで緊張のし通しだったが、二回目は落ち着いて接することができた。

土曜日に大学の友人と連れ立って友人夫妻の家に遊びに行った。目的は夫妻の間に生まれた赤子に挨拶することである。

八月に小学校の友人の赤子を抱かせてもらった際は勝手がわからずあたふたしたが、その経験のおかげか今回は一緒に行った友人に「意外と赤子の扱いに慣れている」と言われ嬉しく思った。ふっふっふっ。少なからず経験値を積めたようだな。赤子はムチムチしていてやわらかく、きちんと骨格と重みがあり、温かくて小さかった。拭いたそばからよだれが出てきて、あぶあぶと何か言いたそうにしているのが愛らしい。

面白いのは赤子に接するにあたり、友人夫妻が赤ちゃん言葉を話していることで、当たり前ではあるのだが、なるほど父親母親になったのだなぁ、と語りかけを聞いてしみじみする。赤子は歌が好きらしく、父親は様々な歌を適当に歌いながら赤子に構っていた。思い出すものだ、大学の頃猫耳をつけたりナース服を着たりゴスロリを着たりしながら大いに盛り上がったむさくるしいカラオケを。この場にはいないが、百九十センチのナース姿はそれはもう迫力があった。

かつて猫耳をつけてマイクを握っていた彼は、今は赤子を膝に乗せだんご3兄弟を歌っている。この膝を背もたれにできるほど小さな赤子も、これからすくすく成長して、気付けば小学生、中学生になっているのだろうなぁ。

いつか、この子が思春期になったら見せてあげよう、あのむさくるしいカラオケの写真を。
ちゃんと、マイクロSDにデータをとってあるから。



日記録0杯, 日常

2017年9月18日(月) 緑茶カウント:0杯

あ、これはやばいやばい、と思いながら、パン屋で買った月見バーガーの入った袋を卓袱台に置き、ベッドに背をもたれてゆるゆると床に座り込んだ。

朝十時に起きて、うわー何て良い天気なんだ! と大喜びで布団を干してシーツ、布団カバー、枕カバーを洗濯し、洗い終わるのを待つ間マットの上で二度寝して、洗濯機に起こされてシーツを干し、室内に干しっぱなしにしていた洗濯物を畳み、モップをかけ、よっしゃ飯でも買ってくっかとパン屋に出かけるまでの間、思えば水こそ飲んだものの全く塩分を摂っていなかった。

空腹にも関わらずあるのは食欲よりも気持ち悪さ。冷えた麦茶を飲みつつ目の前の月見バーガーを睨む。恐らくごくごく軽い熱中症だ。水分は摂っているので、塩分を摂れば回復するはず。しかし軽い吐き気のする今、こいつを食べて大丈夫なものか。食塩でも舐めた方がマシなんじゃないか。

ええい、ままよ! 思い切って月見バーガーに齧りつく。ボリュームたっぷりの月見バーガーは二センチの厚さに盛られた千切りギャベツがみっしりで、その上に分厚いハンバーグ、ケチャップ、そして目玉焼きに、それらをサンドする美味しいパン。思いっきり顎を開いて噛み付くも一口目ではキャベツとパンしか入らない。これじゃあ塩分が得られないのでシャクシャクとキャベツを飲み込んでまたガブリ。よっしゃ、ケチャップとハンバーグと目玉焼きが口の中に! 美味しい!! 全身が欲したしょっぱい味だ!!

もっしゃもっしゃと月見バーガーを食べ終えると吐き気は無くなっていた。冷蔵庫から巨峰を取り出して一房つまみ、水を飲んだ。ほう、と人心地。適度に冷房の効いた部屋の外は太陽がギラギラと照っている。夏だなぁ、と思った。