2018年2月27日(火) 緑茶カウント:4杯
かつてある人にマジギレしたことがあった。それを己は後悔した。説明不足だったと思ったためだ。ところが、その人は己のマジギレをきっかけに対象について考えてくれ、認識を改め、当時の言動を恥じたことを告白してくれた。それが本日である。
その人はかつて、セクシャルマイノリティがマイノリティのくせに何かしらを主張することが我慢ならないと言った。それに対して己は怒った。しかし言葉が足りなかった。ところがその人は己が怒ったことをきっかけに、対象について調べ、考え、どうして己が怒ったのだろうと考えてくれた。
では何故己が怒ったかと言えば、セクシャルマイノリティをないがしろにする怒りももちろんあるが、さらに言えば誰しもが何かのきっかけでマイノリティになることが考えられるのに、それに対して思いを馳せる力をその人が持たなかったためだ。それを全く考慮せず、マジョリティとして安全地帯から物申す視点に激怒した。ひとたび交通事故にあえば、病気にかかれば、時代が変わればその立場は一瞬にして揺らぐ可能性があるだろうに。
しかしその人はそこに想いを馳せ、理解して、告白してくれた。ありがたいと思う。同時に自分も思いをめぐらせねばと思う。自分の視界の外にはいくらでも自分の知らない世界がある。それを意識しようと努力することが必要だ。それを努めようと願った。そうしてビールを傾けた夜である。美味いビールだった。美味しかった。とても。とても。