日記録0杯, 日常

2017年12月2日(土) 緑茶カウント:0杯

いくらなんでも、ここ最近で悪化するにも程があるんじゃないか? と不安を抱いて門を叩いた本日。眼科の待合室で中島らもの「永遠も半ばを過ぎて」を読みながら、己はじりじりと時が来るのを待っていた。

結果。眼病ではなかった。しっかり検査してもらったが異常はなかった。ただ急激に視力が落ちただけだった。落ちた由縁はわからない。

眼科を出てその足で眼鏡屋に行く。最近はもう、パソコンに写る画面の文字を追うことすら苦難を強いられ、テレビを観るには三十センチの距離まで画面に近付かないと詳細がわからない。一メートルの距離では細かいところが何も見えないのだ。ちなみにこの眼鏡を購入したのは二年前。たった二年でここまで変わるか。

たった二年でここまで変わるか、と思ったのは、眼鏡屋の店員も同様だったらしい。「一気にここまで上げるのは禁忌レベルなのですが」「本来であれば、間にもう少し度の弱い眼鏡を挟んで、目が慣れてから希望の度数の眼鏡に替えるのが理想なのですが……」と言いよどむ。えっ。そこまで? 段階を踏まねばならぬほど己の視力は下がっているの? すげーなこれ。すげーな。

感心している場合ではないが、感心しつつ新しい眼鏡を作ってもらった。そうして眼鏡をかけてみてびっくり。快適な視界。鏡を見てびっくり。レンズを通して映る輪郭のズレッぷり。レンズが以前よりもだいぶ分厚くなるとは聞いていたが、ここまで印象が変わるとは。はー……。驚きながらしみじみ眺めた。

しかしここまで視力が落ちても問題なく生活できるとは。視力矯正器具の発達に感謝である。これがなければまともに生活することなどまず叶わないだろう。ありがとう眼鏡屋。ありがとうレンズ。おかげで今日も漫画と小説とアニメなどなど、いろいろな娯楽を楽しめる。至福。



日記録0杯, 日常

2017年11月28日(火) 緑茶カウント:0杯

じぃ、とハサミを見つめながら考えること数秒。結局手に持つそれを使用することになるのであるが、できることなら使わないでおきたい、と思うのは自分が花粉症だからである。

まつげ。目に入るほこりやゴミを防ぐための防御壁、フィルター、ガーディアン。長ければ長いほど、量が多ければ多いほど良いとされ、マスカラにまつげパーマにつけまつげにまつげ美容液、眼科に行けばまつげを伸ばす専用薬が販売され、非常にありがたがられているまつげ。しかし同じような機能を持ちつつも、全く別の扱いを受けている体毛がある。だって鼻毛パーマもつけ鼻毛も鼻毛美容液も、ましてや鼻毛を伸ばす専用薬なんぞもこの世には存在しないのだ。

長ければ長いほど良いまつげとは対照的に、ただの一本でも見えていたら哀れみの眼差しを受けてしまう体毛・鼻毛。こっそりと「伸びてますよ」と耳打ちされたり、黙って手鏡を渡される名前を言ってはいけない毛。

我思う。この鼻毛こそ、長ければ長いほど美しいと世間一般に認識されていたら、と。どうしてか。何故なら自分は花粉症だからだ。花粉症だからなのだ!

伸びたら困る故に切る。エチケットだから切る。しかし、切ったら確実にくしゃみが増えるのである。鼻がムズムズするのである。即ち、防御壁が、フィルターが、ガーディアンが薄く弱く頼りなくなり、外敵の進入を許してしまうのである。そう、花粉という外敵を! ちくしょうめ、花粉症でさえなければ何も気にする必要がないのに、何だって鼻毛に対して「惜しい」という感情を抱かねばならぬのだ! 悔しい! 悔しいがわかっている! 絶対に伸びっぱなしにしていた方が楽なのだ! 花粉症患者としては!!

あぁ、自らの首を絞めねばならない悲しさよ。だが仕方がない。黙ってそっと手鏡を渡される哀しさを己は避けたいのだ。
そうして眉間に皺を寄せながら、仕方なくハサミを取るのである。あぁ。



日記録日常

2017年11月21日(火) 緑茶カウント:0杯

もやしの茹で汁が、熱湯が、コンロの穴に吸い込まれていく。何故って? 鍋の取っ手が外れたからさ。

ガチャァン、と重量のある鍋がガスコンロに落ちる音を聞き、驚愕しつつも全く己は無傷であった。鍋は前のめりで落下し、熱湯はほとんどコンロの穴に流れたからだ。

そうして目の前には壊れた鍋と、茹で上がって飛び散ったもやしと、火がつかなくなったガスコンロ。コンロの穴を覗き込めばそこはひたひたと沼。粘性のあるカレーやシチューの調理中でなかったことは不幸中の幸いだろうか。

その鍋は一人暮らしを始めた当初に買ったもので、もう十二年近く愛用している。ここ数年は取っ手のねじが緩みガタガタと落ち着かなくなることが時たま起こっていたために、緩みに気付いてはドライバーでねじを締めて使用していた。それで問題なく使えるものと認識していたのだが、どうやら限界が来ていたらしい。その日もねじをキュッキュッと締め、よし安定したなと安心して鍋に水を入れて火にかけてもやしをグラグラ煮ていたのだがこの有様だ。いやぁ、火傷をしなくて良かった。

念のためガス会社に電話して対処方法を尋ね、コンロの中の水を古びたタオルで拭き取り、乾かすこと数時間。再びコンロは使えるようになったが、流石にこの鍋とはこのあたりでおさらばだろう。取っ手が外れてバラバラになった鍋。あぁ、十二年もの間ご苦労様でした。

ちなみに何だかんだあったがもやしはきっちり調理して夕飯のおかずとして冷蔵庫に保管された。壊れた鍋はまだ台所の隅にいる。



日記録2杯, 日常

2017年11月12日(日) 緑茶カウント:2杯

没入の日々に浸っている。

昨日は非常に疲れて珍しく日付が回る前に眠り、普段であれば昼過ぎに目覚めるもののまだ午前の時間帯に起きて空の青さに驚いた。とすると、今日はいつもよりも長く時間を使えるなぁ。喜びつつ整骨院に行き、昼飯と大量の食材を買い、牛乳を飲みながらカツサンドとあんぱんを食べてしばし休み、一週間分の料理にとりかかる。一品焦がしてしまったがまぁまぁの品数を揃えることができた。

スタートが二時間早かったため料理を作り終えるのも普段よりも二時間早い。洗濯機を回し筋トレをして風呂の準備をしながら、もう少し朝型、とまではいかずとも昼型の生活に移行しても良いかもしれないと思う。昼に活動すればするだけ夜の時間を確保できると思えば、早く寝るのも悪くない。

少しだけ、早寝早起きを目指してみようか。続くかどうかはわからぬが。



日記録2杯, 日常,

2017年10月22日(日) 緑茶カウント:2杯

よく利用するパン屋では、パンの耳を六十円で売っている。食パン一斤分がたっぷり袋に入ってなかなかお買い得だ。時間帯の関係もあろうが、いつも置いてあるわけではないので、たまに見かけるといそいそとトレイの上に乗せる。そうして他のパンと共にレジへと持って行くと、最近ちょっとした会話を交わすようになったパン屋のおかみがいやに真面目な目つきでじいっと己の両の目を見据え、こんな風に口を開いた。

「パンの耳なんてどうするの?」

その目には若干の困惑も入り混じっていた。えっ。え? あなたこれを六十円で売っているってことは、何かしらに使えることを知ってのことではないんですか? と言うより、何に使えるかわからんもんをわざわざ売ってるんですか……? と動揺しつつ返答する。冷凍して、ハンバーグを作るときに卸金で擦ってパン粉にしたり、パングラタンにしたり、溶かしたバターとにんにく、クレイジーソルトで味付けをしてトースターで焼き、ちょっとしたおつまみにしたり、こういった用途で活用している、と。

するとおかみはパッと表情を明るくして、「どこでそういうこと覚えるの? すごいわね~」とよくわからない賛辞をいただき、にこにこと手を振られて店を出た。片手には白いビニール袋。サンドイッチにクリームパン、オレンジジュース、たっぷりのパンの耳。最近会話を交わすようになったからこそ、彼女は今日切り出したのだろうか。すると、己は今までずっと、このパン屋で買い物をするようになってから数年もの間、彼女に「こいつ何でパンの耳なんか買ってるんだろう」と疑念を抱かれ続けたのだろうか。しかしパンの耳、利用用途はいろいろある。むしろ何故パン屋を営む彼女がそれを知りえない?

首を傾げながら帰路に着き、パンの耳を細かく切って冷凍庫に入れた。今夜はハンバーグにしよう、と心に思って。